第4話 よろしく、婚約者様
長い避暑……監禁? 生活も終わって、俺は学園に戻っていた。
まだ夏季休暇は残っていたけど、人が集まるのに派閥のサロンは丁度よかった。なにより、日常に帰ってきた、という感覚があって、意外と学園も悪くないのかな、とも感じる。
授業が始まったら、すぐに嫌になるんだろうけど。
「……眠い」
いつもはイリスが寝転がっているソファーで天井を見上げる。白い天井を見上げて思い出すのはスノーティア公爵領。王都はまだまだ夏の暑さに満ちていて、早くも恋しくなってくる。
それと同時に、思い出すのはスノーティア公爵のことだ。
『すまなかった……ありがとう』
馬車での見送り。
謝罪と感謝だけを公爵は伝えてきた。父娘そろって不器用というか、あの人はあの人で公爵という立場に縛られて生きてきたのかもしれない。
その生き方は貴族としては正しいのかもしれない。けど、俺は嫌だなぁ、とつくづく思う。
でも、嫌だ嫌だのその先。
自由に生きるという難しさも今回のことでわかった。俺も上の兄になにかあったときのスペアなんて嫌だと拒否し続けてこそいるが、その先の生き方というものを見つけられないでいる。
役割に縛られない、自分らしい生き方、か。
存外、それが一番難しいのかもしれない。そう考えると、俺とアイシアもまだ道の途中で、立場はそう変わらなさそうだ。
「ルシアン、珈琲はいるかい?」
「こーひー……あぁ、あの苦いやつか」
苦手なんだよなぁ、と思いつつも、貰う、と行儀悪くも寝そべったまま応える。メイドはそんな俺の態度を気にせず笑顔でうけたまわって持ってきてくれる。相変わらず真っ黒……と思ったけど、なぜか白みがかっていて、言っちゃ悪いが泥水に見える。
「なにこれ?」
「ミルクを加えたんだ」
「へー」
言いつつ、ちょっと躊躇う。
ただ、勧めてきたのなら美味しいはずだ。そう思い口につけると、以前感じた苦みは緩和されて、すっと飲みやすい。なにより、甘さがあって美味しかった。
「美味しいかい?」
「美味しい」
「工夫したからね」
嬉しそうに笑みを浮かべて、メイドは隣で膝をついた。ニコニコと微笑んで、珈琲を楽しむ俺のお腹にそっと手を乗せてくる。気にはなる。けど、それくらいならいっか、と思っていると、どうやらよくない人もいるらしい。
「なにしてんの?」
「コーヒー飲んでる」
「あんたじゃない」
「酷くない?」
俺と入れ替わるように椅子に座っているイリスが吐き捨てる。だって、俺の方向いて言ってるんだから、勘違いするじゃん。なんだか悲しくなっていると、よしよしとメイドが髪を撫でてくる。
子どものように甘やかされるのは恥ずかしい。でも、心地よくてつい身を委ねそうになる。
くすぐったさに髪を振ると、くすくすと上品な笑みを零された。やたら機嫌いいな、と思っていると我慢の限界とばかりにイリスが椅子を蹴るように立ち上がった。
「あんたに言ってんだけど? アイシア」
「言ってもらわないとわからないよ? イリス様」
メイド――の格好をしたアイシアは、イリスの方も向かずに応えたまま、ただ俺を見て、触れてくる。それが癇に障るとばかりに、イリスの声が棘々しくなっていく。
うわぁ、面倒そう。
耳を塞ぎたいところだけど、手にはグラスがあって、放せない。
「というか、なんでメイドなの?」
「お世話をするならこの格好だろ?」
「あんた公爵家の令嬢でしょ」
「ルシアンから依存していいと、許可を貰っているよ」
「……おい?」
俺じゃないって言ったのに、さっそく矛先が俺に向いてるんだけどなんで。
知らぬ存ぜぬを突き通そうとグラスに口をつけるが、刺さる視線に忍耐もあっさりと尽きる。
「……言ったけど」
言い訳のように呟いて、そろーっとイリスから顔を背ける。頬に突き刺さる視線が『なんで?』と口に出さずとも伝わってくる。なんでって言われればそれは……流れ? となるのだけど、これを言ったらたぶんさらに不機嫌になると思うんだよなー。
ひりつく空気に、逃げ出したくなる。
「それに婚約者のお世話をするのは当たり前だとも」
だというのに、アイシアがニコニコ笑顔でさらなる火種を投げ入れるのだから頭を抱えたくなる。なにそれ知らない。どういうこと? とイリスに凄まれたところで、ぶんぶんっと首を左右に振ることしかできない。
「あ、アイシアさん?」
「妻と呼んでいいよ」
ぽっと頬を赤らめるアイシアに、ひくっと頬が引き攣る。
「……アイシア嬢、婚約について俺は断ったはずだけど?」
いや、なんか本人同士の心持ち次第みたいな言われ方をしていたけど、そういうのはなくなったはずだ。アイシアだって、俺が男として好きっていうよりは、なんか生きる支えにしているだけで。……そう思うと、なんか婚約者よりもヤバい感じがするけど、一旦そこはスルーして。
「マグノリア子爵家からは許可を貰ったよ?」
「はぁっ?」
スノーティア公爵が言っていた奴か? と思ったが、アイシアが取り出したのは別の手紙だった。中身を改めると、そこには『頑張れ』と書かれているだけだった。
死ね。できるだけ早く苦しむ方法で死んでくれ。
こっちまで歩いてきて、手紙を覗き込んだイリスが「……ひど」と漏らすくらいには酷い内容だった。こんな礼儀作法もあったもんじゃない内容で貴族をやれているんだから、楽な商売と言われたところで否定できまい。
「なんでどいつもこいつもまともな手紙ひとつ書けないの?」
「ほんとね」
「……どの口」
ぼやいたら、この口、とふにっと自分の唇に触れて開き直られた。
なんでこう……はぁ。
ため息を吐く。でも、これはイリスと同じで、正式なものではない……はずだ。これでいいなら、イリスの婚約話ですら通っていることになる。
俺が首を縦に振らなければいい……そのはずなんだけど、
「――よろしく、婚約者様」
胸に手を当て、爽やかな笑顔で婚約者と呼ぶアイシア。
その陰りのない笑顔を見ていると、自分の回りがどんどん外堀で埋まられている気がしてならなかった。