第5話 起きて、最初に目にするのがあなただと嬉しい

「それでバイトの理由は?」
「……まだ言うか」

 頬をふにっと抓る。
 なんでこんなにもちもちしてるんだ。ふにふにしていると楽しくなってきて、「ほにゃほにゃ」と灰野の表情ももちっとしてくる。どういう構造してんだ。

 しばらく弄って、これ以上恥もないかと口にする。

「彼女さんにクリスマスプレゼントを用意しようと思って」
「ほう、彼女さんに」
「そ」

 と、俺と同じファーストピアスにちょんっと触れる。

「それは大事だね」
「だろ」
「なら、私も彼氏さんに用意するよ」

 ちょんっと俺のピアスに触れる。

「そりゃ大事だな」
「ね」

 大事。

  ◇ ◇ ◇

 今日はいいことがあって、気分も上々。
 だから、ふと気が抜けて油断してたんだと思う。

「優莉……ピアスつけてるの?」

 しまった。
 そう後悔したときには遅い。髪を乾かしてから、隠すのを忘れていた。

 さっと耳に触れる。

「うん、どうかな?」
「……そう、ね」

 煮えきれない返答だ。
 見つかってしまった以上、下手に悪いことをした雰囲気を出してはいけない。お洒落の一環としてやりました。似合ってるでしょー? と、こっちの意見を押しつけるくらいがいい。

「友達もやってて、学校では禁止されてないから」

 みんなやってるは大事。

「似合ってはいるけど……」

 リビングでテレビを観ていたお母さんがなにか言いたそう。気持ちの整理がつく前にさっさと部屋に逃げよう。
 臭いものに蓋。
 その場しのぎでしかないけど、明日は明日の私がなんとかする。

 リビングを出て、2階に――

「悪いお友達と付き合ったりしてない?」

 ――ガチッと体が固まった。
 悪い………………友達?

「ピアスだけでとは思うけど、最近物騒だから。ニュースでも若い子が軽い気持ちでよくないことに手を出してるって。受験にもあまりよくないでしょうし、優莉に限ってそんなことはないでしょうけど」

 心配してますアピール。
 わかってる。わかっていますとも。急にいままでとは違うことをすれば目につく。別にピアスを否定しているわけじゃない。釘を刺しておこうとかそんな程度。

 これまでだってそういうことはあったし、この程度で怒っていたらはークソ。
 くるっと踵を返して母のもとへ。

「優莉?」

 どうしたの? と見上げてくるお母さんに向けてにっこり笑う。

「――私の友達に悪い人はいないから」

 言って、踵を返す。
 呆然としている母の姿が瞳に焼きついた。ちょっと罪悪感があって、でも大部分はすっきりしていた。
 たぶん、大して私の気持ちなんて伝わってない。
 言葉通り、後日ごめんなさいって言って終わり。それが私か母かは知らないけど。

 このくらいの反抗は十分に日常の中に収まる。
 収めて……ズレる。
 少しずつ、こういうことを長い年月の間何度も重ねて、いつか致命的になる。

「母娘でも、人同士の関係だから」

 合わない人は合わない。
 逆に血が繋がっていなくても、合う人は合う。

 部屋に入って、素早く扉を閉める。
 ベッドに飛び込む。鞄からスマホを引っ張り出して、タプっと。

「こんばんは彼氏ー」
『……いま忙しいんだけど』

 その割にワンコールで出てくれた。
 無意識に足がパタパタした。電話から油の音が聞こえて料理中だー。

「今日は寝かせないゾ☆」
『睡眠BGMでも流しておくか』
「寝かせよーとするなー」

 あー……すっごく楽しい。

  ◆ ◆ ◆

 通話をかけてくるのは初めてかも……と、考えたところで雷の日を思い出す。

『寝てる?』
「料理中」

 思い出して、ぶんぶん頭上で手を振ってなかったことにする。今日が初めて。雷が怖くて通話したとかない。

『こうやって通話するのは、律が雷がこわーいってかけてきたとき以来だねー』
「………………そうね」

 埋めた記憶をあっさり掘り起こされた。

『なんの料理?』
「シチュー」
『ビーフ or クリーム』
「クリーム」

 市販のルーを溶かして、とろみをつける。
 大量に作って、すぐに食べるの以外は冷凍。残りはグラタンとかにリメイクして、明日以降の夕飯も手軽にする。

『おばあちゃんの知恵袋みたいだね』
「表現」

 せめて主婦の知恵と言ってほしい。
 作った料理をテーブルに並べて食べ始める。その間も通話は繋がっていて、普通に話しかけてくるからスピーカーモードに切り替えた。

『美味しい?』
「クリームシチューの味」
『捻くれ者ー』
「や、自分の料理に美味しいって言いづらい」

 美味しいは美味しいんだけど。
 俺が作ったものでちょー美味しいと言ったら、自画自賛みたいになってなんか嫌。

 そういうものか、とスマホがほむんっと唸る。知らない間にビデオ通話になっていて、ベッドで転がっている灰野が映っていた。……見慣れてるのに、不意の寝間着姿にときめくのはなんでかな。

 一応、こっちもビデオ通話にする。

『なら、私が食べて美味しい美味しいしてあげる』
「はい」

 画面にシチューを映す。

『飯テロ』
「そういうアニメありそう」
『めしてろ△』
「ゆるっとご飯食べてそう」

 話して、片付けて、寝る準備して。
 俺もベッドにぼふっと転がる。通話はまだ繋げっぱなしだ。

「……ほんとに寝ないの?」
『ね……にゃぃ』
「猫さん」

 声が寝てるよ。
 スマホの灰野も目がとろんってしていて、いまにも夢の国に旅立ちそうだった。ごめん寝まであと少し。
 起こす理由もないよな。壁に立てかけて、寝転がって見えるようにする。

「なんか」
『……うん』
「鏡の向こうに灰野がいるみたい』
『……口説いてる?』
「どこがどう繋がったの?」
『…………ろまんちすとぉ』

 返答が遅くなっていく。
 鏡の向こうの灰野の瞳はほとんど閉じていて、でもうっすらと琥珀の瞳がスマホの光を吸い込んで輝いていた。人工の光でも星が瞬くのを知った。

『……りつぅ』
「なに?」
『…………ありがと』

 なにが、とは言わない。
 そのまま寝息が聞こえてきて、俺も瞼を閉じた。

 ……――
 起きて、最初に見たのは微笑む灰野だった。

『おはよ』
「……おはよ」

 消し忘れた。
 どこかで通話を切ろうと思ってたんだけど、タイミングを逃してしまった。どっちが切る? で、ずっと切れなくて最後はせーのでみたいなのもなかった。
 別にやりたいわけじゃない。

『こういうの……いいね』
「なにが?」
『起きて、最初に目にするのが律の顔なの』

 それは俺もで。
 ただ、朝から口にするには重たくて、舌を浅く噛んで「……そうね」と同意するのがやっとだった。そんな返事にも灰野は嬉しそうに笑って、律とマシュマロのように甘い声で俺を呼ぶ。

「――大学生になったら、一緒に暮らそう」

  ◆第1章_fin◆
  __To be continued.