第4話 出立は突然に
「ああいうのが好きなの?」
イリスと腕を組んだまま学園から屋敷への道を歩いていると、ぽつりとイリスが尋ねてきた。
ああいうのとはなにを指すのか。
最初はなに? って思ったけど、直前のことを考えれば、アイシアのことかとすぐに思い至った。
「なんで?」
「似合ってるって言ってたから」
目覚めたばかりの王都の通りを歩きながら聞き返すと、そんな答えともいえないような返事があった。
瞳を端に寄せると、イリスの横顔が視界に映った。
ただ、その艶のある黒髪に隠れてどんな顔をしているかまでは見えなかった。
ふむん? と、ちょっと考えてから口にする。
「ちょーぜつ好み!」
「……ふーん」
「――というのは冗談で、素直な感想って奴だな」
「ふ・う・ん?」
「なんか怒りこもってない?」
さっきまでのふーんとはニュアンスが違いすぎる。
イリスの前髪で隠れた額に、青筋が浮かんでいるように見えるのは気のせいだろうか。気のせいってことにしておこう。
「もういい」
と、拗ねるように声とともに反対側を向かれた。
ただ、小さく頬は見て取れて、不機嫌なのはわかっていても、その反応をかわいいなと思ってしまう。言ったら、余計に拗ね散らかしそうだから、心の中で思っておくだけにしておく。紳士なので。
そのまま並んで大通りを歩きつつ、ときおり足を止めて店をひやかす。下校の寄り道――というには、授業も受けておらず、まだ朝なので語弊がありそうだが、雰囲気は同じだ。
てくてくてくてく。
そんな感じで長い道のりを歩いて、屋敷が見えてきたところで俺も思ったことをぽつりと呟いておく。
「どうしてだろうな」
なんでアイシアはわざわざドレス姿を見せに来たのか。
いくら考えてもアイシアではない俺にはわからなかった。ましてや、女性の気持ちなんてものに疎い俺にはわかるはずもなく、なんでだろうなー、とバカに思うしかない。
「……そんなのわかりきってる」
俺の疑問を知っていると、イリスが零す。
教室では知らないって言っていたのに、この手のひら返し。イリスは性格が捻くれているので、それはそれでぽいなという感想を抱きつつ、知っているなら教えてくれと頼んでみる。
「…………」
「なにその目」
「女心のわからない鈍い男を蔑む目」
思ったよりも意味が込められていた。ただのジト目なのに。
なんかわかりやすくため息を吐かれて、腕を放してた。そのまま先に屋敷に入っていく。道端にひとり残された俺は、「わっかんねー」と女心の複雑さを嘆くしかなかった。
そんなこともわかんないの? って言われる男の気持ちも考えてくれ。
◆ ◆ ◆
「じゃ、先行くから」
イリスが馬車の窓から手を振ってくる。
王宮に戻って、そのまま避暑地に行くらしい。
王族の避暑地かー。
どんなところ? と訊いても『面倒』としか返ってこなかった。夏季休暇が始まって屋敷で過ごしていた数日は、やる気というか気力というか。とにかく精神的なものが空っぽだったようにイリスはだらけていた。
ベッドやソファーでぐだぐだしていて、よっぽど行きたくないんだなーというのは嫌でも伝わってきた。
それでも行くのは、王女というまだ王女という役割に縛られているということなんだろう。
いつにも増してその顔は不機嫌そう……というか、不満が滲み出ている。娼館でエリサと過ごして英気は養ったはずだが、早くも尽きかけているようだ。
「……無理すんなよ」
「なに? 心配してくれんの?」
かわかいの交じる笑みに「一応」と言っておく。
そんなわけないだろ、と否定しようとも思ったけど、心配の方が勝った。諸々の事情があるとはいえ、大雑把な性格に反して真面目に公務を熟している。
なんだかんだ真面目で、溜め込むきらいがあるからちゃんと伝えておくべきだと思った。
「しないから」
そんな気持ちを察してほしくはなかったけど、素直な返答に頬をかく。
憮然としていた表情を緩めて笑い、イリスは左手の薬指にはめている指輪に触れた。銀色の宝石が夏の陽を反射して輝いている。それが妙に眩しくて、目を細める。
「それ、つけてくの?」
「当たり前。大事でしょ?」
俺と同じようにイリスも目を細めたけど、慈しむような黒い瞳が抱いている感情は違うと教えてくれる。
こうも素直にされると皮肉も言えないな。
服の上から首にかけた指輪に触れると、イリスが笑みを深めた。
「ま、暇だったらこっちに来て」
「暇ではあるんだよ」
実家帰るだけだし。
「なら、連れてこう」
「ペットじゃないから」
「お土産は首輪とリードね」
「首を長くして待ってるよ、ご主人様」
言質取ったから、とイリスが白い歯を見せて笑う。
冗談だとわかってはいるけど、イリスが言うと本気なんじゃないかと疑ってしまう。買ってこないよね? 首輪をつけて、王都を散歩とかさせられないよね?
一抹の不安を感じながらも、いってらっしゃい、と手を振って見送る。すると、微かに目を見開いたイリスが戸惑うように黒い瞳を泳がせた。
「……うん、行ってきます」
緩く指を曲げた手を小さく振る。
その頬が微かに赤くなっていて、なにを照れているんだか、と笑いつつ走り出した馬車を見送る。そうして、馬車の影すら見えなくなり、ぐっと背を伸ばす。
ふわっ、と上ってくる眠気が欠伸になる。
「じゃー俺も適当に準備して出ますかね」
イリスがいないんじゃ、屋敷に残っていてもやることもない。
そのまま屋敷に戻ろうとして、駆けてきた馬車が目の前で停まった。一瞬、イリスが戻ってきたかと思ったが、出た方向とは逆から来たし、馬車の見た目も違う。
どちらも貴族が使う煌びやかさはあるが、新しく来た方は全体的に青い。宝飾品のような美しさではなく、芸術品に似た落ち着きがあった。
俺の迎え……じゃないよな。頼んでないし。
誰だ? と思っていると、馬車の扉が開いた。
「ご機嫌よう、ルシアン」
「はぁ……ご機嫌よう?」
朝日によって水のように透き通る短い髪を揺らしたアイシアが、車内に座っていた。蒼海を編んだような青いドレスを身に纏う彼女は、指先までぴんっと伸ばした手を淑やかに振ってくる。
なんでアイシアがここに?
半端に体を屋敷に向けたまま固まっていると、アイシアが馬車から体を乗り出してくる。落ちそうになるくらい体を傾けながら、俺の腕を取ってきた。
氷に触れたような冷たい温度。
雪のように白い手から伝わってくるものとしては想像通りだったけど、それでもその冷たさに驚いて身を固めてしまう。急な展開に驚いていたこともあって、アイシアに引っ張られるまま馬車に乗ってしまう。
「え、なに? え?」
「それでは、行きましょうか」
どこに?
困惑する俺に、アイシアは楚々と笑いかけてくる。
「私の実家――スノーティア公爵領へ」