第1話 クリスマスの朝は彼氏の家から
化粧をする。
鏡の前での行為に慣れたのはいつからだったろうか。そもそも、化粧をするようになったきっかけはなんだったか。
思い出すと、周囲に合わせた結果だったと思う。
小学校の頃。
一緒にやろうよーって誘われて。
それがいつしか習慣になって、いま、私は唇にグロスを塗っている。
「理由は……変わったけど」
鏡の中の少女が口の端を持ち上げた。
自分の感情が目で見てわかるというのも悪くない気分だ。
「変なとこはない」
姿見でくるくる。
パッと決めたけど、学生らしいデート服に収まっていると思う。谷間が見える、普通そんなこと開けないだろっていうえちちなニットも候補に上げたけど、外ではなー、と却下した。
「律とふたりきりなら」
なきにしもあらず。
◇ ◇ ◇
部屋のちいさくてかわいい時計を見たら、朝の6時を過ぎたところだった。
クリスマス。12月25日――平日。
「でも、学校はやすー……」
む。
律に言ったら微妙な顔をされたけど、初めてだから、ね? と小首を傾げてきゅるんっとかわいいポーズで攻めたら、呆れつつも頬をかいて頷いてくれた。
付き合う前ならふつーに拒否されそう。いや? そうでもないかも。
どうあれ、小悪魔戦法が通じるのは期間限定だろうから、いまのうちに使い倒しておこうと思っている。恋人として色々やっていくうちに、回り回って最初の距離感に戻りそうだし。
「なんで最初に戻るんだか」
本当に変だ。
笑いながら玄関を出ようと手をかけて、「優莉」と呼び止められる。まだ寝てると思ったんだけどなー。少し騒ぎ過ぎたか、と反省しつつ、笑顔を作る。
「なに、お母さん?」
「どこに行くの?」
不安そうな顔。
当然と言えば当然か。
「今日はまだ授業、あったわよね」
平日だから。
「うん。でも、今日は休むから」
「どうして?」
理由……理由。
上を向いて考えて、素直に言っておこうと思った。
「今日は授業より優先したいことがあるんだ」
ただ、それだけ。
「安心して。帰ったら勉強はするし、前も言ったように模試もA判定に戻すよ」
「……そんな心配はしてないけど」
嘘。してる。
微かに泳ぐ瞳。目尻がぴくりと動く。心配と口にして、責めているのがその態度でわかる。
最後に目が上下して、私を見る。
「付き合ってる人がいるの?」
「そうだね」
いまかー、と思いつつ、いまだよねー、とも思う。
どれだけ家では隠していても、どこからか伝わるという確信にも近い勘。あれだけ匂わせていればこうなる。クラスの女子から母親へ。そうしたルートでお母さんの耳にでも入ったんだろう。
知られたくはなかった。面倒だから。
でも、律に他の女が近寄ってほしくないことを優先したからしょうがない。腹立つし。断るとしても、告白されるのは嫌。
「……あまりこういうことは言いたくないんだけど」
だから、そのうちこうなるのはわかっていて。
決意はしておいた。……正しくは、見限る、かもしれないけど。
「学校をサボってまでデートを強要するような相手はよくないわ。成績も下がってるのも、その人のせいじゃないの? お母さんはあなたのことを心配してるの。だから……ね? 今日はちゃんと学校に行って、帰ったらお話を――」
「お母さん」
笑顔。
「――私、お母さんのこと嫌いなんだ」
素直。
「でも、安心してね? ちゃんと大学卒業するまでお母さんが自慢できる娘でいるから。娘がすごいのよーって、ブランド品見せびらかすみたいにしていいよ」
だから――
「お母さんも演じてよ。娘を大切にしている母親を――ね?」
◆ ◆ ◆
朝ご飯の準備をしていたら、インターホンが鳴る。
ペーパータオルでさっと手を拭いて、スリッパパタパタ。玄関を開けたら、灰野がいて倒れ込むように抱き着いてきた。
「疲れたー」
「挨拶」
「おはようママー」
「手洗いうがい」
「はーい」
疲れるくらいなら、駅で待ち合わせすればよかったのに。もっといえば、朝7時は遊びに行くには早すぎるって。言っても、『律んちから行くー』って聞かなかったからいまなんだけど。
デートは待ち合わせが大事とかこの前は言ってたのに。
「ダブルスタンダード」
「ダックスフンド」
「語感」
「ご感想」
「朝のテンション」
「だるーん」
まだ寝てるのだけはわかった、頭が。
腰に抱きついたまま離れないので、そのまま引きずって洗面所に足を向ける。
「お」
灰野が俺がつけているエプロンをくいくいっとする。
「主夫だー」
「朝ごはんできるてるよー」
「朝食ビュッフェ?」
「……今日は加減してるから」
いつまでも人の失敗をネチネチと。
性悪を消毒してもらおうと洗面所に送り届けて、ついでに言っておく。
「似合ってるよ」
白のダウンに、チェックのスカート。
中には黒のタートルニットが見えて、スタイルのいいシルエットが浮かび上がっている。
大人っぽいのにかわいいって、なんか反則みたい。
言い逃げして離れる直前。
「律のそうやってちゃんと言葉にしてくれるとこ、好きだなー」
鏡に映る彼女は赤ら顔になっていた。