第2話 いつかお互いに傷をつける約束をする

 始発の各駅停車。
 車内にはスーツや学生の姿があった。週末とはいえ金曜日の平日なんだからそれは当然で、私服の俺と灰野の方が非日常枠だろう。

「出勤、登校してる人たちを尻目に、温泉旅行は気分がいいねー」
「性格悪いなー」
「悪女なので」
「自覚あったんだ」
「……いまの、否定するとこなんだけど?」

 事実と冗談の見極めが難しいな。
 耳たぶを摘んで引っ張ってくる。見極めに失敗した罰として甘んじて受けてたら、そのままふにふにして放してくれない。

「意外と柔らかい」
「耳たぶだから」
「私のは?」

 すっと指で横の髪を流して、色素の薄い耳を曝け出す。
 耳たぶふにふに。

「餃子の皮」
「マシュマロでしょ」
「うどん」
「かわいくなーい」

 耳たぶにかわいいとかあるのか。

「律はピアス開けないの?」
「まずその発想がなかった」

 ファッション方面の興味が薄いからな。

「灰野も開けてないだろ」

 穴のない、綺麗な耳たぶの上を撫でる。

「私は親が厳しいから」
「学校はありなんだっけ?」
「派手じゃなければ」

 そういう微妙なラインが一番困りそう。
 先生によって基準も違いそうだ。
 でも、最近は他の学校でも自由なところが多いと聞くし、親世代ほど規律でぎゅうぎゅうなところも少なそうだ。髪を染めてもいい。

「化粧の特別授業とかあったよな」
「あったねー」

 男女一緒に。

「感想は?」
「面倒」
「だよねー」

 体験だったから30分くらいだったけど、それでも手間で。

「毎朝やってる女の子には頭が下がるよ」
「ひれ伏したまえ」
「ははー」

 乗り換えでだーっと人が降りていく。
 待ち合わせで、しばらく停車。

「もし私がピアス開けるなら、律も開ける?」
「怖いの?」
「怖い」
「素直でよろしい」

 痛いとか痛くないとか。
 噂だけは聞く。後処理が面倒だとも。

「うちはそんな厳しくないし、そのときは付き合うよ」
「なら――」

 灰野がまた耳に触れてくる。

「律のは私が、私のは律が開けてね?」

 ぎゅっと耳たぶを強く押される。
 パチンッ、と。
 どこかで穴を開ける音がした。

  ◆ ◆ ◆

「チョコクッキー、ポッ◯ー、トッ◯、羊羹」
「甘くない?」

 カゴに吸い込まれていく糖分たち。
 これ、ロマンスカーの中で食べきれる? 箱根に着いたらお昼にするんだけど、いける?

「移動中の間食は旅行の醍醐味でしょー」
「わかるけど」

 せめてしょっぱいものが欲しい。
 じゃが◯こと、チーかま。

「お酒のツマミ?」
「……家にあるから」

 否定はしない。
 だって、母親の晩酌セットだから。

 会計を済ませて、駅のホームで待っているとすぐにロマンスカーがやってきた。指定席を探して乗り込むと、灰野は飛び込む勢いで窓際を確保する。

「私ここー」
「お好きにどうぞ」

 隣に座る。

「いいよね、ロマンスカー。これから旅行って感じで」
「いつもとは違う感覚はあるな」
「椅子にテーブルがついてるのもいい」

 灰野が肘掛けからテーブルを引っ張り出す。

「律ー」
「はいはい」

 さっき買った缶のココアと菓子類を置いてあげる。

「あー……非日常の味」
「ポッ◯ーだけど」
「風情がなーい」

 口にポッ◯ーを突っ込まれる。
 さくさく。

「チョコとクッキー」
「感想が死んでる」
「感想って死ぬことあるんだ」

 初めて知った。
 なんてやり取りをしているうちに、ロマンスカーが走り始める。俺も缶コーヒーをかしゅっとして、ひと口。

「へーき?」
「へーき」
「ほんとに?」
「……揺らさないでくれます?」

 酔ってないか確かめる方法としては最悪すぎる。怒った? って、殴って確認するくらいの暴挙。

「朝、薬飲んだし」
「あれってなんで酔わなくなるの?」
「さー?」

 酔い止めの原理なんて知らん。

「……なに飲んでるんだろうね?」
「怖い怖い」

 目元に影を落としてにこっとしないで。

「薬ってそういうものだろ」
「そうして我々は知らない間に体を作り変えられているんです」
「はいトッ◯」
「わーい」

 不都合な真実は、賄賂お菓子で黙らせるのが一番だ。大人って汚い。
 そうしているうちに窓の外の光景も変わっていく。ビル街を抜けて、遠くに見えていた山がずいぶんと近くなった。

「…………ねむぃ」
「幼女」
「幼女でーふ」

 ふにゃっとした顔で寄りかかってくる。

「旅行の楽しみは?」
「ロマンスカーは帰りにもあるから……」
「夜ふかしするから」

 朝早いってのに、昨日の晩もずっとどこ行こうかとはしゃいでいた。まんま遠足前の子ども状態で、学校での優等生とは落差が激しい。ネカフェのときよりも稚いとけない気もするが。

「はしゃぐと幼女化するの?」
「若いって褒めた?」
「ちょー褒めた」
「これが若さか……」

 それはおじさん側の台詞。

「……すぅ」
「寝てるし」

 寝入りも幼女並に早かった。
 その寝顔は緩んでいて、だらしない。

「でも、ネカフェのときよりはいいか」

 電池が切れたみたいに、疲れ切った顔で寝ているよりは。
 ちょんっと鼻に触れると、眉がぴくりと動いた。
 その反応が面白く、よりちょっかいをかけたくなるけど、起こすわけにもいかないので手を下ろす。

 コーヒーをひと口。

「……本でも読むか」

 鞄から引っ張り出す。
 ロマンスカーの小さな揺れ。肩の重み。ページを捲る音。

「悪くないな」

 悪くない。