第1話 こそこそ旅行に行こうとして、なんだか浮気っぽい
寝ている灰野を置いて、洗面所に行く。
顔を洗って、歯ブラシににゅっと歯磨き粉を乗せていると、「はょぉ……」と鏡に寝ぼけている灰野が映り込む。
「……ぐぅ」
「寝るなー」
人の背中に頭を預けて二度寝されても困る。
それならまだベッドで寝ててもらった方がいいんだけど、一応旅行の朝だからか、それとも俺んちといういつもとは違う環境だからか、頑張って起きようとしているっぽい。
「かお、あらって……」
「介護かな?」
「あさごはんはー、まだかのぉ」
「さっき食べたでしょ?」
「たべてなーい」
作ってすらいないからな。
いつまでもひっつき虫をされてたら動けないので、ぬるま湯で濡らしたタオルで顔を拭いてあげる。
「あー……きもちぃ」
身を任せてくるので楽だ。
赤ちゃんかもしれない。首の下を撫でると、ちょっとくすぐったそうに身動ぎして、パチリとベージュの瞳が開く。
「おはよう」
「はい、おはよう」
やっと起きた。
歯磨きに戻ると、灰野も歯ブラシを取り出す。昨日、洗面所に置いておいた旅行用のものだ。ピンクの歯ブラシ。俺のもあって、いまもコップに立ててある。
「あ、お揃いの使ってなーい」
「家だもの」
「契約違反だー」
「サインした覚えないんだけど?」
「代わりにしといた」
「私文書偽造罪」
いはんいはんとうるさいので、新しい歯ブラシを使う。鏡でしゃこしゃこ。灰野も隣で磨き始め、なんなんだろうねこの状況。
「ようひへんのおふぉふぁりかい」
「ままー……うぇっ」
母親が恋しくなった幼稚園児の真似をしてると思ったらえずき出したんだが。歯ブラシが奥まで入っちゃった?
「……精神を削る真似をしちゃった」
「代償のある主人公の必殺技?」
がらがらぺっとして。
磨き終わって、コップに立て直す。って。
「なにしてんの?」
「撮ってる」
「それは行動の説明」
理由の説明をしてくれ。
言っても、灰野はコップに立てた歯ブラシをカシャカシャしている。俺にはわからない世界すぎるな。
▢ ▢ ▢
「うっわ」
起きて、イン◯タ眺めてたら、すげーのが流れてきた。
コップと歯ブラシ2本。しかも、ピンクと青。
委員長がアップしてるんだから、ピンクはわかる。でも、青は男物っぽいし、一緒のコップに立ててるのがもー確信犯。
「そーいえば、旅行行くとか言ってたっけ」
お土産よろーしたな。
また露骨なと思うけど、一応違う可能性もある。見栄っ張りかもしれないし。虚しい彼氏いるよアピールちゃんも結構いるからなー。
「委員長はそういうタイプじゃないでしょうけど」
今日は金曜日。
ふつーに平日で、授業はある。
スマホを口元に寄せる。
「……委員長は休みとして」
副委員長も休みだったら、御田の付き合ってるって妄言も真実味が帯びてくる。
◆ ◆ ◆
旅行鞄を持って、忘れ物は……なし。
「灰野ー」
「いま行くー」
呼ぶと、俺の部屋から灰野の声が聞こえてくる。変な感じ。まだ時間はあるし、そこまで急がなくてもへーきだけど……ん?
「通知?」
メッセージ。
見て、ふっと口元が緩む。
「浮気かー?」
「ぐぇえっ」
やってきた灰野が背中から乗っかってくる。
「重いって」
「当ててんのよ」
「当ててるかどうかは訊いてない」
ぎゅむぅうって押し潰れてるけども。
「ニヤニヤしてたけど、エロ動画でも観てたの?」
「盛ってない」
「じゃーなんだよー」
「あんまりくっつかないで? エロ動画よりもエロい気分になるから」
「私の勝ちということだね」
エロ動画に勝って嬉しいか?
「で、浮気でもエロ動画でもなかったらなに?」
「浮気に覚えはないんだけど」
彼女いないし。
「男はみんなそう言う」
「浮気の定義って?」
「女子と会話」
重い。
「なら、浮気かもな」
後ろから伸びてる灰野の手にスマホを握らせる。
「“いってらっしゃい、楽しんで来てね!”……母」
普段はメッセージなんて送ってこないのに。
こういうときだけ母親っぽいことをするんじゃなくて、普段から……って。
「なにしてんだよ」
人のスマホをタプタプ。
「“息子さんを頂戴いたします。女の子とふたり切りで爛れた温泉旅行――”」
「没収」
「あー」
あー、じゃないが。
なに人の家庭を指先ひとつで壊そうとしてんだ。
「……あれ? どっちかというと浮気相手って私?」
「そんなわけー……あるのか」
「ね?」
疚しいことはないが。……ないが。
隠れてこそこそ旅行なんて、確かに浮気っぽくはある。
「愛人の灰野でっす!」
「いかがわしー」
「昨夜は一緒のベッドで寝ました」
「……寝たけど」
本当に寝ただけだ。
「そして、このことが本妻の灰野にバレて――」
「置いてくわー」
灰野の昼ドラごっこに付き合ってたらバス行っちゃう。
「わーん、捨てられたー」
ご近所に誤解されそう。