第1話 幼児退行じゃなくて赤ちゃんプレイだった
「りつー慰めてーよしよししてー私を赤ちゃんみたいに甘やかしてー」
ちょっと遅れてやってきた灰野が泣きべそをかきながら抱き着いてくる。
なかなか珍しい反応。
だらけているのはよく見るけど、幼児退行しているのは初めてだ。そんなポンポン幼女になられたくないけど。体は幼女どころかグラビアだが。
「はーいよしよし大変だったねー」
「うんすごくたいへんだったのぉ」
「そうだね大変だったよねー」
「……なに読んでんの?」
「バンドの四コマ漫画」
青春っていいなーって。
「片手間で慰めるなー愛情が足りなーい」
「愛は求めるものではなく与えるもの」
「ちゅ」
頬にキスされた。
「愛をちょーだいー」
「クーリングオフできます?」
「返却はここ」
アヒルみたいに唇を突き出してくる。
うーん、今日の灰野はテンションがバグってる。でも、これは終わりの始まりで、不祥事前の株価みたいなものだ。このあと一気に大暴落する。
ガチ恋距離でキス待ちしている灰野のおでこを押さえて、仕方ないので事情を訊くことにする。面倒だけど、これ以上退行されてお腹に戻るとか言われても困るので。
ぱたんっと本を閉じる。
「で、なにあったの?」
「体育祭の準備だってー」
「……そんなのあったっけ?」
去年やった記憶がない。
「うちの高校は体育祭と文化祭が交互なんだって。去年は文化祭」
「…………やったっけ?」
「転校生?」
「可能性はあるな」
「シュレディンガーの過去」
「観測できないから一生わかんないな」
でも、なんか朧げには。
確かうちのクラスは劇だかなんだかをやって、準備は軽く手伝った気は……するんだけど、人手は足りてて明確にこれをやったという記憶がなかった。
「あ、ラーメンと焼きそばを食べた」
「麺類しか記憶できないの?」
「クレープも食べた」
「下校中に食べ歩きする女子高生」
「あーし苺ー」
「あたしはタピオカマシマシマリトッツォパフェがいいなー」
そんな二◯系のトッピング全部盛りみたいな流行盛り盛りパフェ食べたいと思えないんだが。盛ればギャルってわけじゃないし。
「土日に出ろって」
「そりゃ大変」
ぺちっと膝を叩かれた。文句があると。
「私の、プライベート……なんで」
めしょっとべそかいてるし。
まぁでも、日頃から勉強だクラス委員の仕事だとスケジュールカツカツっぽいし、そこにドンッと新たな仕事が積まれれば幼児退行もするか。……いやしないな? ふつー。流されるところだった。
「んー」
背中をトントンしてあげるが、俺にできることなんてこれくらいで。
灰野の負担を減らそうにもなー。
「なにか手伝えることあったら言ってくれれば」
「来週の土日よろしくね!」
「……もう少し赤ちゃんでいてくれ」
急に老獪な腹黒さ出してくるじゃん。
疲れて大変なんだなって慮った俺の気持ちを返して。
灰野がぐでーっと脱力する。
「あー……なんか、道連れができたと思うとほっとしたー」
「口約束だけどなー」
って、言ったら灰野がスマホを取り出して、さっきの俺の声を再生した。
「もしもし赤ちゃん?」
「ばぶー」
幼児退行じゃなくて特殊プレイだな、これ。
◆ ◆ ◆
手伝い当日。
秋の空らしくいまにも泣き出しそうに曇っていて、風が冷たい。そんな中、俺は来賓用のパイプ椅子を体育館から校庭に運んでいた。
「……寒い」
「佐藤くん、これ」
優等生モードの灰野がやってきて、缶コーヒーを渡してくる。ホットのブラック。わかってるな、と少し胸の辺りが暖かくなる。
「どーも」
「ありとうね、手伝ってくれて」
まるで自主的に俺が名乗り出たみたいな物言いだな。
「どこかの腹黒生徒会長が録音して証拠まで突きつけてきたからなー」
「私じゃないねー」
ほら、とこの寒空の下で、ジャージを捲ってぺろんっと白いお腹を見せてくる。この子は腹黒さとお腹の白さがイコールとでも思ってるのか。
うり、と缶コーヒーをちょこんっと窪んだおへそに当てる。ひゃっと思ったよりかわいい悲鳴が出た。
「うぅ~、佐藤くんセクハラだよ?」
「寒そうだったから」
「えぃっ」
「あっつ!?」
なにされた?
見たら、灰野の手にはココア缶があって、それを首筋に当てられたらしい。
灰野がえへっと笑う。
「仕返しだよ」
「開戦の狼煙?」
「ドラを鳴らしたのは佐藤くんだよね?」
「そうだけどー」
それで納得できないから、戦争はなくならないわけで。
「仕返しの仕返し」
「バリアー」
「バリア無効ー」
「あ、ズル――ひゃわっ!?」
頬に当てたら灰野はぴょんって跳ねる。
缶がホットからクールになるまで、お互いの素肌に缶をぶつけ合って、
「――あのね? 休みに来てもらってこういうのも申し訳ないんだけど、仕事はちゃんとしてほしいな?」
「「ごめんなさい」」
揃って担任の先生に怒られた。
でもまぁ、それもなんだか楽しくて、頭を下げたその下で灰野と目が合って、ふへっと笑い合った。
仕事は面倒だけど、こういうのもたまには悪くない。