第2話 鮫の求愛行動は噛みつき
「お、朝から刺身とは豪勢だねー」
エプロンを脱いでリビングに向かったら、椅子に座りながら灰野がそんなひとりごとを口にしていた。
「クリスマスで特売だったし」
和食がいいと言っていても、焼き魚ばかりもなーと思ったから。
エプロンを隣の椅子にかけて俺も席につく。「エプロンつけっぱなしでもよくない?」と灰野が半目で言うけど、「邪魔だから」つける気はない。
「えー」
「エプロン好きなの?」
「エプロンつけてる律が好き」
いいよね、エプロン男子と灰野が言う。
なにをエモがっているのかわからない。男が女性のエプロン姿に憧れるようなものか?
「いただきます」
「ま、次の機会でいっか」
スルーしたら、次を願われる。
あるのか、次。……あるんだろうなー。
「いくらー、うにー、まぐろー、海鮮どーん」
「海鮮好き?」
「生がね、いいよね」
「ボンゴレ」
「食べ飽きたぜー」
やっぱり地中海系は好みじゃない……というより、飽きてるらしい。
そうなると、やっぱり和食がいいのかな。魚系は好きそう。味つけの問題かな。
「中華系は?」
「お、私の好き嫌いの確認?」
「そ」
最近、めっきり高くなった葉物野菜をもしゃる。
「美味しく食べてほしいだろ」
灰野がきゅっと目を小さくして、目元を緩める。
「今日は素直だねー」
「クリスマスだから」
「プレゼント?」
耳のファーストピアスに灰野が触れる。
「じゃ、それで」
「プレゼントいっぱい貰えそうだなー」
なんで複数貰う前提なんだろうね、この子は。
あげるけど。
◆ ◆ ◆
玄関の前で鍵を取り出したら、横から手が伸びてきてひょいっと持っていかれた。
「私が閉める」
「どーぞ」
その行為にどんな意味があるのか。
わからないけど、灰野が嬉しそうなのでいっかとなる。ガチャリ、と音を立てて閉まる。よし、と灰野が頷いて、スマホくらいしか入らなそうな小さな鞄に鍵を仕舞うのを見届けて――おい。
「返せ」
「クリスマスプレゼントかなーって」
「窃盗と贈り物を同列にしないで」
「今日1日だけでいいから」
「…………だめ」
それくらいなら、と思ったけど、灰野なら持っている間にスペアとか平然と作りそうだ。疑いの眼差しを向けると、「ふっ、バレたか」と白状する。
油断も隙もない。
灰野の手から鍵を回収して、鞄に放り込む。
「待つ楽しみもあるか」
未来を映すように、灰野が遠くを見る。
「灰野はあんまり我慢強くなさそうだけど」
「強いよ」
ふっと息を吐くように笑った。
「強かったよ」
「?」
意味するところがわからず訝しんだけど、灰野が俺の手を掴んできて、些細な疑問は風に吹かれるように飛んでいく。指の間に1本1本丁寧に指を入れてきた。
「今日はデートだから」
恋人繋ぎ。
「で、どこ行こっか?」
「決めてないの?」
先導して引っ張ってるのに。
「そこはほら、私は律といられればどこでもいいから」
「なら、引き返すか」
「まだ8時だよ? お盛んだねー、私はいいけど」
「鮫の発情期って春じゃなかったっけ?」
がぶっと手を甘噛してくる。
歯を立ててガジガジ。
鮫の求愛行動は噛みつくことらしい。
「……雌雄逆じゃない?」
でも、噛みつくのは雄だ。
「倒錯的だね?」
「ある意味」
噛む時点で。
「歯、立てていい?」
「予定決めてるから却下ー」
繋いだ手を引く。
このままだと本気で噛みつかれそうだった。ピアスといい、人の穴を開ける倒錯趣味は改めてほしい。
◆ ◆ ◆
「駆け落ちみたい」
学校がある平日に、電車に乗って男女で遠出。
事実を並べるとまぁまぁそう受け取れそうではあるが、実際はただのサボりでしかなく、周囲にも歳の近そうな男女がいて特別感はなかった。
やっぱり、クリスマスだと休む学生も多いのか。冬休み明日からだし。フライングしても許される。
「どこ行きたい?」
「北海道」
「連想は雪? それとも朝の刺身?」
「刺身」
色気よりも食い気だった。
駆け落ち先が北海道なのはなんとなくイメージとして合う。最北端で、雪というイメージがそうした哀愁を受け止めてくれそうだから。
「違うけど」
でも、これから向かうのは当たり前に北海道じゃない。
「どこ?」
「水族館」
「うわ」
わざとらしく驚いた灰野が小さく両手を上げる。
「すごいデートっぽい」
「デートらしいので」
「マジか」
マジで。
◆ ◆ ◆
乗り換えて、乗り換えて。
下りた駅を出て、手でひさしを作って日本一高いツリーを見上げる。
「……スカイツリーって、ここにあったんだ」
「なんで連れてきた律が知らないの?」
「水族館だけ目指してたから」
「頭スカイ」
空っぽと言いたいらしい。そうかもしれない。
水族館よりも有名そうなデートスポット見逃してんだから、バカの誹りは甘んじて受けよう。
冬なのに熱く感じるのは、ビルが太陽光を反射しているからだろうか。
見上げているとくらっとして、お腹がきゅーっと鳴った。耳ざとい灰野がおやおやぁ? といやらしい笑みを浮かべる。
「お腹の時計は慌てん坊かな?」
時刻は11時。
お昼には少し早い。
チェシャ猫みたいな顔をしてくる灰野に背を向けると回り込んでくる。また、反対を向くと、やっぱり回り込んできて。
くるくるくるくる。
「かっわいー」
通りすがりのお姉さん方にくすくす笑われて静止。
けふんけほんっ、と咳払い。
「耳赤いよ?」
「熱いから」
バカップルと言われたみたいで恥ずかしい。
街中でそういう男女を見かけることはあるけど、まさか自分がなるとは思っていなかった。俺もクリスマスデートで浮かれてるのか。そんなことはないんだけど。
ちょい自重。
「お洒落なかふぇーと寿司ーどっちがいい?」
「お寿司」
これから魚見るのに迷いないな。