第2話 いまから24時間耐久でセッ◯スしてそんな女忘れさせる

 なにをどうしたら駆け落ちという話になるのか。
 そもそも、ネカフェで勉強している理由すら見いだせない。

「つまり、俺は灰野がよくわからない」
「彼女なのに?」
「でも」
「ぴえん」

 いまでもぴえんって使ってるんだな。女子同士だとイラつきなものだが、彼女相手だと…………。

「彼女相手でもイラつくんだな、初めて知った」
「そんな初めて経験しないでぇ」

 ふぇーん、と人の膝の上でうつ伏せになる。
 これが猫ならまだ可愛げもあるが、高校生ともなると鬱陶しさの方が勝つ。……勝つのだが、それでもかわいいなと口の端が緩みそうになるのは、惚れた弱みという奴だろうか。

 あ、でも、ちらっとこっちの様子を窺うのは鬱陶しい。好きでも。

「駆け落ち理由は?」
「家庭教師を雇うかもしれないんだよ」
「へー」

 ……だから、なに?

「勉強頑張ってますねー、って褒めればいいの?」
「褒めて」
「よしよしえらいねー」
「えへー」

 撫でる。

「違くて」

 ならやらせるな。

「そうすると、律と会える時間が減っちゃう」
「でも、俺たち高校2年生で、来年には受験だろ? 勉強で時間が減るのはOLが婚活するくらいには普通では?」
「私は婚活しませーん」
「なんで?」
「…………婚姻届持ってくる」

 冗談だったんだけど、割りかし本気で落ち込んでしまったので、また頭を撫でる。そしたら、ぐいぐいっと頭を寄せてくるのでわしゃわしゃ猫かわいがり。

「で、婚姻届は書いてくれる?」
「別にいいけど」
「やたー」

 両手を上げて喜ぶ。
 単純で助かる。婚姻届の記入が単純かはともかく。

「でも、家庭教師は嫌」

 振り出しに戻る。
 テーブルに広げた勉強セットを見る。

「勉強してなくなるの、それ」
「原因が模試のB判定だから」
「藻紙」
「藻の紙じゃない」
「こわ」

 なんでわかるんだよ。違いなんて、俺の頭にしかないのに。

「頭にアルミホイルを巻くべきか」
「それでもムリかなー」

 そう言って、灰野が膝の上から起き上がって、正座する。
 顔を近づけてきた。キスかな? とちょっと身構えたけど、唇は離れたままで、こつんっとおでこをくっつける。
 硬い骨の感触。でも、体温が伝わってくる人肌。

「こうしたら、律の気持ちは伝わってくるから」

 ふっふっふ、と得意げに笑う。
 さっきはしてなかったじゃん。そう言いたくなるけど、さすがに無粋なのはわかる。

 顔の近さに心臓が早鐘する。
 金木犀の香りが鼻先をくすぐって、安心と一緒にどうしようもなく羞恥を呼び起こす。

「……なら、いまの俺の気持ちわかる?」
「こんな触れ合いいまさらなのに、恥ずかしいなーって」
「……」
「答えは?」
「…………正解」

 ちゅっとしてくる。

「正解したご褒美」

 にへーっと笑ってきて、心臓がうるさい。
 ぐるぐると目玉が回って痛い。荒く熱くなりそうな呼吸をどうにか抑えたけど、舌先がじんわりと熱気で湿る。

「あー……」

 と、臓腑に溜まった熱と劣情を吐き出す。
 そのまま灰野の肩にとんっと額を押しつける。

「押し倒したい」
「情熱的ー」
「風船みたいに軽い」

 結構な告白だったのに。

「私はいつも律を抱きたいから」
「男前ー」
「でしょー?」

 なんで自慢げなのかわからないけど、格好いいなーと思ってしまう。俺、抱かれる側なのか。そう思うも、これまでの灰野との交流を思い出すと、全体的に受け身だったなと気づく。

「さもありなん」
「なんで古語?」
「余裕ないから」
「さもあらん」

 灰野が俺の後頭部に両手を回して、ぎゅっと寄せてくる。
 耳たぶを吐息で湿らすようにぼそっと囁いてきた。

「……する?」

 脳の芯が熱した鉄のように熱くなる。
 そのまま衝動に身を任せたくなる。灰野の肩をぎゅっと強く掴んで――はぁっと脱力する。

「しない」
「えー、しよーよー」
「軽いって」

 お互いに初めてなのに、どうして灰野はこうも……こうも…………。

「初め、て?」
「処女厨?」
「そうじゃない、けどー……」

 違うけど。そのはずだけど。
 もしも違うと否定されたらと思うと、心がざらざらする。鉛のように重くなって、息が苦しくなる。喉が絞められたみたいに、空気の通り道が狭まる。

 過去に灰野がどうしてようと自由で。
 だから、俺がどうこう言う問題じゃないのに。

 燻ると、灰野が両手で俺の頬をふにっと包んでくる。その顔はやけに嬉しそうで、でへーっとちょっとだらしない。

「初めてだから、そんな顔しないで」
「……別に、普通の、顔」
「捨てられた子犬だったよー」
「見たことあんの?」
「ないね」

 でも、かわいい。
 そう言って、髪をくしゃくしゃにされる。

 子ども扱いされて悔しいが、脱力して倒れそうなくらい安心してもいて、もういっかと考えるのを放棄する。いつも、子ども扱いするのは俺の方なんだけどなー、と灰野の手に身を任せていたら、ぴたっとその手が固まった。

「……律も初めてだよね?」
「違うって言ったら?」
「いまから24時間耐久でセッ◯スしてそんな女忘れさせる」
「怖いって」

 重いって。

「……灰野が」

 言いかけて、喉まで上ってきた声を寸前で変える。

「優莉が……初めてだから」

 少しだけ特別感を出そうと思った。
 ただそれだけだったんだけど、背中の壁を避けるように横方向に押し倒された。

「なに?」

 四つん這いで見下ろしてくる灰野が怖い。
 瞳が潤み、熱を宿しているように見える。

「いまの同意だよね?」
「不同意だよ」

 なに言ってんの、この子。

「でも、律が悪いから」
「誘ってないから」
「誘惑された」

 男女の禅問答。
 普通、立場が逆だと思う。

 熱っぽい瞳に当てられて、このまま流れに身を任せるのもありかなー、なんて思うけど、さすがにネカフェでヤるような迷惑カップルにはなりたくない。

「勉強はいいの?」
「……次、A判定取れば問題ないから」
「なら、頑張らないと」
「…………そうだね」

 現実に突きつけると、見る見る灰野の顔がしょげていく。しわしわ灰野。
 どうにかなった。
 そう思ったけど、

「じゃあ、せめて予約しとく」

 灰野の顔が下りてきて――かぷっと首筋に噛みつかれた。