第5話 匂わせマーキング

 期末試験が終わると、あとは惰性のようなものだ。
 夏休みもサボらないようにと、ありがたいお言葉と共にプレゼント宿題を貰って、帰る頃にはやたら鞄が重く感じていた。

 もう少しで夏休みか。
 梅雨明けは宣言こそされていないが、教室の窓から覗く空は青々としている。気の早い蝉の鳴き声と暑さが、夏の訪れを風鈴の音のように知らせてくれていた。

 灰野は……。

「宿題手伝ってー」
「まずは自分で頑張るところから、ね?」
「そんなー」

 忙しそうだ。
 教室で話すような間柄でもない。そのまま廊下に出て、帰路に就く。聞こえてくるのはどこもかしこも夏休みの話題。プールだライブだと誰もが楽しげだった。

 夏の始まり。その喧騒を抜けて外に出ると容赦なく陽光が刺さる。手でひさしを作ると、びーっと飛び立った蝉の黒い影が横切っていった。

「夏だ」
「語彙ないね」

 不意に後ろから刺すな。
 頬を伝う汗に冷たいものが混じるのを感じながら振り返ると、肌を焼くような暑さだというのに上のボタンまでしっかりと留めた灰野が屈託なく笑っていた。

「向日葵って毒あるんだ」
「もう、そうやって褒めてもなにも出ないからね?」
「……寒気が」

 学校だからなのはわかるが、その清楚染みた優等生の仮面は夏の怪談よりも怖気がする。

「大変、日向ひなたで体を温めないと!」
「干物にはなりたくないなー」

 さらっと毒を混ぜてくる。

「こういうのを腹黒って言うんだっけか」
「白いよ」

 爪先で立って、耳元で囁いてくる。

「――あとで見せてあげようか?」
「いらね」

 ネカフェで飽きるほどに見ている。いまさら確認するまでもなく白いのは知っていた。

「細すぎて健康が心配にはなるけど」
「女の子は夏になるとダイエットを始めるんだ」
やせせるのとけるのは違うと思う」
「断食は大変だけど楽なんだよ」

 大変で楽ってどういうことなのか。女の子は謎でいっぱいだ。
 別に知る気もないので、そのまま校門を出る。と、灰野のニコニコしていた目端口端が怠そうに下がって「で?」と短く疑問を飛ばしてきた。

「私を見てたけど、用でもあった?」
「二重人格じゃないよな?」

 もはや怖いよ、俺は。

「挨拶くらいしとこうかなって」
「へー、いつもは見向きもしないで帰るのに?」
「監視してる?」
「GPS追跡アプリがあるんだってー」
「そーなんだー」

 ないよな。ない……これは、いや違うデフォルトアプリ。よし、ない。

「夏休みに会えるか心配になった?」
「…………」

 なんでこう不意打ちで刺してくるんだろうね、灰野は。

「別にそういうのじゃ」
「ないの?」

 その琥珀のような瞳で見られると、嘘をくのは躊躇ためらわれた。

「私はあるよ」
「……素直ぉ」
「委員長ですので」

 関係ないだろ。

「うん……まぁ、そうな」
「律は素直じゃないなー」
「コミュニケーション能力に難があるんだよ」
「あぁ、ぼっちだもんね」
「素直だったらデリカシーなくてもいいと思ってる?」

 純粋無垢ってそういうことじゃない。

「友達欲しいなんて思ってないからいいんだよ」
「あ、出た。ぼっち特有の言い訳」
「灰野もいないだろ」

 言ったら、虚を突かれたように目を見開いて、ふっと深い笑みを浮かべた。

「……沢山いるよ、知ってるでしょ?」
「優等生特有の厚顔」
「日本の政治家」
「や、面の皮が厚い連想ゲームじゃないから」

 確かにあいつらクソ厚いけど。

「なら、私たちは友達じゃないの?」
「どーだろ」

 そうしたものに近いとは思う。ただ、友達かと言われると、そうなのかな? と疑問も浮かぶ。曖昧で、夏の空気のように歪んでぼやけている。そんな関係。

「恋人?」
「ネカフェの支払いはそうだな」
「お金だけの関係なのね」

 ある意味で間違いではない。

「じゃあセフレだ」
ShutUpFriend黙って友達

 いまの時代、女から男にでもセクハラは適用される自覚を持て。
 分かれ道。
 今日はネカフェに行かないからここでお別れだ。信号を渡るのを見送って、白線の向こう側で灰野が口の横に手を添えている。

「金曜はネカフェの日だから忘れるないようにー」

 覇気のない、間延びした声だった。
 いまかよ。
 遅い返答に目を瞬かせて、落ちる羽根のようにひらりと手を振っておく。

「蝶みたいな奴」

 羽根の裏表。
 模様が違って、役割も違う。

  ◇ ◇ ◇

「……友達、ね」

 ひらりと手を振った律を見て、ほくそ笑む。
 どうなのかな。
 わからないけど、近くて遠い気もする。

「名前をつけるのはもったいないかな」

 曖昧なものは曖昧なまま扱った方がきっといい。
 でも、それは2人だけのとき。周囲には誰が見てもわかるラベルが必要だった。余計な茶々はいらない。予約席。スマホを取り出して、クラスの女子グループメッセージでタプタプ。

私が狙ってるから、わかるよね同じクラスの佐藤くんって知ってる?』

 香ばしいな。
 文面を見返して、女っぽさに笑う。

  ◆第3章_fin◆
  __To be continued.