第3話 婚約を断るその理由
「それは……急だったから、ですかね?」
「そんな理由で王族の申し出を断るの?」
純粋な疑問という話し方なのに、問い詰められている気がするのはなんでだろうか。俺からすると、そういう理由もあるんじゃないかって思うんだけど、薄紅色の瞳は柔和なのに信じていないとでも言うように細くなっている。
事実ではあるけど、理由そのものじゃないからな。
わかりやすいか? とぺちんっと軽く頬を叩いてみるが、わかるわけもない。
「勘違いしないでほしいのだけど、断るのはいいのよ? 政略結婚なんて、貴族間は当たり前で、王族となればもっとだけど、イリスちゃんにそんな当たり前を強制するつもりはありません。もちろん、ルシアンくんにもね?」
「ありがとう、ございます?」
お礼を言っていいのか? これは。
たぶん、いいんだろうとは思うのだけど、くすくすと笑われてしまった。なんだか恥ずかしい。そんな笑いにすら品があるんだから、やっぱりこの人は王妃様で、イリスの母親なんだなと実感する。
「最近、イリスちゃん楽しそうだから」
「楽しそう?」
「えぇ、とっても」
自信満々に頷かれたけど、本当か? と疑念が挟まる。
不健康そうな白い肌に、不機嫌むっつりな表情。それが俺の知っているイリスで、基本的に楽しさとは無縁だ。それは人としてどうなんだというのは置いておいて、表面上はそう見えるって話。
確かに笑っている姿は時折見るけど、最近楽しそうっていうほどの頻度じゃない。
俺の鈍い反応で理解していないのがわかったのか、長くて波打つ薄紅色の髪を指に巻くように弄る。
「あの髪色だから、生まれたときから色々と言われてきたの」
「そうなんですね?」
「……くす、あまり興味がないのかしら?」
含むように笑われて、そうじゃないですけど、と口ごもりつつ否定する。
本当に興味がないわけじゃない。ただ、なんとなくいい話じゃないのは想像できるわけで、率先して聞きたいとは思えなかっただけだ。
陛下の髪色は金で、王妃は桃色。
忌み子だなんだっていう話を抜きにしても、どんな噂があったのかなんて、当時を知らなくても想像できる。
「本人が話すなら、聞かないでもないです」
「ふふ」
なんか笑われた。
「あなたのそういう頓着しないところを、あの子は好きなのかもしれないわね」
「どーでしょーか」
本人のいないとこで好きと言われても困るんだけど。恋愛的なあれそれじゃないにしても、冗談にもできなくてどう返したらいいのかわかんなくなる。声を伸ばして時間を稼ぐの精一杯だ。
「ちゃんとお母さんはできてない私が、あの子のことを心配するのは余計なお世話かもしれない。でも、今日2人を見ていて、楽しそうにしていたから……ね? いまも頑ななのはなんでかなって、そう思ったの」
「そんな仲よさそうに見えますか?」
「えぇ、恋人みたい」
んぐ、と喉が詰まる。
本当に反応に困ることを言ってくれる。
イリスや陛下のようにただ強引なら『嫌』で終わるんだけど、こういう『私からはそう見える』と言われてしまうと否定しようもない。だって、ただの感想だから。
婚約者なんだ、とか、恋人だね、とか。
決めつけであれば、そんなわきゃねーで終えられるのに。
「結婚するかはともかく、婚約するくらいはいいじゃないのではないかしら?」
「……婚約破棄っていうのも、どうかと」
「あら? 上の息子はしたわよ?」
王子を引き合いに出されたらなんも言えなくなる。そういえば、幼少の頃からの婚約関係を破棄したって噂があったような。一般的というわけでもないけど、貴族間では珍しくないのだからいいじゃん、という気持ちはわかる。
だから、父上と母上も賛成なわけで。というか、普通断わんないか、王女の婚約を。
でもなー、と川を堰き止める大岩のような抵抗があるのは、俺の問題なんだろう。
「他言はしません。母として、王妃として、約束は守ります。だから、教えてくれないかしら?」
王妃が手を上げると、扉の前に立っていたメイドが一礼して退出した。いくら夫がいるとはいえ……いや逆か。だからこそ、本当に2人きりというのもどうかと思うけど、王妃の誠意ということだろう。
話すしか、ないのかー。
やだなぁ。
胃が石を詰めたように重い。暖炉の火が跳ねたのように頬が熱くなる。でも、母親として娘を心配している誠実な王妃を前で口をつぐむほど、捻くれた性格はしていない。
「好意の感情は抜きにして」
「えぇ」
頷く王妃に、舌先が震える。
「……わがままなんですけど、俺が婚約を断るのは――普通の恋愛がしたいからです」
そう伝えると、王妃は大きな瞳を見開いて、直後涙を浮かべるほどに大笑いした。
◆ ◆ ◆
「死んでる」
メイドに呼ばれて部屋に戻ってきたイリスが、礼儀もなにもなくソファーでへばっている俺を見た開口一番がこれだった。もっと労れや、と目で訴えつつ「死んでない」と生存を口にする。
でも、起き上がれず、ソファーの肘置きに体を預けていると、今度は王妃を見て、イリスはこめかみをぴくっと動かした。
「なに? 生気でも吸われたの?」
「あらぁ? どうしてかしら?」
「なんか、つやつやしてるから」
「うふふふふっ」
指摘された王妃は頬に手を添えてご満悦だ。肌艶がやけによく、水で濡れたようにしっとりしている。赤らんだ頬はもっちりしていて、生気を吸ったと疑いたくなる気持ちもわかる。
生き生きしている王妃と、死にかけの俺を見比べたイリスが顔を歪ませる。
「……一応、念の為、絶対にないとは思ってるけど、訊く」
「訊くな」
「ヤッた?」
「訊くなって言った」
王妃の前だからってもう取り繕う余裕もない。というか、状況的にもしや? と疑いたくなるのもわからんでもないが、夫にいる王妃を前にして、というか自分の母親を相手に訊くことじゃない。
最低だこの娘。
冗談じゃ済まないぞと睥睨するが、割りかし本気の顔をしていて、それはそれで落ち込む。半信半疑でも母親と関係を疑われるとか死にたくなるわ。
「安心しなさい、イリスちゃん。ヤッてないわ」
「あの……もう少し言葉をですね」
国の王妃と王女がヤッただのヤッてないだのやめてほしい。立場で言葉を制限しろと言いたくはないけど、淑女としてもどうかと思うんだ、俺は。そもそも、なんでこの母娘はそっち方面に躊躇がないんだ。
「そう」
と、形のいい胸を撫で下ろしているのが、信用なくて悲しい。
「で、なんの話したわけ?」
「それ話したら席外させた意味ないだろ」
「ちっ」
おい舌打ちしたぞこの王女。
「イリスちゃん」
王妃様が名前を呼ぶ。
それだけなのに、緩んだ空気が絞まる。俺も自然と姿勢を正して、呼ばれてもないのに王妃様を真っ直ぐ見てしまう。
当のイリスはソファーの近くに立ったまま、王妃様に顔を向けている。俺と違って厳かな雰囲気の王妃様も慣れているんだろう。
「なに?」 と、平然と返している。
自分の方を向いたイリスに向けて、王妃様は微笑みを深くした。
「婚約の話だけど、私は反対することにしました」
「…………は?」
ぎょっとして、なんで? とこっちを見てくるイリスから、俺はもう一度ソファーに倒れて逃げる。
だから言ったじゃん。それを言ったら席を外させた意味がないって。