第1部 第6章

第1話 高校生の男女がふたりで入るには、浴槽は狭い

 灰野の後ろで世界が光る。
 さっきまで怯えていた雷も、彼女の前だと不思議と怖くなかった――なんて情緒的なものではなく、ただただぽかんとしていた。開いた口が塞がらないとはこのことだ。あんぐり。

「…………なんで?」
「見て、傘の骨バキバキ」

 壊れたビニール傘を振ってくる。びしゃびしゃ水滴が顔にかかるが、それが気にならない程度には灰野の来訪に驚いている。

「………………なんで?」
「律がバグった」

 いまの俺が壊れた機械みたいなのはそう。上手く頭が回ってない。

「初めて律が頼ってきたからかな」
「……家まで来いとは言ってない」
「来て欲しかったでしょ?」

 にっと笑う。
 本音を言えばそうなるかもしれないけど、だからといってこんな雷まで鳴っている豪雨で女の子を呼び寄せるほど自分勝手じゃない。

「濡れちゃった、タオルー」
「新品あったかな」
「律が使ってるのでいいよ」
「消臭剤かけさせて」

 俺が気にする。
 とりあえず、中に入れる。伸ばした手が見えなくなるような豪雨だけど、ずぶ濡れの女の子をいつまでも外にいさせるわけにもいかない。白いブラウスで、内側の白い下着も透けてるし。

 ……なんで白。

「ん? 律が好きかなーって」
「好きだけど」

 思考を読まないで。
 ニヤつかれてるのがほんと嫌。こんな悪天候だと、普段以上に感情を隠すのが難しい。心のファイヤーウォールはぺらっぺらで、顔を見られただけでなにを考えているのかがわかるんだろう。

「ほい」

 比較的新しいバスタオルを玄関で待っていた灰野に投げた。ありがと、とお礼を口にした灰野がそのまま髪を拭くのかと思えば、顔を埋めて……?

「すーっ」
「洗濯してるから」

 でも、匂いは嗅ぐな。

「フレグランスの奥に、律の香りがする……」
「やっぱ犬だな」
「しゃーく」

 鮫推しは続いているそうだ。
 鳴き声はそれで合ってるの?
 一向に拭かないので、代わりに拭いてやる。すると、頭を傾けてきてされるがままだ。

「ありがと」

 お礼を言って、灰野はようやく玄関を上がる。こんな雨でもサンダルで、よくもまぁここまで歩いて来れたものだ。部屋に案内しようと思ったが、軽く拭いたところで濡れ透けの服はどうしようもない。

「なんか着替えいるか」
「お風呂沸かして、寒い」

 くしゅん、とタイミングよくくしゃみをする。
 初めて上がるひとんで、よくお風呂借りるなんて言えるものだ。俺としては、これくらい遠慮ない方が楽だからいいんだけど、度胸はすごい。

「はいはいお嬢様の仰せの通り」
「一緒に入る?」
「灰野に濡らされたし、そうするかな」

 もちろんただの軽口で一緒に入るつもりはない。
 いくら濡れたからって、クラスの女子と同じ湯船に浸かるとか意味わかんないし。デリヘルを頼んだ覚えもない。ひとまず、リビングで灰野を待たせて、風呂を沸かす。

 その間、ホットココアで場を繋ぐ。

「……いい甘さ」
「いつものだから」
「結構なお点前で」

 もとの味をぶっ壊してるので、作法も手順も最悪だと思う。もてなしの心という一点においてだけは、意味として正しいのかもしれないが。
 一息ついていると、軽快な風呂のメロディーが流れる。

「沸いたね」
「これ、どこの家でも一緒なの?」
「うちもこれ」

 そうなのか。
 メーカーが同じだからなのか、それともお風呂が沸きましたメロディーは規格として統一されているのか。製品ごとにわざわざ変える必要もないんだろうけど、不思議だなー。

「じゃ、入ろうか」
「いってらっしゃい」

 ひらひらと手を振ったら、首を傾げられた。

「なに言ってるの?」
「ばいばーい」
「そうじゃなくて」

 なんでか腕を掴まれる。

「一緒に入るんでしょ?」
「……は?」

 なに言ってんの?

  ◆ ◆ ◆

 かぽーん、と。
 風呂場らしい音が反響した。

 膝を抱えて肩までお湯に浸かる。
 風呂の温度はいつもとかわらないはずなんだけど、なんでかなー。やけに熱い気がする。汗もやたらかく。なぜか。……いや、誤魔化してもしょうがないんだけど。

「…………なんで一緒に入ってんの?」
「律が言ったから」

 そうだけど、そうじゃない。
 ふたりで入るには狭い浴槽。膝を抱えた灰野が目の前にいて、足先がちょんっとぶつかる。当然、水着なんて気の利いた未成年フィルターはなく、お互い素肌を晒していた。

「雷が怖すぎて現実の俺は気絶してる……?」
「~~♪」

 機嫌よさそうね、君。