第4話 彼女の首筋に鼻先を押しつける
灰野の私服は初めて見る。
土日なんだから当然なんだけど、制服姿以外を目にしたことがなかったから新鮮だ。肩が見えるオフショルダーで、夏らしい装いのブラウス。清楚とセクシーが行ったり来たりしている。
「……連絡しただけ」
「つまり、会いたいってことだ」
「曲解って知ってる?」
「あなたは正しいです」
英語の日本語翻訳みたいな返事だった。
1から10まで懇切丁寧に論破したいが、聞く耳はベージュの髪に隠れているのでどうせ意味はない。読んでいた漫画からそっと顔を上げて、さっそくクッションを確保する灰野を見る。
「というか、来られたんだな」
「熱烈な告白だったから」
「“月が綺麗ですね”」
「外、曇ってたよ」
灰野が言葉以上の意味を読み取れるとは思えなかった。やっぱりただの妄想だ。
「もう20時だろ」
普通は親が心配する。女の子ならなおさらだ。
ただの共有で、確認。来る必要なんてなかったんだ。
「来てほしそうだったから」
「……言葉の裏なんてないっての」
顔を漫画で隠す。
近すぎて読めない。でも、見えなくなるなら十分だ。
「…………近くない?」
「近づいたからね」
「そりゃそうだ」
じゃないが。
「なんで人の肩に頭乗せてるんだよ。ここは電車じゃないんだが?」
「ネカフェって知ってる?」
「俺が物を知らないみたいな言い方」
ネットカフェなのはご存知なんだよ。
「寄ってきた理由を訊いてるの」
「……そういう夜もあるよ」
「指示語やめて」
全然わからん。
「人肌が恋しくなる夜ってこと」
ね? と、寄せてきた顔が笑みに変わって、なにも言えなくなる。
わかっていないようで、わかっていて。
その癖、こっちの事情を追求もしてこない。そのことに甘えている自覚があって、羞恥に溺れそうになるけど、今日だけはって理性に蓋をする。
「くすぐったい」
「やり返しただけ」
灰野の首に埋めるように顔を押しつける。鼻先が首筋に当たる。すんっ、と鼻を動かすと、金木犀のような爽やかな香りと、女性特有の匂いが混じって感じられた。
「なに? 匂いフェチ」
「好きかも」
「……肯定されると困るんだけど」
戸惑う気配を感じる。
でも、拒絶はされなくて、それをいいことにそのまま顔を埋めてしまう。よくないと思う理性はある。状況も、行為も。でも、灰野相手だといいかなって、一線を軽く超えてしまえる。
「律は……消臭剤?」
マーキングは消した。
◆ ◆ ◆
「かんぱーい」
と、灰野がグラスをぶつけてくる。中身は冷やしココアで、ガムシロップとミルクが混ざった灰野スペシャルだ。俺はアイスコーヒーで、そうした混ぜものはない。
「試験お疲れ。今日はご褒美で律の奢りで」
「なら、灰野が俺の分を奢って」
「一杯頼も」
断りもせず、灰野がメニュー表を引っ張り出す。俺より頼んで得しようということだろう。なら俺も、と行きたい。でも、先週の休みを振り返ると、どうにも恥ずかしい真似をしたなと遅まきながら理性が火照って、これくらいは自省の範囲かと止めはしない。
「ポテト」
「ディップは?」
「マヨ」
「ケチャップ」
「なら、オーロラソースで」
それ、間ってことになるのか?
「ロシアンたこ焼きあるよ」
「灰野が辛いの得意なら頼めば」
「律が辛いの苦手なら頼む」
「ちょー得意」
「――はい、注文」
マウスカチカチで頼みやがった。
天邪鬼なのか、こいつ。
そのあともいくつか注文して、料理が届くまでの隙間に灰野はべたーっと顔から倒れる。お尻を突き上げて、丸っとしている。
「……触る?」
「お餅みたい」
「どちらかといえばおっぱい」
触ってない。
疲れて知能が下がってるんじゃないか。時折、口から出る下品さは疲労と比例しているのかもしれない。比例していいものじゃないと思うが。
学生らしく猥談をしていたら料理ができて、受け取りカウンターまで取りに行く。
「よろしく」
……もちろん、俺が。
戻ってきてもお尻を突き上げたまんまだったので、その上に料理が乗ったトレーを置いてやる。
「私のプリティーなお尻をテーブルするとは不届き」
「なら起きなさいよ怠け者」
「怠けて生きていられるならそれでもいい」
ごそごそ動くので、トレーを尻からテーブルに移す。
壁に寄りかかって座って、ポテトをひとつまみ。美味い。と、さっそく冷凍っぽいグランドメニューに舌鼓を打っていたら、灰野が俺を座椅子代わりにして、すっぽり足の間に収まってきた。
「あー……楽」
「リクライニングは別の部屋だぞ」
「ポテト」
上を向いて、あー、と口を開けてくる。
白い歯どころか、唾液で濡れた口内が上からしっかり覗けて反応に困る。早くしろと動く舌に、オーロラソースをつけたポテトをそっと乗せる。
「しょっぱうま」
「触れ合い体験」
「女子高生に餌付け」
「検挙されそう」
ほっこりから一気にいかがわしさが増した。
「次ぃ」
「たこ焼きで」
「ロシアンだったら律に返すから」
「吐き出す前に口塞ぐ」
「どうやって?」
挑発的に笑うので、ガチで想像通りの塞ぎ方してやろうかなと思う。やらないけど。
適当にひとつ灰野の口に放り込む。
「あひゅっ……っ!? あ、にゅぅ~~っ!?」
「あー」
日頃の行いかな。
とりあえず手で口を塞いだら、舌で舐められてひゃっと悲鳴を上げてしまった。