第2話 汗の匂いを嗅いで嗅がせて

「辞退すれば?」

 言ったら、鞄をボスっとフラットシートに落として、灰野が膝をつく。そのまま頭を寄せてきて、肩をぐりぐり。

「熱い汗でしっとりしてる」
「女の子に汗臭いっていうのかー」

 すんっと頭を嗅ぐ。

「汗」
「わーん、シャワー浴びてくるー」

 泣き真似して出ていってしまった。
 でも、いい匂いもしたんだよ。言う前に行っちゃったけど。

「どうだ」

 ホカホカで戻ってきた灰野が、俺の鼻を潰す強さで頭を押しつけてくる。どうだじゃないが。でもいい。とりあえず、すーっ。

「シャンプーの香り」
「女の子だから」

 シャンプーで洗ってシャワー浴びてきたからだよ。
 最近はゆるいオーバーTシャツとドルフィンパンツが好みなのか、ネカフェの部屋というよりは、自宅みたいにゆったりしている。

 これ、あんまりよくないんだよなー。
 胸元緩めでちらちら上乳見えるし、オーバーサイズだからパンツが隠れて履いてないみたいに見えるし。……って。

「ブラは?」
「窮屈だから取った」

 上乳以外も見せそう。

「律」

 灰野が体を寄せてくる。
 隔てるものが薄いシャツだけの胸がふにっと腕で潰れた。火照った顔を寄せてきて――すんっ、と鼻を動かした。

「汗臭い」
「……男の子だから」

 でも、シャワー浴びてくる。

  ◆ ◆ ◆

 戻ってきたら、丸った灰野が寝ていた。
 なんていうんだっけ、この寝方。ほら、猫の……なんだ、あれ。

「ごめん寝」
「そうそれ」
「しゃーく」

 鮫ではない。
 向けられたお尻をふみっと踏んでから、持ってきたアイスコーヒーとココアをテーブルに置く。そしたら、へばーっと上体が伸びて、おっぱいが潰れた。見るに堪えないだらけっぷりだ。

「で、案は?」
「1話読み飛ばした?」
「アソパソマン」

 それは1話飛ばしても話がわかるやつ。

「生徒会ぃ」
「辞退すれば?」
「メモリ増設しないと」
「4GBはあるって」
「GoodBye」
「バイバイバイバーイ」

 帰ろうとしたらガシッと足にしがみついてきた。コアラか。なんにでもなるな、こいつ。

「つっても、それ以外に確実にならない方法なくない?」
「諦めないでよー頭使えよー」
「灰野はまず体起こせ」

 足も放せ。

「他の候補は?」
「知らない」
「辞退すれば?」
「壊れたれぃでぃおー」
「俺の胸をノックしないで」

 なにも出てこないから。

「辞退もできない、他の候補も知らない」

 それで生徒会長にならない案ね。

「装備なしで潜水しろって言われてるみたい」
「いけるね、鮫だから」
「今度海に突き落とす」
「やめて死んじゃう泳げないから」

 自認鮫なのに。

「んー。なら、俺が立候補する?」

 ガバッ、と灰野が顔を上げた。
 そのベージュの瞳が丸く、大きくなっている。

「…………なんで?」
「ならない可能性が出てくる」

 辞退しないなら、候補者を出すしかなくて。
 でも、友達のいない俺には自推じすいという方法しかない。

「辞退しないなら絶対じゃないけど、少しはならない可能性が……なに?」
「ん~」

 腰に抱き着いてきて、顔をぐりぐり押しつけてくる。
 そのままコバンザメみたいにくっついて離れないし、黙ってるし。なにこれ。まぁ、いいかと、持ってきた漫画を読む。今日は生徒会が題材のお話。たいむりー。

「……だめ」

 もごって、お腹がくすぐったい。

「そうですか」
「うん」

 ならいいよ。

  ◇ ◇ ◇

 家に帰ったら、いつも通り母が出迎えてきた。

「お帰りなさい、お勉強お疲れ様」
「ただいま、お母さん」

 制服はキチッと上までボタンを閉めて、笑顔で応える。
 そのまま一度、自分の部屋に上がろうとしたけど、「優莉」と母に呼び止められた。その顔はなんだか輝いていて……とっても嫌な予感。

「どうしたの? なにか機嫌よさそうだね」
「わかる?」

 態度で。
 わかってくれという雰囲気を出していて、ちょっとうざいくらいにはわかる。

「お母さん、聞いちゃったの」

 へーそーなんだー。
 で、流したい。流したいけどできない。これが律相手ならやれるのに。

「なにを?」
「優莉、生徒会長になるんですって?」

 どこから漏れた。
 母にも父にも言ってない。期待もされたくないけど、私としてはなりたくない。だから、黙っていたのに。

「今日、ママ友から聞いてビックリしちゃった。教えてくれればよかったのに」

 ママ友か。
 ということは、クラスの誰かだな。口が軽い。SNSで犯人探して、個人情報開示請求からの慰謝料を決める。これが現代女子高生の最強コンボだ。初手は『これって私が悪いのかな?』というお気持ち投稿から。ネットニュースのトップを飾ってあげよう。

「先生から推薦されただけで、まだ決まったわけじゃないから」
「優莉なら絶対なれるわ」

 んふ、笑顔笑顔。
 なりたくないって思ってるの。

「上で勉強するね」
「今日の夕飯は優莉の好きな野菜たっぷりのグラタンにするからね!」
「楽しみ!」

 階段を上がって、部屋に入る。パタンッと後手で閉じて……ベッドに倒れる。

「……別にグラタンは好きじゃない」

 母親の得意料理ってだけ。
 夕食に上がる回数が多くて、その度に感想を訊いてくるから『美味しい』と言っていたら、なんか好物にされていた。他人が作るアイドルのプロフィールみたいにスッカスカ。

「生徒会長嫌」

 面倒、ダルい。
 もとから自分の時間が取りづらいのに、さらに予定を組み込まないでほしい。このままいくと本当になってしまいそうなのが嫌。……嫌だ、けど。

「律がなるのは……」

 もっと嫌。
 会える時間は――減らしたくない。

  ◆ ◆ ◆

「…………なにしてんの?」
「ストレス解消」

 ネカフェの日金曜日
 なんか来て早々ぎゅぅぅうっと力強く抱き着いてきたんだけど。俺におっぱい以外のことを考えさせないようにする妨害行為? 大成功だね。

 ……で、ほんとなに?