第2話 恋人割に免許はいるか
授業が終わる。立ち上がる生徒。
喧騒は放課後のものに代わり、授業中にあった静寂は影も形もない。友達の周囲に集まるクラスメイトたちを尻目に、さっさと鞄を担いで外に出る。
「今日はなーにをよもーかーなー」
アイドル漫画は読み終わったので次を探すか、それとも連載している雑誌でも読むか。新たな出会いを求めながら、校舎を出て、校門を抜ける。
そこでようやくスマホを見ると、1件の通知が届いていた。メッセージは短く、開かなくても全文が表示されている。
「今日も行く、ね」
端的なメッセージを見て、スマホを鼻の上に当てる。
就いたのは帰路ではない。工事中の信号をさらっと抜けて、並木通りを下を歩く。新緑の隙間から差し込む陽光に目を細めながら向かったのは、駅の近くにある無機質で無骨なビルだ。
そのまま入る……わけじゃなく、くるっと回ってビル壁を背もたれにする。
「今日は何分かな」
「0分」
ストップウォッチを起動しようとスマホを取り出そうと懐に手をかけたところで、声がかかる。汗で額にくっついた前髪を払う灰野が目の前に立っていた。
胸を押さえて、荒い息を整えている。
「別に急がなくてもいいのに」
「時間を計ろうとした人の台詞?」
「……してないし」
「こっち見ろ」
そんなわかりやすかったかな。
「今日は特に頼まれることもなかったの。だから、一緒に行こうとしたのに……いないし」
「いい子な灰野さんと違って、俺には頼んでくる人もいないから」
「ぼっち」
肩を竦める。
「入ろう。陽は長くなったけど、遅くなっても困るだろ」
「私はいいけど」
「……俺も困らないか」
どっちもどっちな生き方をしている。いまどき、夜中に制服でうろついても、補導されることなんてまずない。
ビルのエレベーターに乗って、ネットカフェのエントランスのある階で降りる。すぐ近くにある端末で、入館登録。人数は2人。セットパックは――恋人割。
「ガバガバだよな、これ」
「免許あるわけじゃないから」
「恋人免許? あっても受ける人いる?」
「いるでしょ。承認欲求モンスターがうじゃうじゃ」
「恋人ってアクセサリーかなんかなの?」
「大・正・解」
言って、発行された伝票を持って、灰野は改札式の入口を抜けていく。
「嬉しくないなー」
恋もまた欲求と言われれば、それまでなんだろうけど。
綺麗に整頓された棚から漫画を1冊抜いて、ドリンクバーでコーヒーを確保。お酒のドリンクバーもあるけど、有料だし、なにより未成年だからノーセンキュー。
番号を頼りに部屋に入ると、昨日とまったく同じ体勢で灰野が寝転がっていた。
「私の分は?」
「コーヒー」
「ココア」
「テーブルに置いてあるカップの中身は?」
「ココア」
不毛なやり取りだ。
俺もテーブルにコーヒーを置いて、クッションを……と手を伸ばして、いつもの場所になかった。あん? と、心の中で喉を鳴らして、部屋に視線を走らせたら――あった。
「なんで2つ使ってるんだよ」
「抱き枕がないと寝れない」
枕に1つ、抱えて1つ。
灰野は合計2つもクッションを使っている。この部屋は2人用なので、クッションは灰野が使っているのしかない。抱えているのを奪おうと手を伸ばして……頭のを引っこ抜く。
ぼふっと、灰野の頭がフラットシートに落ちる。
「で、どうして頭の盗ったの?」
「……寝心地がよさそうだったから」
「柔らかそうだったから、じゃなくて?」
灰野が抱くクッションの下で潰れるそれから目を逸らすと、今度はほくそ笑む口元が視界に映った。はぁ、と息を吐く。
「疲れてるんじゃないの?」
「心の栄養」
「君、夢魔かなんかなの?」
クッションを下に敷いて、持ってきた漫画を開く。今回は漫画家を題材とした日常系コミック。前はなろう系のコミカライズばかり読んでいたけど、最近は日常系が俺の中でブームになっていた。
「それ面白い?」
「ちょーおもしろい」
「1巻でページ開いたばっかなのに?」
「エスパーだから」
「なら、読む必要ないでしょ」
伝わらないネタほど悲しいものないな、とコーヒーを飲む。もちろんブラックだ。
「苦くない?」
「苦い」
「Mなの?」
「コーヒー飲む人、みんな被虐体質だと思ってるの?」
人類皆Mじゃん。
「だって、苦いのに飲むとか……わかんない」
むくりと起き上がった灰野がココアをちびっと飲む。そのそばにはコーヒーでもないのに、ガムシロップとクリームの容器が転がっていて、飲んでもないのにうぇっと甘さに舌を出す。
「むしろ、そっちの方が拷問だろ。甘さに甘さを足してなんの意味があるの?」
「ちょーあまい」
だろうね。
灰野がカップをん、とカップを持った手をこっちの伸ばしてくる。
「飲んで同士になろう」
「なんの?」
「甘さの」
「中毒者の間違いだろ」
代わりにコーヒーの入ったカップを差し出すと、灰野は露骨に嫌な顔をした。渋々と言った様子で交換して、それぞれ口をつける。
「あっっっ……ま」
「にっっっ……が」
俺も灰野も汚泥でも飲んだような顔になった。
ひとしきり、お互いの飲み物の嗜好を罵倒し合ったあと、沈黙が室内を満たした。ページの捲る音と、スマホを弄る音、時折身動ぎしてフラットシートを擦る音が交じる。
「そういえば、明日委員会決めだね」
「頑張れクラス委員長」
「決まってないから」
断固した声だった。
「決定事項だろう」
「律かもしれない」
「それはない」
「なんで言い切れるの?」
なんでって。
天井を仰いで考える。
「エスパーだから」
◆ ◆ ◆
「――クラス委員長になった灰野優莉です。これから1年間、クラスのために精一杯努めさせていただきます。どうかよろしくお願いします」
教室の壇上で、直角に腰を曲げた綺麗なお辞儀だった。
祝福される拍手の合間に、やっぱりね、とか、優莉だと思った、という納得の声がちらほら聞こえてくる。既定路線だったという雰囲気。伏せて見えない顔は、どんな表情を浮かべているんだろうか。