第12話 高級娼館の主がお相手してくれるそうです
俺はイリスと別れて、リリウムさんに歓迎されていた。
「紅茶でよろしかったでしょうか?」
「もちろんです」
葡萄酒は嬉しいけど、娼館で酔っ払うのもどうかと思う。イリスが連れてきたんだからそんなことはないはずだが、そこかしこで娼館の悪い噂を聞く。酔わせて身ぐるみを剥がされたとか。
理性を残しておくくらいはしておくべきだろう。
俺の心はわかっているとばかりにリリウムさんは微笑んで、手ずから紅茶を淹れてくれる。高級品なのか、カップから香る茶葉はいい匂いで、強張っていた体が少しだけ緩んだ。
「そう警戒なさらなくても、イリス様のご懸念を実行しようとは思っておりませんよ?」
「……あれは、俺を警戒しているだけだと思いますけど」
リリウムさんが俺のお相手をすると買って出た際、王女殿下は目端口端を限界まで歪めた。その顔にはありありと『手を出すなよ?』と物語っていて、俺への信用がゼロなのが窺えた。悲しいね。
カップに口をつける。砂糖というよりも茶葉だろうか。甘く、口当たりがいい。
そんな心配しなくても、俺にも節操ぐらいはある。
「あんな心配しなくても、高級娼館で一夜を買える甲斐性はありませんよ」
「別に構いませんよ」
え、と驚いて顔を向けると、小さいテーブルを挟んで座ったリリウムさんが微笑んでいた。どこか熱っぽさを感じる紫の瞳を細めて、すっと細い指で濡れた下唇をなぞる。
「イリス様のお連れの方ですから。時間もかかるでしょうから……その間に、お相手をいたしましょうか?」
さきほどまでの楚々とした雰囲気から一変して、娼婦らしい艷やかな色気が顔を出す。漂う空気すら淀んだんじゃないかってくらい、じっとりと濃密な色が室内を満たす。
誘ってくる瞳に、俺は瞼を閉じて浅く息を吐く。
「……遠慮しておきます」
勘弁してくれ、と両手を上げると、リリウムさんはまたもや雰囲気をガラリと変えて「ふふっ」と品のある声を漏らした。
「失礼いたしました。イリス様の婚約者様がどのようなお方なのか気になったもので。とてもお優しく、誠実なお方だと知れて安心しました」
「……もしかして、試されました?」
「頷いていただけたのなら、続きは褥でしたよ?」
冗談とは思えない物言いに、少しだけ残念な気持ちになる。俺だって男だ。こんな美人に誘われたら、そりゃ鉄の意思だってぐらつきもする。抜けそうな乳歯くらいグラグラだ。
というか、
「知ってたんですね? 婚約者がどうだって」
「イリス様からのお手紙で、触り程度ですが」
知らないのは俺だけかよ。
イリスは娼館に行くとしか言わないし。一人蚊帳の外みたいで、口からため息が出る。
「言っておきますけど、婚約者じゃないですからね?」
「手紙に婚約者と書かれておりましたよ?」
「……誤解の広まりが早いなぁ」
陛下に俺の両親、そしてイリスの友人……なのかはわからないけど、知り合いにまで着々と広がっている。正式発表はしてないし、書面を交わしたわけじゃない。
だから、婚約者でないのは事実なのだけど、周囲の扱いが婚約者になっている。
「婚約者扱いはお嫌ですか?」
「……そういうわけじゃないですけど」
娼婦という職業柄だろうか。つい、話したくなるような雰囲気に、下唇を噛む。心をさらけ出すのは好きじゃない。
出してくれた果物を口に放る。甘く、酸っぱい味が口に広がった。
「あの2人って姉妹なんですか?」
「いいえ」
俺の露骨な話題逸らしにリリウムさんはにこやかに乗ってくれる。
「血は繋がっておりません。ただ、お2人は本当の姉妹のように想い合っているでしょうね」
「そんな雰囲気はありましたね」
イリスを見たメイドの少女の喜びようもだけど、イリスもイリスで喜びがあふれていた。お互いが黒髪黒目なのも相まって、血縁と言われても信じそうなくらいには姉妹っぽかった。
なんであれほど娼館に来たかったんだろうと思ってたけど、どうやら彼女に会いに来たらしいし。血は繋がっていなくても、その関係は姉妹のように良好なんだろう。
「ちなみに、あの子は娼婦ではありませんよ?」
「訊いてませんって」
気にしてもない。
にこにこされて、なんだか子ども扱いされている気分になる。そういえば胸大きかったなー、とは思っていたけど、だからってそういう妄想はしていない。いや、本当に。
紅茶をすすって動揺を沈めていると、リリウムさんが入口の方を一瞥する。なに? と、思ってそっちを向くと「そういえば」と思い出したように尋ねてきた。
「この国では、黒い髪と瞳は不吉な子として忌み嫌われているのを知っておりましたか?」
「……?」
急になんの話だ。
「そりゃ知ってますけど?」
「うふふ、そうですか」
華やぐように笑って、リリウムさんが言う。
「貴方様であれば喜んでお相手をしますので、いつでも声をおかけください」
「ほほぅ?」
「……なに喜んでんのよ」
後ろからぺしっと頭を叩かれた。
誰だと思って振り返ったらイリスで、きつく唇を結んで俺を見下ろしていた。なんでか、その顔がかすかに赤い気がするけど。風邪?
大して痛くもない頭を大げさに押さえていると、リリウムさんが小さく笑ってイリスに質問する。
「もうよろしいのですか?」
「……よくないけど、連れてきたのにルシアンを放置するのもどうかと思うし、エリサにもちゃんと話したいから」
「私がしっかりとお相手しております」
「…………いいから」
ぶすくれるイリスに比例してリリウムさんが楽しそうにしている。開けっ放しの入口から『どうかしましたか?』とひょっこり顔を出したメイドの少女がリスみたいにかわいかったので、手を振ってみた。ちっちゃく振り返してくれた。
今日一番の癒やしだった。
◆ ◆ ◆
外に出ると、空に赤みが差していた。
遅くなったからとリリウムさんが気を利かせてくれて、帰りは馬車だった。最初は娼館に寄ったあとに、王都を見て回る予定つもりだったんだけど、その時間がなくなるくらい娼館に長居してしまった。
お菓子どころか食事までご馳走になって。
娼館でなにしてんだって話だけど、楽しかったのならいいだろう。
「今日は付き合ってくれてありがと」
「付き合いじゃないから」
「……素直にお礼を言われてなさいよ」
どうしてか隣に座ったイリスが、そっともたれかかってきた。
肩に頭を乗せてくる。
「馬車が揺れた」
「そうなん」
「そうなの」
「嘘だなんて言ってない」
でも、離れようとはしない。
妹分の少女と遊んだからか、普段よりもエネルギーを使ったんだろう。疲れているということにしておいて、俺は窓から王城の影に沈む夕日を眺める。
「ねー」
「なに」
「髪、触って」
いつかと同じお願いをしてくる。
なんでだろうね。そう疑問を胸に置きつつ、断る理由もないのでその絹のように繊細な黒髪に触れる。指で梳くようにすると、くすぐったそうにイリスは肩を揺らして身じろぎした。
屋敷の前に着くまで会話はなく、馬車が石畳を走る音だけが響いた。停車して、でも頭を乗せたまま動こうとしてないイリスがぽつりと鳴くように喉を震わせた。
「ねー」
「なんですかー」
「そういえばさー」
「うん」
「王妃が会いたいって」
「誰に」
「ルシアン」
「へー」
王妃様が俺にねぇ。
ふーんと鼻を鳴らして、なるほどーと深くふかーく納得する。
ぜっっっ………………たいにやだ!
◆第1章_fin◆
__To be continued.