第4話 氷の妖精は惚れた男を湖の底に連れていく

 絶句している。
 そういうことだぞ、とようやく伝わったと思ったら青い瞳がキラキラとまたたいた。

「素敵です! ぜひ、ぜひ着よう! すぐに用意……屋敷に早馬を!」
「えー」

 なんでそうなる。
 普段の口調が交じるくらい興奮しているアイシアを捕まえる。ほっとくとそのまま屋敷まで走って戻ってしまいそうだ。

 どうしてそんな興奮できるのか。
 俺の執事服なんて需要ないだろうに。

  ◆ ◆ ◆

 困惑の視線を至るところから浴びせられながら、街の中に入っていく。
 立ち並ぶ家々は木造が多く、石作りの王都との違いを如実に感じるが、うちの領とは近い雰囲気があって落ち着きもする。とはいえ、公爵家の近くなだけあって、主要な道は石畳で馬車が軽やかに走っている。

「お祭りだー」
「お祭りですから」

 アイシアの冷静なツッコミは、寒冷地ならではだろうか。
 中央広場は俺の簡素な感想通り、見るからにお祭り状態だった。広場の至るところに氷像が置かれ、円を描くように露店が並んでいた。

 人は多く、服装からして外から来ている人も多そうだ。ちらりと見た中には、質のよい服を着て付き人を従えている人もいて、貴族も混じっていそうだった。
 夏の避暑地なだけはある賑わいだ。

 王都も人は多かったが、公爵領もまた凄い。
 お祭りだからというのもあるのはわかるが、うちの領の収穫祭なんてほぼ領民だけで雲泥の差がある。父上にはもっと頑張ってもらって、領地を盛り上げてもらいたいものだ。

「なにか食べる物を買ってきますね」
「あぁ、自分で」

 買うよ、と止める声を最後まで聞くこともなく、アイシアはあっさりと露店に駆けていった。断るにしても、せめて最後まで聞いてくれないものか。
 でも、咄嗟に遠慮しようとしたものの、そういえば手持ちのお金はない。だって、準備する間もなく馬車に乗せられてここまで来たから。

 普段の買い物なら支払いは『マグノリア家に』で通じるのだけど、こういう平民が中心のお祭りの場で事実上のツケが通じるかも疑問だ。じゃあ買ってきてくださいと言われなくてよかったまである。
 そんな情けないことを考えていると、両手に器を乗せたアイシアが戻ってきた。

「どこかで座って食べませんか?」
「そうだな」

 と、同意したはいいが、座れる場所なんてあるのだろうか。
 そう思ったが、アイシアが買い物をしていた露店の店主が席を用意して、笑顔でこっちを手招きしていた。領主特権というやつか。他にいい場所もないし、お言葉に甘えさせていただく。

「スノーティア領の名物なんですよ」

 そう言って渡してくれたのは、氷を砕いた氷菓子だった。凍った赤い果実が乗っていて、薄い黄金色のは蜂蜜だろうか。氷を名産とする領地ならではの名物だ。
 王都ではまず見ることのない高級菓子だが、氷が取れるこの地では庶民でも手が届くということか。なんとも羨ましい話である。

「あ、うま」
「ですよね」

 初めて食べたが、甘い蜜が染み込んだ氷が口の中で溶けて満ちる。口に入れたときは冷たすぎる気もしたけど、その冷たさがまた心地いい。
 夢中で食べていると、「私の食べますか?」とアイシアがすすっと自分のものを差し出してくる。さすがに卑しいという気持ちもあって、その好意は遠慮したが。

 あっさり氷菓子を食べ終えて、一息く。
 店先でぼーっと広場を行き交う人や、飾られた氷像を眺めながら、そういうばとアイシアに尋ねる。

「氷はわかるんだけど、湖ってなに?」

 氷湖祭りと謳っているが、いまのところ氷の部分しか味わっていない。名前だけ、ということもありえるが、なにかあるのかなーと思いもする。

「街から少し離れた場所に湖があるんです。この時期は水遊びもできて、そちらも祭りの会場のひとつとなります」
「あとで行ってみるのもいいか」
「ぜひ。それと、もとはこのお祭りは祭事で、その湖にまつわる伝承に関わっているから、というのもあるんです」
「伝承?」

 はい、とアイシアが頷く。

「氷湖の妖精というものです」

 冬の湖を訪れた狩人に惚れた湖の妖精の話。
 それは、惚れた男を氷漬けにして、湖の底に引きずり込んだ、というものだった。

 急なホラー展開に、体感気温が下がった気がする。

「かつては、湖の妖精を鎮めるために、身代わりとして氷像を湖に沈めていたんですが、ここ最近は氷職人の技術を誇るお祭りになっていますね」
「起源と受け継がれたものが違うなんてよくある話だわな」
「ですね。湖の妖精の伝承も、もとは危険な冬の山に入らないように、という戒めのものだったそうですから」
「あるあるだなー」

 民の信仰を集めるために、王を神の化身とした神話を作った、なんて話もある。神話も伝承も、もとを正せば人が作ったものばかりで、そうした意味では昨今流行りのロマンス小説と変わらない。
 そういうと『罰当たりだ』と噛みついてくる人もいるので、そういうのが面倒で口に出すことはないけど。

「……私は妖精の気持ちがわかります」

 ふと、感情が零れたような声に顔を上げる。
 アイシアの伏せた瞳は光を隠して、暗い青は水の底を思わせる。

「好きな人を誰の手にも届かないよう、自分だけのものにしたい。氷漬けにして湖の底で永遠にともに……」

 アイシアが顔を上げる。
 透き通った氷のように瞳を美しいと感じるのに、どうしてかいまは、そこに恐れが交じる。

「それもひとつの愛ではありませんか?」
「……そう、言えなくも、ないような? あるような?」

 口の中が乾く。しどろもどろになって、曖昧な言葉しか言えなかった。
 俺のことじゃない……と思いたいが、暗さを伴う瞳に見つめられると氷のように体が固まってしまう。このまま本当に氷漬けにされて、伝承の男のように沈められやしないか。

 そんな不安が頭を過ったところで、アイシアがこれまでの雰囲気を一変させて、にこっと微笑んだ。

「ふふ、もちろん冗談ですよ? この辺りでは恋人にする怖いお話として有名なんです。涼めましたか?」
「あ、冗談」

 なるほどそっかー、と納得するには迫真だったが。恋人にする話、というくだりも気にかかる。
 かといって、ここで『本当に冗談?』なんて訊き返す度胸もなく、あはは十分涼めたよあははー、と頬を引きらせながら笑うしかなかった。

 背中は汗でびっしょりで、その冷たさに背筋が震えた。