第3部 第3章

第1話 色ボケていた罪と罰

 少しだけ……色ボケていた自覚はあった。

「~~っ」

 ぼふぼふっと力の限り枕を叩く。
 それでも、衝動は抑えきれなくて、じたばたと足をバタつかせる。

「りぃつぅうぶふぅぅっ」

 枕に顔を押しつけると、声が振動で返ってきた。
 散々喚いて、パタリと息絶える。冬の夜。ひっそりとした静寂がゆっくりと満ちていく。けど、炉に火を焚べるようにすぐに胸が熱くなった。

「あれは、なに?」

 そっと唇に触れる。
 まだ熱を持っているみたいだった。

 口づけ。

「~~っ!?」

 じたばたっ……ぱたん。
 これまでだってキスはしていた。それこそ、付き合う前から。

 会えばちゅってして、気が向けばちゅってする。律が照れていたらかわいいからちゅーってするし、意味はなくてもちゅってしたい。

 やりすぎな気もするけど、付き合ってるし、愛情表現の一種だから問題はない。……ない、んだけどぉ。

「………………あれは、ちゅーじゃなかった」

 なかった。
 ちゅーじゃなくて、キス。キスというか口づけ。
 行為としては同じはずなのに、心の動揺が激しすぎる。台風に吹かれる蝋燭の火くらい。それは消えてる。

 律からキスをしてくるのも初めて……じゃないけど、初めてみたいなものだ。気分的に。
 今回も私からお願いしたけど、最初は断っていた。
 外だし、お店だった。
 だから、仕方ないと諦めたのに、どういう心変わりか口づけしてきた。

 受動から能動。
 受け身じゃない律からの行為は、普段とは別種の感情を口移してきて、あれから10時間以上経っているのに魔法瓶のように私の中の熱を保ち続けている。

 ちょん、と指の関節を唇に当てる。

「積極的な律も……」

 悪くない、かも。
 恋人になって意識が変わる。私も律も。

「意識してぇー」

 あと2週間もすればクリスマス。
 約束はしていないけれど、きっと初めて恋人と迎える聖夜になる。

「もしかしたらー」

 ある……かも。
 ないとは限らない。表面的な変化は薄くとも、確実に私と律の関係は進展しているのだから。

 期待は、はしたないかもしれない。
 一緒にいられればそれでいい、そういう純粋な想いもある。でも、もし今日みたいに律に迫られたら……きっと私は拒まない。笑って、照れて、でも受け入れる。

「……あっつぃ」

 顔が火照ってる。
 熱で倒れそうだ。でも、やることはあって、というかできて、下着の引き出しを開ける。

「やっぱり白いレース? 律もフリフリが好きって言ってたし。でも、こういうときは大胆にスケスケ……いっそ紐。男子はカル◯ン・クラインが好きってクラスの女子が――」

 聖夜に履くのはどれがいいか。
 広げて、ベッドにぽいっと投げて。
 気も早く選んでいたら、扉を叩くノック音にびくっと体が跳ねた。慌てて、引き出しを押し込んで、ベッドの上の下着を掛け布団で隠す。

「優莉。少し……どうかしたの?」
「な……んでもない、よ?」

 ベッドに突っ伏す私を見て、お母さんが不思議そうにしている。
 まさか、クリスマスに履く下着を選んでたとは言えず、額の冷や汗を拭い、笑って誤魔化すしかない。

「そう?」

 と、少し訝しんでいたけど、「ならいいけど」とすぐに引いてくれて胸を撫で下ろす。いつものように笑顔を向けると、お母さんはうーんと困ったような声を出す。
 言いづらそうな反応。

 なにかやった?
 でも、やらかしは思いつかない。勉強はいつも通りやっている。休日のボランティアもしていて、つい先日も近くの公園でやっていた地域の交流会の手伝いをしたばかりだ。
 生徒会長になって、教師からの内申も悪くないはず。

 学内外ともに母に付け入る隙を与えたつもりはなかった。
 ……のだけど、

「これ」

 渡されたのは11月に受けた模試の結果。
 そういえば、近々Webで公開される予定だった。何気なく見て……見て、そっと折りたたむ。

「B判定ね」
「……そう、だね?」

 冷凍庫で冷やしたのかなってくらい冷たい汗が顎下を流れた。
 難関大。
 高校2年生でB判定なら悪くないはずだ。そのはず……なんだけど、これまでA判定を取っていただけに、成績が下がったと見なされているのは間違いなかった。

 私個人としては別に興味はない。
 それこそ、ふーん? で、律との話題を考える方が大事だ。

 でも、ここに母が関わってくると、少しよろしくない。というか、ひじょーにマズい。
 頬に手を当てて、お母さんが小さく息を吐いた。

「やっぱり、独学だけじゃ難しいかしら」
「あの……お母さん?」
「今度、家庭教師をつけましょうか?」

 ね? と笑顔を向けてくるけど、ね? じゃない。
 生徒会長になってさらに自由時間が削られているのに、そんなものを入れたらなくなる。私の時間律と会う時間が。

 これまで外で勉強してくるで誤魔化していたのに。
 家庭教師となると、その手が使えなくなる。

 最悪、クリスマス律とのデートすらも……考えて、体の震えを押さえながらどうにか広角を持ち上げる。口の端が引き攣ってるのが、鏡を見ないでもわかった。

「せ、生徒会に入って忙しかったから、ね? 次は大丈夫だから、心配しないで」

 母はやや心配そうだったけど、今日はどうにか押し切った。部屋からお母さんが出ていき、パタパタとスリッパの音が離れていくのを扉越しに確認して――パタンッとベッドに倒れる。

「…………色ボケてた」

 油断とも言う。
 気をつけないと、律に会えなくなってしまう――。

  ◆ ◆ ◆

 初めてみる光景に、漫画を読むのを忘れて見入る。

 カリカリッとシャーペンの音が響く。
 背中を丸めて、灰野が参考書を広げて勉強している。学校でこそ目にするが、ネットカフェではまず見ない。

 灰野がネカフェですることといえば、ぐだって寝ているか、俺にべったりくっついているかのだいたい2択。もはや事件で、二宮金次郎像が動き出したくらい驚いている。びっくり。

「人格でも増えた……?」

 ひとり呟いたら、ぽろっと灰野の手からシャーペンが零れ落ちた。
 ころころ転がって、ぽとりとフラットシートに落ちる。

 落ちたシャーペンが俺に膝に当たる。拾って、顔を上げて――ぎょっとした。

「……なんで泣いてんの?」
「りつぅ」

 ベージュの瞳がうるうるしている。
 なに? と思っている間にプロレスラーもかくやのタックルで鳩尾に飛び込んできた。ぐふっ、と腹から息が押し出されて苦しい。

 俺への衝撃に気づいてないのか、灰野は俺の腹部に顔を押しつけて、びえーんっとわかりやすい泣き真似をし始める。

「律ぅ、駆け落ちしよ?」
「映画のクライマックス?」
「イントロ」

 余裕あるね、君。