第6話 これ、あたしのだから
王妃とは軽い挨拶をしてすぐに別れた。
去り際に『いってらっしゃい』と笑顔で手を振ってくれて、本当に王妃というより隣人のお母さんという包容感にあふれている。息子の脛を蹴って追い出した母上とは対照的だった。
「そういえばさー」
イリスが牧歌的なマグノリア領を眺めながら、ぼそっと言う。
「なんで制服着てたん?」
「は?」
なに言ってんのこの子。
これから学園に行くんだから、制服は着て当たり前……、まえ?
「今日じゃねーな、登校日」
「だしょ?」
「しょ」
これから馬車で数日をかけて王都まで戻るんだ。だというのに、制服を着ている意味はない。えー、忙しく時間がない中、慣れない制服に着替えたのに無駄骨かよ。
やってられない。首を締めていた帯を雑に緩める。
「そんなこと言ったら、イリスだってそうじゃん」
「あたしはいいの」
女の子だから? と、究極の免罪符を予想したけど、違った。
「ルシアンに見せたかっただけだから」
「……そ」
つりそうになった喉では、こう言うのが限界だった。
◆ ◆ ◆
「ようこそおいでくださいました、イリス王女殿下」
学園に到着して出迎えたのは、父上とは違って本当に白髪が目立つ学園長だった。細身な紳士っぽく、物腰の柔らかい態度は警戒心を緩めるだろう。
……まるきり無視な俺は、頑なに警戒心を強めるけど。
「これ、あたしの婚約者っぽいマグノリア子爵家の子息」
「なんと」
学園長室に案内され、やたら高級そうな黒皮のソファーに並んで座っていた俺とイリス。その時点で、なにかありそうだと思うものだけど、従者かなにかと思われていたのか。
存在感がなさすぎ? それとも隣の王女様がオーラですぎなのだろうか。
立ち上がった学園長がわざわざ立ち上がって、慇懃に頭を下げてくる。
「これは失礼いたしました。本日入学のルシアン君ですね?」
「はい、そうです」
名前は覚えていたか。
意外な気もするけど、貴族が相手の名前と顔を覚えるのは必須技能だ。たとえ、会ったことがなくとも、これから入学してくる生徒の家名と名前くらい覚えておくだろう。
「まさか、イリス王女殿下に婚約者がいたとは」
「正確には違うので、あまり深く考えないでください」
「承知しました」
笑顔で了承してくれる。
王女の付き人程度の扱いだったのはしょうがなくもちょっといらっとしたけど、余計なことを詮索しない人で少し印象が変わる。こういうとき、他の貴族なら根掘り葉掘り聞き出そうとするからな。
大好きだから、ゴシップ。
「では、そのことについてはわたくしめの胸に仕舞い込んでおきます。代わり、と言っては少々語弊がありますが、イリス王女殿下にお願いがございます」
「嫌」
「……あの、お願いが」
「耳ついてんの?」
「…………何分、わたくしも歳で。年々、耳が遠くなっております」
学園長の額に脂汗が浮き出ている。
聞こえていただろうけど、そういうことにしてどうにか頷かせたいんだろう。でも、相手が悪い。
「ここに来たのは最低限の礼儀なだけ。それ以上をあたしに望まないで」
当たり強いなー。
最初から口も悪いし。うちの母上なんかにはちゃんと礼儀正しかったんだけど、あれは目上の人だからというわけでもなかったらしい。
「いや、しかしですね」
見るからに弱ったという態度で、助け舟を求めるように視線をこっちに向けてくる。そう言われたところで、俺がイリスの意思を変えるなんてできるわけもない。
俺が何度も『別の場所にしない?』と、娼館観光を渋ったのになんの説明もなく強行した女だ。俺が説得したところで鼻で笑われるだけだ。
肩をすくめる。
「俺、帰っていい?」
「あたしも帰る」
「お、お待ち下さいっ」
俺に続いて立ち上がった学園長が慌てて引き止めてくる。なんか、本当に困っているらしい。
「どうする?」
「嫌」
「一応、これからお世話になるわけじゃん。恩くらい売っておく?」
「……話を訊くだけでも恩って売れるの?」
「どうなんです?」
「…………お2人が婚約者だというのはよく理解できました」
なんで。
さっき考えるなって言ったら、紳士っぽく納得してくれたじゃん。それなのにどうして理解しちゃったんだろう。いまのやり取りに婚約者要素皆無だったろ。ただの確認だし。
耳、ついてんのか? と思っていたら、イリスがちょこんっとソファーに座り直した。
「話くらいなら、別に」
「いま手のひら返す要素あった?」
イリスも学園長も、俺のわからない言語かテレパシーで話したりしてんの? 俺と違う世界で生きてない? それとも俺が変なのか? 状況的に俺だけだもんな、わかってないの。なら俺かー。
しょうがないので、俺も着席し直す。
「で、お願いって?」
「講堂に生徒を集めておりますので、そこで挨拶をお願いします」
「帰るよルシアン、王都の屋敷に」
「今日一応、初登校なんだけど」
教室すら行かなかったら、それは登校したと言えるのだろうか。
立ったり座ったり忙しない。
もうあれだ、イリスが部屋を出るまで座っていようと決めて、ローテーブルの菓子に手をつける。王女に出すだけだって美味いな、この砂糖菓子。
「一言で構いません。どうかお願いできませんか?」
「嫌」
「全校生徒、あなた様のお言葉を待っております」
「待ってない」
「……陛下も、楽しみにしておりまして」
「来てんの?」
俺もイリスと同じことを思った。
陛下来てんの? 俺のお見合いのときといい、王様ってのは実は暇だったりするのか? あまり関わりなかったから詳しくないけど、もっと真面目な人だと思ってたのに。
どんどんイメージが崩壊していくな、あの人。
「いえ、急なお仕事が入り、王城へ戻られました」
そりゃよかった。
またお見合いのときみたいに『息子よ!』なんて迫られるのも嫌だ。本心かどうかは知らないけど、陛下の相手をするというだけで精神が氷菓子みたいにゴリゴリ削られていく。
イリスもその顔にかすかな安堵を見せて、息を吐いている。
「なら、それこそ適当に言っとい、て…………」
急にイリスがカチッと止まった。
瞬き数回分。
そこから動き出しかと思えば、指を唇に触れさせてまた固まってしまう。視線の先は学園長に近いが、なにかを考えるようにその黒い瞳は定まっていないようにぼやけて見えた。
顔が動いて、こっちを見る。
「あのぉ、王女殿下?」
「それは……ありか」
なにがだよ。
1人で納得しないでくれという俺の心の声は当然届かず、一転してイリスは王女らしい微笑みを見せた。
「そのご依頼、受けさせていただきます」
「おぉ、そうですか! 感謝いたします、王女殿下!」
「いえいえ、これも王族の務めです」
さっきまであんなに嫌がっていたのに、ずいぶんと軽い務めだ。
学園長に対する態度まで180度変わってるし。学園長は気にした素振りもなく、お願いが通ったことで安堵しているけど、俺はその微笑みがなんだか怖かった。
「わたくしにお任せなさいですわ」
キャラぶれてんぞ、王女様。
――……んで。
俺の予感は的中するわけで。
「――これ、あたしのだから」
全校生徒が集まっている講堂の舞台で、俺はイリスに腕を取られてこれ扱いされていた。集まる視線に胃が痛いし、冷や汗も止まらない。いっそこのまま干からびて死ねたらと祈るけど、人間はそんな面白い構造はしていなかった。