第8話 黒髪のメイドを娼館に送り届ける
「もらっちまったぜー」
俺の腕の中には布で包まれた酒が数本あった。
酒屋のおっさんが引っ込んで押しつけてきたものだ。一応、お代を払おうとしたが『持っていってください!』と言われたので、貰ってきた。
潰されるとでも思ったのか? そんなことしないけど。
偶然とはいえ、儲けてしまった。こういう幸運は金額以上に嬉しいものがある。おっさんの絶望した顔はさぞいい肴になるだろう。
「貰ってもよかったのでしょうか?」
「いいんだよ」
俺と手を繋いで娼館までの道すがらを歩くエリサが縮こまっている。
詳しい事情は知らないけど、難癖つけてこの子を邪険にしていたのはあのおっさんだ。悪いのはあっち。受け取った酒も謝罪であって、別に強請ったわけじゃない。
「つまり、正義は我らにあり、だ」
ちょうどいい位置に頭があるから撫でてやると、エリサは猫のように目を細めた。
かわいい。
うちは男兄弟で、しかも俺が1番下だったから妹には少々憧れがあった。咄嗟に出た嘘だったが、そういうのもありかなーと思うくらいには、くすぐったそうにする姿には愛嬌がある。
イリスがかわいがりたい気持ちもわかる。
「えへ」
うん、かわいい。
「あんなことよくあるのか?」
「……たまに、です」
握る力がぎゅっと強くなる。
見た目は10代前半かそこらの少女だ。そんな子に訊いていいことじゃないのはわかるが、俺としては心配になる。暴力こそ振るわれていなかったが、ああいうのが日常というのは想像したくない。
「髪と目が、黒いので」
当たり前のように告げられた事実に、俺は「そうか」としか返すことができなかった。俺の周囲ではなかったが、この国でそういうのがあるというのはわかっているし、なにも彼女たちだけのことじゃない。
差別も迫害も、どこにでもある。
それは貴族に限った話じゃない。
正義感に駆られて、じゃあ俺がなんとかしようとも思わない。できないし、俺がどうこうする問題でもなかった。ただ、その俯く少女の姿にイリスが重なる。
あいつも、こういう扱いを受けてきたのかな。
彼女は王女だ。だから、エリサのようなわかりやすいものではなかったはずだ。それでも、なかったとは思わない。だから、なんだという話なんだけど、そんな考えが頭の隅に住み着いてしまう。
らしくもなく、当てられたのかもしれない。
もう1度ぐりぐり撫でる。
そうして戯れている間に娼館は目の前だった。守衛に預けてさっさと帰ろうと思っていたのだけど、重厚な門の前に上品な雰囲気を纏った美女がいた。
娼館の主、リリウムさんだ。
なにやら守衛と話していて、その顔には不安が見て取れた。もしかして? と思ったときには、リリウムさんは紫の瞳をこっちに向けて、大きく見開いた。
その瞳が潤むように揺れた。
「エリサ!」
こちらに駆けてくると、そのままエリサを抱きしめた。力強く抱きしめていて、どれだけ心配していたかが傍からでも窺えた。
勝手に抜け出してたのか? そりゃ心配もする。
送ってきてよかったと思うが、誘拐犯として突き出されないかちょっと心配。
「1人で出歩いてはいけないと、いつも言っているでしょう?」
「……ごめんなさい。でも」
と、エリサは俺の手を引く。
俺はこの子から預かっていた酒瓶を1本手渡すと、エリサはそれをそのまま片腕で抱きかかえた。
「卒業するお姉ちゃんに、お祝いを渡したかったんです」
「きっとあの子も喜びます。ですが、それでエリサが嫌な思いや怪我をしたら、私たちはとても悲しくなってしまうんです。どうか、次からは私に相談してください。よろしいですね?」
「……はい」
見るからにしゅんっとエリサが落ち込む。
まぁまぁ、と間に入って上げたいところだが、危ない場面を見ているので擁護も難しい。それに、悪いことをしたら保護者に怒られておくべきだ。他人が口を挟むことじゃないだろう。
いたたまれないけど。
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません、ルシアン様。エリサを送り届けていただき、深く感謝申し上げます」
「ども。偶然なんで、気にしないでください」
エリサから離れたリリウムさんが、俺に対して頭を下げてくる。気づいてはいるか、そりゃ。状況もなんとはなしに察してくれているようで、説明の手間が省けて助かる。誘拐犯じゃないと言い訳をする必要はなかった。
「よろしければ、お礼をさせてください。精一杯のおもてなしをさせていただきます」
「おもてなしって」
ちらりと娼館を見て、リリウムさんに視線を戻すとくすりと艶のある笑みを零された。
「お望みであれば、そうしたおもてなしでも」
「しませんって」
イリスになんて言われるかわかったもんじゃない。もちろん、興味がないわけじゃないけど。
「では、せめて歓待だけでもさせてください。エリサを助けていただいて、なにもせずにお帰ししたとあれば、白百合館の名折れです」
「あー、そうしたいのは山々なんですが」
「イリス様には使いの者を向かわせます」
なんか、退路を絶たれた感じ。
懸念がなくなって、断る理由もなくなった。それでも、たかだかあれだけのことで恩に思われるのも、礼をされるのも微妙な気持ちになる。迷子を送り届けただけだし、酒も貰ってる。
どうしよう。
悩んでいると、繋ぎっぱなしだった手をくいっと引っ張られる。
「お礼したいです」
「寄ってくかー」
パァッとエリサの表情が華やぐ。
年下のかわいい子には叶わないわ。……その括りだと、イリスも該当するのがなんだけど。