第5話 公爵令嬢との婚約

「――アイシアと婚約してほしい」

 既視感のある光景だった。
 どこかで聞いて、見たことがある、そんな光景。正夢でも見たのかな? なんて現実逃避したくなるが、涙が出るくらい瞬きしたところで、目の前の見るからに厳格な男――スノーティア公爵は消えてくれない。

 お願いという話し方ではあるけど、アイシアと同じ青い瞳は鋭く鋭利だ。公爵という地位も合わさって、命令されているようにしか感じない。

 これが父上相手なら『婚約ってなにそれ美味しいの?』くらいの軽口は叩けたが、さすがに初対面の公爵家当主相手にそんな自殺行為はできるはずもない。
 助けを求めて隣を見るも、アイシアは爽やかに微笑み返してくるだけで助け舟を出してはくれなかった。

 頬を流れる汗が冷たいのは、部屋の中が冷えているからというわけじゃないだろう。
 なんでこうなった。
 真っ白になりそうな頭でこれまでの経緯を思い出してみても、まるで見当がつかなかった。アイシアにスノーティア公爵領まで連れて来られたと思えば、屋敷の応接室に通された公爵家の当主とご対面だ。

 それだけでも冷や汗ものなのに、アイシアと婚約って……ほんとなんで?
 目眩がして倒れてしまいそう、というかいっそ倒れてしまいたいが、助け舟がない以上、状況が好転するわけもない。失いそうな意識をどうにか保ちつつ、引き攣る口をどうにか動かす。

「突然、アイシア……嬢と婚約と仰られましても、戸惑ってしまいます」
「マグノリア子爵家には婚約の申し出を送ってある。明確な返答はまだだが、当人の意思を尊重する、という旨の手紙は受け取った」
「そ、そのようなやり取りがあったのですね?」
「急なことだ。君にまで話が伝わらなかったのだろう。とはいえ、些末なことだ。気にしないでいい」

 どこか些末じゃーい!
 ……と、反論できたらよかったんだけど、公爵家当主という地位に相応しい威圧感のあるこの人に言えるわけもない。うちの父上とは偉い違いだ。

 当人の意思を尊重とか言っているが、どうせ困ったからぶん投げたに違いない。

「……一応、イリス王女殿下からも婚約の申し出を受けているのですが」

 公爵家からの申し出を断るなんてことは難しい。普段の父上なら一も二もなく笑顔で頷いただろうけど、先約があるせいで頭を抱えたはずだ。その様子は手に取るようにわかる。
 ざまぁ、と嗤ってやりたいが、人を嘲笑っている状況じゃない。むしろ、いまの俺がざまぁ状態だ。そんな悪いことしてないんだけどなぁ。

「承知している。が、正式な婚約というわけではないのだろう?」
「…………それは」
「――その通りだよ、お父様」

 瞼の裏にイリスの顔が浮かんで、言い淀んだ俺の代わりにアイシアが答えた。
 スノーティア公爵領に到着するまで。
 まるでどこぞの令嬢のように振る舞っていたが、学園でよく見るような凛々しさが顔を出す。淑女と王子、2つの顔の使い分けに俺が目を白黒させている間に、アイシアは豊かな胸に手を当てて断言する。

「そうした噂は学園でもあったけれど、事実無根だ。――そうだろう? ルシアン」

 にこり、と令嬢ならくらっときそうな微笑み。でも、なぜか、有無を言わせぬ圧を感じる。春風の爽やかさどころか、海辺の潮風のようにべっとりじっとりしている気がしてならない。

「まぁ、そうなんですけど……ね?」

 別に圧に負けたから、というわけじゃない。本当に。
 事実として婚約はしていないのだから、嘘をくわけにはいかなかった。以前、アイシアにも尋ねられて、そんなわけないじゃーんわははー、みたいに返したこともある。

 それをいまさら肯定できないし、婚約を断るために婚約を肯定する、というのもおかしな話だ。……気持ちとしては、実は婚約してたんですよー、とこの場は濁したいところだけど、公爵家の当主と令嬢に見つめられながらそんな嘘を平然とけるか。

 せめてもの抵抗で疑問の余地を残したけど、そんな吹いたら飛ぶような抵抗は公爵家の当主を担う男には効果がないようだ。まるで意に介さず、「なら、問題ないな」と鷹揚に頷いた。
 あるよ、問題。俺の心とか、気持ちとか。

「……君には突然のことだ。戸惑い、悩むのも当然だ。こうして、無理やり連れてきたことも謝罪しよう」
「す、スノーティア公爵っ!?」

 深々と頭を下げられて、こっちが驚いてしまう。
 謝罪を口にしただけでも恐縮するのに、公爵家当主が子爵のそれも三男に頭を下げるとか何事だよ。突然、湖が干上がるくらいありえないことで、俺の心臓を止めたいというのなら的確だろうが、普通そこまでしない。

 本人の性格が弱腰とかならまだ納得もできるが、スノーティア公爵は当主に相応しい貫禄があった。だからこそ絶句するし、今回の婚約の申し出はどれだけ重いことなんだよと、血の気が引く。

「しゃ、謝罪は不要です、閣下」

 手で制しつつ、喉を鳴らす。
 この場で言うべきか、言ってどうなるか。不安ばかりが頭をもたげるが、こればかりは伝えておく必要がある。

「――ただ、婚約については断らせていただきます」

 王女に続いて、公爵令嬢までも袖にする。
 こう聞くと、どこのやんごとなき身分の方だとツッコミたくなるが、俺はただの子爵の子息でしかない。どういう星の巡り合わせなのか。これを人は幸運と呼ぶだろうが、俺にとってはどうなんだろうと答えが出ない。

 とりあえず、この胃を刺すような痛みは二度と感じたくなかったなーと思っていると、スノーティア公爵が頭を上げた。その細くなった青い瞳に心臓が萎縮するが、その視線が微かに横にズレて、瞼を閉じた。

「……そうか、だが、スノーティア公爵家としてマグノリア子爵家のルシアンとの婚約を受け入れる用意がある、ということは覚えておいてほしい」
「か、かしこまりました」

 激昂されるかなとも身構えていたが、そんなことはなくスノーティア公爵はどこまでも冷静だった。爵位を継がないたかだか子爵家の三男に婚約を申し込むのが冷静なのか? という疑問は脇に置いておく。
 というか、なんで平然と受け入れる用意があるんだよ。普通ないだろ。この国の王族や公爵は地位とか権力とか重んじてないのか。もっと大事にしようよ。そうであれば、俺がこんなに胃を痛めることもなかったから。

「あとは当人同士の問題だが……」

 スノーティア公爵の瞳にアイシアが映る。

「……親としては娘の手助けをしたい。長旅で疲れてもいるだろう、しばらくこの地で過ごしなさい。歓待をしよう」
「ありがとうございます」

 婚約はともかく、滞在まで断るのは失礼すぎるので頷いておく。疲れてもいるし、このまま帰れ、と言われても困るし。
 俺を見て「そうか」と零したスノーティア公爵は膝に手をついて立ち上がる。微かに漏らした息はどこか疲れているように感じて、部屋を出ていく間際に見えた背中が煤けていたように見えた。

 バタンッと音を立てて閉じる応接室の扉を見届けて、

「で」

 と、俺は顔を横に向ける。
 そこにはさきほどまであった中性的な魅力はなく、楚々と膝の上に両手を重ねた公爵令嬢が座っていた。その嫋やかさに気が緩みそうになるが、俺は胸元の服をぎゅぅっと握り締めて大きく息を吸う。

「――婚約ってなにっ!?」

 ここまで溜まりに溜めた気持ちをぶちまけた。
 いやマジで意味わかんないから!

  ◇ ◇ ◇

 あー、面倒くさい。
 王都から離れて、王族御用達の避暑地でぼやく。海辺で潮風を浴びるのにも飽きて、与えられた部屋のソファーで転がっていた。

「……これなら、屋敷にいても変わんなかったでしょ」

 ルシアンと一緒にゆっくりと。
 それはいつもと変わらない生活だけれど、1人で避暑地の部屋にこもってうだうだしているよりは有意義に思えた。

「ルシアンが残ってくれてたら」

 なんて、ここにいない婚約者(仮)に届かない文句を呟いたけど、これは八つ当たりだ。どうあれ、あたしは陛下や王妃と一緒にここに来て、避暑という名の挨拶回りをする必要があった。
 これも王女としての務めと言われたらそれまでだが、面倒は面倒だ。

「無理やりにでも連れてくんだったか」

 絶対嫌な顔するだろうなー、としかめっ面をするルシアンを想像してくすっと笑みが零れる。傍にいなくても、笑わせることができるのは一種の才能だろう。
 暇を潰しにルシアンのことを考えながら、無益な避暑を過ごしていたらメイドが手紙を持ってきた。ソファーでだれたまま受け取って、宛名を確認する。

「……? スノーティア公爵家?」

 眉を潜める。
 見間違い? とも思ったけど、メイドも言っていたし、氷の結晶を模した家紋はスノーティア公爵家のものだ。

「なんであたし宛」

 王家宛ならともかく、なぜ個人宛なのか。
 スノーティア公爵家とは親交はあるが、あたし個人との付き合いはほとんどない。それこそ、アイシアくらいだが、それもここ最近のことだし、家の名前を使う意味がわかんない。

 まぁ、悩んでもしょうがないかと開封。
 どうせアイシアが送ってきたんだろうけど、という予想をしつつ天井にかざすように手紙を見て――は?

 家の繁栄を願う定型文から始まった長ったらしい手紙。
 それを要約すると、

アイシアボクはルシアンと婚約します』

 という、ふざけた一文に他ならない。

「……は?」

 また喉から低い声が出る。
 なんだこの舐め腐った手紙は。婚約? 誰が? あたしじゃなく? ルシアンとアイシアが? ――ふざけてる。

 くしゃり、と音がした。
 手紙を握り潰していた。無意識だったが、どうでもいい。

「なに? つまり、あれ? これは……挑戦状?」

 あはは、と面白くもないのに笑いがこみ上げてくる。
 ほんとさぁ……ねぇ?

「――あたしのだつってんでしょうが」