第5話 第三王女の戦場入り

 湖に行きますか? というアイシアからの提案を冷や汗交じりに断って、俺たちは氷の採掘場である地下洞窟を歩いていた。

「本当は関係者以外、立ち入り禁止なんですよ?」

 ルシアンだから特別です、と唇に人差し指を当てていたずらっぽく笑う。
 その所作は愛らしく、学園の女子生徒どころか男であっても心臓を射抜かれてしまいそうだが、さっきの湖に沈める話をされたあとだと素直にかわいいと思えない。

 洞窟も……なんかちょっと怖いんですけど。
 明かりはあるし、採掘場の人もいる。けど、氷を保管している場所だからか、妙に冷えていて、空気に湿り気もある。じっとりと重苦しく、誘われるがままに来るんじゃなかったと後悔したくなる。

 避暑という意味なら正しく役目をはたしているが、こういうことじゃないだろうと嘆きたくなる。
 公爵家からの婚約の申し出というだけで頭が痛いのに、これ以上悩ませないでほしい。いまとなってはやたら暑い王都の屋敷が恋しくなる。

 いまイリスは王族御用達の避暑地で満喫してるのかなー。迷惑だったとしても、俺も連れてってくれとお願いしておけば、こんなことになっていなかったのかなと思っていると、「ルシアン」と呼ばれてびくっと肩が跳ねた。

「はぃなんでせう?」
「せう?」

 アイシアが小首を傾げる。

「なんでしょう?」

 訂正すると、不思議そうにしつつもアイシアが到着しました、と先を促す。
 地下洞窟の最奥。
 そこにはここが地下とは思えないほどに大きな地下湖が広がっていて、そのすべてが氷になっていた。人の手で作られた氷像とはまた違う、自然の芸術にさっきまであった恐怖も忘れて見入ってしまう。

「……どうりで寒いわけだ」

 吐く息が白いのも通りだった。
 そこでは幾人もの人たちが氷を切り出してはソリのようなモノに乗せて運び出していた。

「あの氷は船を経由して、王都などの各地に運ばれていくんです」
「へー」
「夏ですので、これでも少ないくらいですが」
「これで?」

 見る限り結構な規模だが、アイシアは「はい」と頷いた。これなら夏でも氷を使えるはずだ。切っては運ぶ、そんな一連の作業を眺めていると、ひとり用の荷車に乗せた氷を地下水路に捨てているのが目に入る。

「あれはなんで捨ててるんだ?」
「切ったときに出た氷の削りカスや、透明度の低い氷ですね。氷は高級品で、貴族を中心に売られるものですので、質が求められます。一部は領民が使いますが……限度があります」
「なにか……もったいないな」

 質が悪かろうが使えそうなものだが、売る相手が貴族となるとそうもいかないんだろう。かといって、庶民向けに販売するほど数があるわけでもなく、こうして地下水路に捨てられている、というわけか。
 俺も貴族だが、自領ではあまり氷は見ない。

 貴重なのを知っているからこそ、捨てられる光景を見るとどうしてももったいないという気持ちになってしまう。港の漁でも商品にならない魚は海に返すというし、価値というのは暮らす場所によっても違うんだなぁとしみじみ感じる。

「役割がなくなれば、捨てられるんです」

 熱のない声。
 大きな水音を立てて捨てられる氷を見ているアイシアの横顔に表情はない。洞窟の明かりに照らされる氷の瞳から心を覗いてみようと首を伸ばそうとしたら、「アイシア様っ」と慌てた様子で駆けてくる男に遮られてしまった。

 湖が凍るほどの洞窟内で、薄い肌着を着ただけの男が手ぬぐいで汗を拭う。

「いらっしゃっていたんすね。声をかけていただければ、案内しますよ」
「仕事の邪魔はしたくないんだ。好きに見させてもらうから、気にしないでくれ」

 さらっと声が低くなり、アイシアの顔には爽やかな微笑みが浮かぶ。
 その切り替えの早さはもはや芸の域に達している。そうまでして令嬢としての顔と、王子様としての顔を使い分ける理由はなんなのか。驚き交じりに考えていると、男の顔がこっちを向いた。

「こちらはお客様すか?」
「あぁ――」

 と、一瞬俺に視線を向けて、アイシアはにこっと笑顔を浮かべる。

「――ボクの婚約者のルシアンだ」
「えっ!? アイシア様に婚約者がいたんですか!?」
「いねーよ」
「あ……違うんすね」
「いるよ」
「???」

 作業員の男が俺とアイシアを交互に見て困惑している。
 そうやって誤解を広めないでほしい。外堀から埋め立てて、既成事実をなんてされたら困ってしまう。アイシアの冗談だから真に受けないで、と伝えると、男は戸惑いつつも一定の理解……というか、理解するのを諦めたらしい。

 とりあえず笑っとけとばかりに、男はにかっと豪快に笑う。

「よくわからないっすけど、ちゃんと決まったら盛大にお祭りですね!」
「ルシアンの像を建てよう」
「いいっすね!」
「よくねーよ」

 適当なノリにツッコミが追いつかん。
 領民だからか、アイシアの言葉全肯定だし、ほっといたら本当に俺の像が建てられそうだ。俺にそうした顕示欲はないので、未来永劫像なんて建てないでほしい。
 もし作られちゃったときは壊そうと心で誓う。

「婚約者様も、もし困ったことがあったらオレに言ってください! なんでもします!」
「なら、ルシアンって呼んでくれ」
「わかりました! 婚約者様!」
「……」

 バカなの? という喉まで上ってきた言葉を押し返す。
 いる、こういう奴。
 人の話を聞いているようで、まるで頭に残ってない。特に酒場でよく見かけて、どいつもこいつも体格のいい赤ら顔なのが特徴だ。酔っ払ってんじゃないの? と、途端に疑惑が急上昇。

「じゃー、うん。なんかあったらよろしく」
「大船に乗ったつもりで任せてくれっす!」

 と、ぐっといい顔で親指を立てる男。
 これほど不安な大船もない。すぐ沈みそう。

  ◆ ◆ ◆

 氷湖祭りからの帰り道。
 夕暮れの陽が差し込む馬車の中で、向かいに座るアイシアはにこにことどこまでも楽しげだった。俺も楽しくはあったけど、見知らぬ土地で歩き通しだったのもあって疲れてしまった。
 洞窟も歩いたし、足の裏が痛い。

「元気だねぇ」
「ルシアンと一緒にいますから」

 俺と一緒にいられればそれでいい、みたいな返事にやや面食らう。
 学園で会ってからずっとアイシアはこんな調子だったが、スノーティア領に来てからというもの拍車が掛かった気がしてならない。

 俺と一緒にいてなにが楽しいんだか。
 卑屈になったわけじゃない。ただ、こうまで嬉しそうにされると困惑が強くなってしまう。婚約が関係しているんだろうけど、それがどうアイシアの上機嫌に繋がるかが皆目検討もつかない。

「なんで俺と婚約したいんだ?」
「ルシアンの傍にいたいからです」
「……いや、うん。それはそれでいいんだけど」

 そう臆面もなく言われると照れてしまう。
 頬が赤くなっているのを自覚しながら、けふんっと咳き込む。これで誤魔化されていたら話が進まない。頑張れ俺と自分を鼓舞する。

「そうじゃなくて、さ。あるだろ? スノーティア公爵家としての利益が」
「利益、ですか?」

 きょとんっとするアイシアに、「そう」と人差し指を立てる。

「じゃなきゃ、普通許可なんてしないだろ? 公爵家の令嬢がたかだか子爵家の三男と婚約するとか。や、正式に申し出を受け入れたとかじゃなくてね? その手前の話で」
「王女殿下との婚約は許されていますよね?」
「……あれは例外」

 両手で空想の箱を脇に置く。
 傍にいなくても人を困らせる。厄介な存在だよ、イリスは。とはいえ、一応イリスはイリスで理由はあったわけで、事情のあるイリスだからこそ陛下も婚約を認めたという経緯がある。アイシアとは違う。

「特殊事例はともかく。公爵家の当主が許すくらい、大きな理由があると俺は思ってる」

 それがなんなのかはわからないが。

「……まさか、王族に喧嘩を売りたいとかじゃないよな?」
「王族に」

 考えるように、アイシアの瞳が上を向く。
 そして、くすりと笑みを零した。

「そうかもしれません」
「あははー、国家転覆でも狙ってんの?」

 暗に冗談だよね? と笑い飛ばすも、アイシアは微笑むばかりだ。……いや、そんなまさかね? 縋るようにアイシアを見ると、「国家転覆ではありませんけど」と否定してくれてほっとする。

「喧嘩を売ったのは間違いありません。もしかしたら、スノーティア領に乗り込んでくるかも?」
「俺は関係ありません」
「そうしてあげたいのですが、火種ですので……ごめんなさい、ルシアン。難しいです」
「お前は死ぬをそんな丁寧に表現されたのは初めてだよ」

 一生経験したくなかった初めてだけど。
 王都に帰ったら即処刑だったりしないよね? 王家と公爵家の政争になんか巻き込まれたくないんだけど、どこで人生を間違えたのか。

 うぉぉおっ、と頭を抱えていると、「公爵家が認めた理由はあります」とアイシアが言う。

「――わたしがルシアンと結婚したいからです」

 まるで愛の告白だ。
 これも冗談の類だと思いたいが、その笑みにからかいの色はない。愛おしそうに柔らかく細めた青い瞳は、これ以上ないほど俺への好意を宿しているように見えた。

 そんなわけない。
 娘のわがままで公爵家が婚約相手を決めるはずないと、そう冷静な部分が訴えている。なのに、夕焼けの中にいる彼女を見つめ続けることができなくて、逃げるように目を伏せてしまう。

「……公爵家の当主もひとり娘にはダダ甘か」
「かもしれませんね」

 負け惜しみのようにそう口にするのがやっとで、鼓膜を叩く心臓の音がやけにうるさかった。

  ◆ ◆ ◆

 眠りを妨げるように体が揺れている。

「――きて」

 誰かが起こそうとしている。たぶん、アイシアだ。
 頭の芯に眠気が残っていて、「あと、ちょい……」と手を払う。これでまたぐっすり眠れる。そう思ったけど、今日のアイシアはしつこかった。

 起きて起きてと、何度も声をかけてきて、体を揺する力も強い。起きるまで絶対やめないぞという意思を感じて、ぐぐっと瞼を強く閉じていたけど我慢の限界だ。
 パシッと肩に触れている手を掴む。

「もう少し寝かせ……て?」

 パチクリを瞬きを繰り返す。
 それでも、視界に映った人物は消えず、また姿を変えることもない。ごしごしと目を擦っても同じだ。傍に立っていたのはアイシア――ではなく、俺がよく知る黒髪黒目のイリス王女様だった。

「よ」
「……よ?」

 まだ夢の中なのか、俺は。
 夢現だけど、幻であろうイリスに条件反射で手を上げる。そんな軽い返事にイリスは獰猛に歯を見せて笑う。

「宣戦布告されたから――迎えに来たよ、ルシアン」