第2話 公爵令嬢メイドのデートの誘い
アイシアが気になる。
これは別に女性として気になるとか、そういうことではない。やたら広い食堂にあるひとり寂しく席について、川魚の香草焼きを食べているのだが、背後からの視線が気にかかる。
これでも貴族の端くれではある。
だから、使用人に見られながら食事を食べることは普通にあって緊張することじゃないのだが……メイド服を着て使用人の真似事をする公爵令嬢に見られながら食べるのは初めての経験だ。
新鮮な川魚は美味しいのだろうけど、背中に感じる視線が気になって味もわからないし、喉を通すにも一苦労だった。
「あの……アイシア?」
「わかります」
呼びかけると、すぐに返事があった。
以心伝心。言葉にしなくても俺の気持ちは伝わっているらしい。ほっと一息吐いたが、アイシアは席に着くことなく俺の隣に立ち、俺の手から優しくフォークを奪っていった。
そのまま小さく切った川魚の身を刺して、
「あーん」
「わかってないことがわかった」
違うんですか? と、目を丸くされてしまう。俺の方が驚きだ。どうしたらそんな勘違いをするのか質問攻めにしたくなる。しないけど。
「立ってないで一緒に食べようってこと」
「ですが、私はメイドですので」
「公爵家にアイシアって娘がいなかった?」
「私ですね」
ですね、じゃないが。
豊かな曲線を抱く胸の上にアイシアは手を置く。わかってますよ、という顔だが、その氷のような瞳は純粋無垢な輝きを放っていて、なにもわかっちゃいない。
俺に差し出したまま止まっているフォークを取り返し、ふりふりと前後に揺らす。
「メイド服を着てようがなんだろうが、アイシアは公爵令嬢だろ。見られてると落ち着かないから、一緒に食べようっつってんの」
「一緒に……」
と、困ったように眉尻を下げたアイシアは、俺が揺らしているフォークを見て、あ、そういうこと、とでもいうように小さく顎を引いた。
ようやくわかってくれたか。
そう安堵したのも束の間、アイシアは目元にかかった髪を指先で横に流すと、ゆっくりと顔を近づけてきて――パクリ、とそのままフォークに刺さっていた川魚を食べた。
「……一緒に食べようってのは、食べさせ合おうって意味じゃないから」
「!」
口元を押さえたアイシアが『そうなんですか?』とばかりに目を見開く。
ほんとにわかってなかった? わかってやってたよね?
小さくアイシアの喉が上下する。
「はしたなかったですね、失礼しました」
「恥ずかしがるのそこじゃなく……いや、合ってんのか?」
人のフォークから食べるのは確かにはしたなかろう。けど、あーんの時点で十分はしたないと思う。というか、俺は一緒に食べたいだけなのに、どうしてこんなに上手くいかないんだろう。
「今度は私の番ですね」
「……いや、もう一生の俺の番で」
なんか考えるのも面倒になって、魚の身を刺して、アイシアの口元に運ぶ。
はしたないと言ったその口は迷うようにむにむにしたけど、フォークを上下に振るとそのままぱくっと食いついた。なんだか釣りをしている気分だ。
咀嚼する口元を上品に隠したアイシアに、また料理を刺したフォークを運ぶ。
パクっとして、また運んで。
気づけばお皿はすっかり綺麗になっていて、俺はほとんど口にできなかったけど、ペットに餌をあげたような満足感が胃を満たしていた。
◆ ◆ ◆
朝食を終えて、部屋に戻ってもやることはなく、窓辺でぼーっと外を眺めていた。
急に連れて来られたから当然で、暇つぶしどころか着替えひとつ持ってきていない。全部が借り物で、触れた上着はやたら艶がよく心地いい。
いくらくらいするんだろうなー、とか青空に浮かぶわたのような雲を眺めながら取り留めもなく考えていると、紅茶を淹れてくれたアイシアがメイド服を内側から押し上げる双丘をお盆で隠しながら言う。
「お時間があるようでしたら、氷湖祭りに行きませんか?」
「……お祭り?」
はい、とアイシアがお盆で顔を隠しながら控えめに頷く。
氷湖祭り……どこかで聞いたような。
どこでだったか。つい最近の気がするんだけど、と緩んだ頭で記憶を掘り返して、そういえばと学園でのやり取りを思い出す。
「夏祭りだっけ?」
「そうです」
嬉しそうにアイシアははにかむ。
「スノーティア領で夏に開催している夏のお祭りになります。ちょうど……というには、ルシアンを無理に連れきたのは私なので、狙ったように思われるかもしれませんけど」
「暗躍家だ」
「…………」
「いや否定してくれよ」
それは全部計画通りですって肯定しているようなものだぞ。
「ち、違いますっ」と声が震えていてまったく説得力はないけど、深く追求すると怖いのでやめておく。ある意味囚われの身だからね、俺。明日の朝日を眺めるためにも、不用意な発言は控えようと思います。
「偶然、やっておりますので、どうでしょうか?」
「あーね」
やたら強調された偶然は気にかかるが、暇なのは事実だ。
望んだことじゃないとはいえ、せっかく避暑地に来ているのだから、観光がてらお祭りを見て回るのも悪くない。でも、外出るのはちょっと面倒。
そんな堕落した思考もあって悩んでいると、トンッ、トンッとなにかを叩く音がした。視線を落とすと、アイシアがつま先で床を叩いていた。
そのまま視線を上げると、気づけばアイシアの顔のほとんどがお盆で隠れていて、微かに覗く青い瞳が水面のように波打っている。まるで彼女の心そのものの脈動に見えた。
子どもが母親に遊びに行くのをせがむようで、けど、それとも違う情緒を感じて。
どうしてか。
彼女の父親から告げられた婚約の話を思い出し、喉が詰まるような緊張が上ってきた。
「……じゃあ、行くかな」
「――! ありがとうございます!
「…………なんでお礼」
お盆の奥に隠れていた顔は満面の笑顔で、釣られてこっちも笑ってしまう。