第7話 1人になりたいときもある

「ふむ、まぁいいか。どうあれ、遅いか早いかの違いしかない」

 よくねーよ。
 もう少し考えてくんねーかな。俺の人生でもあるんだけど。
 そんな俺の心の声はもちろん陛下には届かず、小さな箱を取り出してきた。中からはやけにシンプルな銀色のリングが出てきて、王族が使うような派手さはない。

「婚約指輪なんですか、これ」
「そうだ。王家に代々伝わる秘宝――」
「遠慮します」

 そんなもん貰えるか。

「――というわけでなく、若い頃に私と妻がつけていたものだ」
「それはそれで重いんですけど」

 娘の婚約に使っていいもんじゃないだろ、それ。渡すにしてももう少し軽いものはないのか、心情的に。いや、嵌めないけどね? 婚約指輪なんて。婚約してないんだから。

「お気に召さないかね?」
「それは陛下が思い出とともに大事にしてください」
「なら、これと自分で指輪を用意するならどちらがいい?」
「そりゃもちろん自分で……あ」

 してやったり、という顔になる陛下。
 隣を見るとこれまたイリスがにへっと笑っていて、上手く誘導されたことを知る。

「ハメたな?」
「まだ嵌めてないよ」

 ちょいちょいと、左手の薬指を突かれる。
 そりゃ陛下と王妃の婚約指輪なら、まだ自分で用意した方がいいに決まっている。けど、そもそも俺は婚約指輪なんていらないのに、なぜ選ばせられているのか。

 ただの言葉遊びだ。
 こんなのズルい無効だと騒げばいいが、相手は仮にも陛下だ。イリスだけなら別にいいんだが、これを突っぱねていいものか悩む。正直、イリスとの婚約話すら『嫌』で拒否したのもどうかって思っているんだから。

 親子揃ってニヤニヤしやがって。
 見た目同様似てない親子だと思っていたが、意外と近しい部分もあるのかもしれない。

 はぁ、と嘆息する。
 根負けというか、俺が不注意だった。

「はいはいわかりましたよ、用意すればいいんでしょう、指輪」
「いいね、素直で」
「抗う隙も与えなかった癖に」

 先触れもなく、学園から王城に直通だ。
 身構える余裕もなかった。最初から仕留めに来てたな、これは。

「けど、指輪するかどうかは俺の好きにさせてもらうからな?」
「どーぞ」

 軽い返答だ。
 イリスからは何事にも熱というものを感じない。基本的に冷めている。冬の夜みたいな王女だ。なのに、どうして婚約指輪なんて欲しがるんだろうか、それもいまになって。

  ◆ ◆ ◆

「――婚約指輪が欲しいんだって。どう思うよ?」

 今日の昼休みはサロンではなく、校舎裏に来ていた。アイシアを呼び出して、昨日あったことを相談しているところだ。
 その顔はいつも通り微笑みだったが、口の端が引き攣っている。調子が悪いのか?

「…………どうって。ボクは、その…………デリカシーって知ってるかい?」
「お前、根本的に失礼だよね、って昔参加したパーティで言われたことはある」
「だろうね」

 納得される意味がわからん。
 やけに疲れた顔をしていて、生徒会も大変なのかもしれない。今度手伝おうか? なんて、社交辞令を本気に取られても困るので口にはしないが、それなりに心配はしている。

 でも、いまは俺の相談に乗ってほしい。

「そもそも、キミたちは婚約しているのかい?」
「してない」
「なら、必要ないとボクは思うよ」
「俺もそう思う」
「……結論、出てないかい? これはなんの相談?」

 幹を背もたれに並んで座るアイシアが困惑している。

「陛下とイリスが欲しいって言うから」
「断れなかったと?」
「……アイシアは断れんの?」
「無理だね」

 じゃあ無理じゃん。

「でも、キミなら断ると思ってたよ。そういうの気にしないタイプだと思っていたからね」
「どんなタイプだよ」
「嫌なことは嫌って言えるタイプ」

 違った? と、膝を抱えて首を傾ける。
 枝葉の隙間から差し込む陽光で、氷の瞳が反射していた。宝石とは違った、いまにも溶けてしまいそうな儚さを内包した輝きだった。直視し続けられなくて、顔ごと彼女から背ける。

「……交渉の末ハメられたんだよ」
「そうなんだね」

 本気にしてなさそう。
 心の奥の奥。普段は隠している部分を爪でカリカリと引っ掻かれているような感覚があった。

「私は、好きにすればいいと思いますよ」

 不意に手を取られる。
 陽の光で透き通る肌は雪を想起させるくらい冷たかった。けど、その声はいつもの中性的な低さはなく、女性的な艶と暖かさがあった。

 お姫様のように、アイシアは微笑する。

「きっとそれが私の望む結末になると思っております」
「……俺じゃなくて?」
「当然だろう?」

 人が変わったように、雰囲気が王子様に戻る。

「ボクはボクを優先していい、だろう?」

  ◆ ◆ ◆

 今日は馬車には乗らず、歩いて帰ることにした。
 見送るイリスも特になにも言わず、『じゃ』と颯爽と去っていった。あっさりとした別れ。イリスとの距離感はいまだにわかっていない。

 触れてきたり、気にも留めなかったり。
 こういう自由なところがやり辛いのかもしれない。

 1人で帰ろうと思ったのは、考えがあってのものじゃなかった。ただなんとなく歩きたくて、1人になりたかった。最近は大抵イリスといて、離れている時間というのが少なかったのもある。
 それを窮屈とは思わないけど、そういう時間も必要だろう。

「たまには酒場で飲むのも……?」

 ありかなー、と街の賑やかな喧騒に溶け込もうと考えたところで、視界の端に黒髪が映り込む。まさか、イリスが先回りした? それはそれで怖いんだけどと思ったけど、そうじゃなかった。
 そもそも身長からして違う。イリスよりもずっと小さく、メイド服を着ている。人の多い王都ですら黒髪は珍しく、メイド服との組み合わせともなれば1人しか思いつかなかった。

「確か……イリスの、妹?」

 いや、妹っぽいなにかだったか?
 名前はエリサだったような気がする。学園入学前で、ほとんど会話もしなかったから、記憶が朧げだったけどたぶんそのはずだ。その子が、酒屋の店先でなにやら店の人っぽいおじさんと揉めている。

 というか、一方的におじさんがまくし立てていて、エリサは見るからに怯えきっていた。面倒な場面に出くわした。内心げっそりするけど、知り合いが可愛がっている幼い子どもが揉めているのに黙って見過ごすことは俺でもしない。

「誰がお前みたいな不吉な子どもに酒を――」
「不吉な、なんだって?」

 声をかけると、厳つい顔がこっちを向く。
 恫喝するような低い声で、強面のおっさんが怒り顔してるんだからそりゃ怖かろう。ただ、その顔も俺には一瞬で、首から下に顔を向けると目をひん剥いた。

「これはお見苦しいところをお見せしました。なにかお買い求めですかい?」

 態度を急変させて、これでもかって営業スマイルだ。
 なんだ? と思ったけど、あれか、制服か。王都の学園って特待生でもない限り、貴族が通うところだからな。制服を着ているということは、貴族の子どもって認識なんだろう。

 身分証みたいなもんなのか、これ。襟元を摘んで、ぴんっとくる。
 ははーん?
 口元が緩む。不安そうにこっちを見上げてくるエリサの黒髪を撫でて、俺は酒屋のおっさんに笑顔で注文する。

「この子、俺の妹なんだわ。お使い頼んだんだけど――なんか失礼でも?」

 日に焼けた浅黒い強面が、見る見る青ざめていくのはちょっと面白かった。