第2話 物腰が柔らかい人妻な王妃様
物腰が柔らかい人妻ってのも、的外れじゃなかったと思う。
ニコニコと穏やかに微笑んでいる姿は王妃という緊張感を高める厳かな雰囲気はなかった。フリルのついたシャツに黒いスカートというラフな服装も、王妃というイメージから離れている。
ドレスのイリスの方が、まだ王族っぽかった。
「会えて嬉しいわ。イリスやお父さんからお話は伺って、早く顔を見たいと思っていたの」
「それは……光栄です」
「うふふ、そんな緊張しないでいいのよ?」
頬に手を触れさせて、王妃様がおっとり言う。
それで、そうですか、と楽にできればいいのだけど、俺の心はそこまで簡単な構成をしていない。思っただけで気持ちを切り替えられるのなら、悩みなんて一つもなくなるだろう。
給仕のメイドが紅茶を淹れてくれたので、乾いた口内を湿らせる。舌から喉まで広がって、つっかえていたものが少し押し流された気がした。
そんな俺を見て、面白がっているのが同じソファーに座るイリスだ。王妃とは正反対のニヤニヤと意地悪い笑顔で、隣から緊張した俺を面白がって眺めている。
「珍しい顔」
「ほっ……」
とけ、と続けようとしたけど、王妃様の目がある。
悪態を紅茶で喉の奥に押し流す。
「……王城ではまず見ない珍品でしょうからね? 箱入りな王女殿下には物珍しく見えるのではありませんか?」
「取り繕ってるようで、性格の悪さが透けて見えてるよ」
「ははは、イリス王女殿下には負けます」
「誰の性格が悪いって?」
「そのような恐れ多いこと、口にできようはずがありません」
でも実際、王妃かつ自分の母親の前で素を引き出そうとしてくるイリスは性格が悪い。俺にだって、一応という前置きはつくにしても、世間体とかそういう風評を気にする精細な心があるんだ。
少しは気を遣ってほしいもんだねまったく。
そんな気持ちを目で『わかったか? 王女様?』と伝えてみたけど、はんっと鼻で笑われてしまった。やっぱり、人様の性格を悪しざまに言えるほど性格よくないって。
「本当に仲がいいわね」
つい熱が入ってイリスに意識を持っていかれていた。王妃様の存在を忘れていたわけじゃないけど、見せる気のなかった普段のやり取りをしてしまい頬が熱くなる。
小さく喉を鳴らして取り繕うけど、やーい、とからかうような顔でイリスが人の太ももを突いてくる。あははー……あとで覚えてろよ絶対やり返してやる。
「イリスちゃんがこんなに楽しそうなのを初めて見たわ」
「……や、別にそんなんじゃ」
急に向いた矛先に今度はイリスが焦る番だった。
黒い瞳を泳がせて、膝の上で手を遊ばせている。人のことからかってるからだ。目で笑ってやれば、黙ってろとばかりに睨み返された。鋭い眼光におぉこわと、わざとらしく身を縮こませる。
「イリスちゃんは一人でいることが多かったから、お友だちができて嬉しいわ」
「友達じゃなくて、婚約者」
「あら? そうなの?」
これは……惚けているのか?
初めて知ったとばかりに丸くした淡い桃色の目を俺に向けてくる。どうなのよ? と、隣の王女様も目で訊いてくるけど、俺の答えは最初のときから変わっていない。
「そういうお話はいただきましたが、婚約者ではありません」
「イリスちゃん、ルシアンくんはこう言ってるわよ?」
くん、って。
俺、これでも17歳でもう成人してるんだけど。いや、いいけど。いいんだけど……くんって。首筋を鳥の尾羽で撫でられたようなくすぐったさがある。
「恥ずかしがってるだけ」
「認めてないから、公認じゃないから」
「じゃあ仮で」
どうしてこうイリスは俺を婚約者にしたがるのか。しれっと捏造するイリスに半眼を向けるが、目も合わせやしない。
「そうなのね。ふふ、こういうのはお互いの気持ちが大事だもの。あまり焦って関係を縛るものではないわ。ね、イリスちゃん?」
「……そういうんじゃ、ないけど」
顔を伏せたイリスが、消え入りそうな声で言う。
「そうなの?」
「そうなの」
「へー」
茶々を入れたらジロリと睨まれた。気づかないフリをして、焼き菓子に濃厚なクリームを塗って食べる。王族が口にするだけあって柔らかく質がいい。こういうときにしっかり食べとこうと卑しさを発揮していると、不意に「ルシアンくん」と呼ばれて小さくむせる。
けほっ、と軽く咳き込み、涙で滲む視界で王妃様を見る。
「な、なんでしょうか?」
「少し……2人でお話できるかしら?」
「え」
なんで2人?
冗談……じゃないんだよな? 親指で目元を拭って視界を晴らす。王妃様は始めからずっと変わらない穏やかな微笑みで、俺を見つめているだけだった。
悪意とか作為とか、そういう企みは感じない。
「王妃、なんで」
「お母さん、でしょう?」
「……お母さん」
「はい、よくできました」
嬉しそうに王妃様は笑う。
「ルシアンくんに訊きたいことがあるの」
「あたしがいてもいいでしょ」
「あなたがいると、素直に話せないでしょう?」
「……話せるよね?」
「俺にも秘密の一つや二つありますが?」
そんな眉間にシワを寄せないでほしい。王女様のしていい顔じゃない。
俺だって王妃様と2人きりで話なんてしたくないんだ。どうにか回避できるなら、それに越したことはない。でも、俺とイリスはお互いにお前が断れと無言で訴えて相手に押しつけるだけ。
「大丈夫よイリスちゃん、あなたの大好きな彼を盗ったりしません」
「好きにすれば」
これが決め手になって、不貞腐れたようにイリスがソファーを蹴っ飛ばすように立ち上がった。これを狙って煽ったんだとすれば、おっとりのほほんとしている割にお腹は黒いのかもしれない。
そのまま出ていくのかと思えば、イリスは後ろから顔を近づけてくる。耳元でぼそっと「王妃に変なことしないで」と言い残していった。
こそばゆさに耳を押さえる。誰がするかいと声を上げたいところだが、それも王妃様がいては難しい。振り返ると、すでにイリスは入口にいて、べーっと舌を出して足早に出て行ってしまった。
子どもか。
「本当にルシアンくんが大好きなのね」
「だい、すき?」
俺と王妃では物差しがずいぶん違うらしい。
メイドが丁寧に扉を閉めるのを見届けて、体の向きを正面に戻す。王妃様は変わらず微笑んでいる。優しそうな人だな、と最初にその笑顔を見たときは思ったものだし、いまでもその印象は変わらない。
でも、なにを考えているんだろう。
そんな疑問を抱いたときに、その微笑みが感情を悟らせない分厚い仮面になっているんだといまさらに気づいた。そりゃ、王妃だもんな。本当に見たまま物腰が柔らかい人妻なわけがない。
その王妃様から話って、なんだ。
緩んでいた緊張が戻ってくる。顔に出ていたのか、「そう緊張しないで」と苦笑されてしまう。
「大した話ではないの。本当に、イリスちゃんの前だと言い難いと思っただけだから」
「それは……どんなお話でしょうか?」
前のめりで、性急すぎたかも。
そう思ったけど、気になるは本当で、喉を絞めるような緊張が早く終わればいいとも思ってしまう。答えを求める俺に、王妃様は紅茶を一口飲む。
ことっ、と今日初めてカップの音を立てて、王妃様は少しだけ微笑みを浅くする。
「イリスちゃんの婚約を断る理由を教えてほしいの」
追求するような口調ではなかったし、咎めてもいなかった。
ただの確認なのは、柔らかく緩んだ目元を見ればわかる。
……わかる、けどぉ。
朝ご飯があたったように、胃がぎゅっと絞まった。