第5話 おでことおでこをこつんってして、熱を計れる?
「……なんでいるのぉ」
布団を頭まですっぽり被る。
寝起きなのもあって頭が働かない。
「委員長ですので」
「ユー◯ューバーの挨拶定型文かよ」
口癖のような言い訳だ。そして、それは別に万能というわけじゃない。
枕元にあったスマホを引き寄せる。
時刻は14時前で、修学旅行のしおりに準ずればまだバスで京都を巡っている最中のはずだ。
「新幹線の席交換くらいならともかく、早く旅館には来れないだろ」
「体調不良で」
「……悪いの?」
そっと布団から顔を出す。
灰野の顔は血色がよく、つやつやだ。とてもじゃないが、体調を崩しているようには見えない。
「こほこほっ、そうなの。これ間違いなく風邪だね」
わざとらしすぎる。
「熱もある」
灰野が前髪を上げて、おでこをこつんっとしてくる。
「ね?」
「これ、絶対わからないだろ」
漫画のシチュエーションでたまに見るけど、おでこで体温計れるとは思えなかったし、実際よくわからない。じんわりと感じる熱が、自分のなのか灰野のなのか曖昧だ。
水とお湯を混ぜたような、ふたりの体温なのかもしれない。
「担任の先生も認めてくれたし」
「……嘘吐き」
「知らなかった? 女の子って嘘吐きなんだよ」
誇るように屈託なく笑う灰野を見ていると、毒気を抜かれてしまう。
「優等生名乗るのやめたら?」
「名乗ってはないから」
そうでしたね。
おでこをくっつけたまま話してくる。湿った吐息で、唇が濡れた。
「もう平気?」
「ただの乗り物酔いだから」
「にしては弱ってたよね、まだ顔も白いし」
「……三半規管が弱すぎる」
「だめだめだー」
旅館の個室。
ふたり切りだからか、教室で見せる優等生ではなく、ネカフェでのだらけた灰野が顔を出している。俺にとってはいつもの灰野で、でも、環境が違うからか立体視のように浮き上がって見えた。
「これじゃあ旅行先も考えないとだ」
「……ここ京都」
NOW旅行。
「修学はいらない」
「学ぶ気あったの?」
「アルヨー」
「似非」
白々しいにもほどがある。
「律はどこ行きたい?」
「どこでも」
「うわー冷めるセリフナンバーわーん」
間近で、灰野の瞳が半分閉じる。
「いいよ、灰野と一緒ならどこでも」
「……なんばーわーん」
なんの?
「温泉行きたい」
「草津箱根」
「……げ」
こつん、と軽く頭突きする。
言ってはならないこともある。特に乗り物酔いでダウンしている人間には。
「でも、なんで温泉」
「入りたいから」
「真っ当な理由」
と、思ったら鼻先をちょんっとくっつけてきた。
「律と一緒に」
「わー、不健全ー」
温泉旅館でしっぽりとはこのことか。
「よくないと思うなー」
灰野がくすっと笑う。
「前は入ったのに?」
「……モンスタークレーマーだ」
鬼の首取ったように過去の出来事を出してくるのはズルいと思う。
「――佐藤くん、大丈夫?」
短いノックと共に担任の先生が入ってくる。
「…………はい」
脇腹をぐにっと摘まれる。
「あ、いえ……まだ少し」
「そう。長引くようなら病院も行くからね? 熱はない?」
「ありません」
「なら、よかった」
先生が室内を見渡す。
「どうかしました?」
「いえ、灰野さんも体調を崩して別の部屋で休んでいたのだけどいなくて。もしかしたら、佐藤くんの様子を見に来てるのかもと思ったのだけど」
「……へー」
…………そー。
「お手洗いかしら? そろそろクラスのみんなも戻ってくるから、もし大丈夫なら佐藤くんも合流しましょうか」
「はい」
忙しそうで、顔を見に来ただけのようだ。
そのまま去っていき、部屋の扉が閉まる。はぁ、と喉元で詰まっていた息を吐いて、布団を捲る。
「先生に無断で抜け出すのは不良じゃないの? 優等生さん?」
布団の中で小さく丸まっていた灰野が楽しそうに頬を緩める。
「男子の部屋に忍び込むのは修学旅行の嗜みだから、優等生が率先してやらないと」
「青春優等生」
にへーっと笑みが深くなる。
「ドキドキした?」
した。
◆ ◆ ◆
天気は曇天だったが、肩の荷が下りたように清々しい……とまではいかなくても、へばっと脱力はできた。
「帰ってきた……」
改札を出て、ようやく息ができた。
帰りは事前に酔い止めを飲んだから行きよりマシだったけど、やっぱり万能薬ではないので喉の奥で気持ち悪さが燻っている。
「ここで解散になるけど、佐藤くんは帰れそう?」
送っていく? と、心配してくれる担任の先生に大丈夫と伝える。そう酷いものじゃないから、上を向いて歩いていれば気分もよくなるだろ。曇り空だけど。
最後の点呼を取って、お疲れ解散。
各々帰路に着くかと思いきや、だいたいの生徒はまだ駅周辺にたむろっている。修学旅行の余韻にひたっているんだろう。
「酔いの余韻……」
「わぁ、すごく面白いね!」
「……わー」
狙ってたんじゃないかってくらい、最低最悪なタイミング。
「佐藤くん、乗り物酔いは大丈夫そう?」
「いま底値を更新した」
「FXで有り金全部溶かす人の顔になってないから大丈夫だね!」
基準。
「でも、大丈夫そうならよかった。また来週、学校でね」
ばいばい、と笑顔で手を振って駆けていく。
意外とあっさりしてるな……と思うところなんだろうが、人のポケットになにか突っ込んでいったな、あいつ。
「……白い紙」
裏も表も、なにも書かれてない。
今日は金曜日。まぁ、そうね。
「習い事かな?」
絶対に行くっていう、揺るぎない意思をその白い紙から読み取った。