第11話 高級娼館の主はそれはもう絶世の美女だった。
「ようこそいらっしゃいました、イリス様」
入口を抜けて、大きな広間で出迎えてくれたのは美しい紫の長髪をした美女だった。娼館なのだから娼婦ではあると
は思うのだけど、彼女を着飾るドレスはフリルが多く、露出度が少ない。
貴族令嬢と言われればその信じてしまう上品な雰囲気があって、そのお辞儀は見惚れるほどに綺麗だった。
なんか……凄いな。
子どもみたいな感想を抱いていると、宝石のように瞬く紫の瞳がこっちを向いてドキリとする。戸惑いを浮かべることなく、にこりと微笑んでくる。
「お連れ様もようこそお越しくださいました。白百合館一同、貴方様のご来訪いただき、身に余る光栄でございます」
「それは、その……ありがとうございます」
あまりにも丁寧さに俺の方が恐縮してしまう。なにより、純白の花のような可憐さと包容力のある優しい雰囲気に当てられて、柄にもなく上がってしまった。
これも仕事柄の手練手管の一つなんだろうけど、あまりにも強烈だ。娼館にあまり興味はなかったけど、彼女に会うために通い詰める男の気持ちはわかる。
「私はこの館の主を務めております、リリウムと申します。もしよろしければ、貴方様のお名前をお訊かせいただけますでしょうか?」
「あ、と、マグノリア子爵家のルシアンと申します」
「では、ルシアン様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろん」
「ありがとうございます!」
それはもう嬉しそうに笑って、リリウムさんはそっと手を合わせる。
客商売なんだから相手の喜ぶことをするに決まっている。そう疑ってかかっているのに、どうしようもなく嬉しくなるんだから困ってしまう。
ほんとにね、困っちゃうよ。
「……おい」
それは地獄の底から響いてきたような冷ややかな声だった。
途端、背筋が凍る。
「…………困るよねほんと」
「鼻の下伸びてるんだけど?」
「はははまっさかー」
さっと手で鼻先の撫でるフリをして隠す。
いやないとは思うけどね? そんなに見つめられちゃうと気になるっていうか、ほんと困っちゃう。どんな顔してるかなーっと、怖いもの見たさでちらっと隣を伺ったら、真っ黒な瞳が出迎えた。
色つき眼鏡からでもわかる真っ黒さだった。光がなく、どこを見ているのかわからない瞳。俺をその暗闇の中に映して閉じ込めていた。
「綺麗な人に会えてよかったね?」
「いやー別に俺が来たかったわけじゃないしー?」
「じゃあリリウムは綺麗じゃないって?」
「…………美人だよね」
袖を掴まれて下に引っ張られる。
「やめて服が裂けるって、というか転ぶ」
「あたしはなにもしてない」
すげー引っ張ってきてるのに?
むっつり唇を結んで、これでもかって裾を引っ張ってくる。不満があるのはわかった。そりゃね? 正式に婚約はしていないけど、イリスいわく仮の婚約者だ。
そんな男が娼館の女性にテレテレしてたら怒りたくもなるだろうさ。でも、連れてきたのイリスじゃん……っていう言い訳は通じないんだろうなー。
今度は下がる右肩にうーっとぐりぐり額を押しつけてくる。たじろぎながら、イリスの不満攻撃から身を捩って逃れようとしていると、鈴の音のように澄んだ笑い声が風のように俺たちの間を通り抜けていった。
「ふふっ、イリス様がそうして感情を剥き出しにするのを初めて拝見しました」
「……別に、そんなんじゃないし」
「仲がよろしいのですね?」
「誰がこんな色ボケ男」
肩に頭突きしてくる。痛いって。
「素敵なご関係で羨ましい限りです」
「そう見えます?」
いまにも足を踏んできそうなんだけど?
「えぇ、とっても」
そう言って微笑むリリウムさんは、余裕があって大人っぽい。娼館の主をやってくらいだし、年齢は俺より上なんだろうけど、30代にはとても見えない若々しさだ。
若くして成功しているとか、そういうのだろうか。容姿と実績が不釣り合いで、なんだか魔性すら感じる。
……なんだかまた隣から強い視線を感じる。チクチクと頬に棘が刺さったような幻痛に苦しんでいると、パタパタッと忙しない足音がどこからか聞こえてきた。
足音を追いかけて見上げると、吹き抜けになっている2階の回廊にメイド服を着た少女がいた。大きな胸に箒を抱きしめて、1階を覗いてくると「あ!」と元気な声を上げた。
そのまま2段飛ばしで階段を下りくる少女を、リリウムさんが「危ないですよ」と諌める。「ごめんなさーい」と謝りつつもその勢いは止まらず、下りきった大広間で飛ぶようにしてイリスに抱き着いた。
「イリス姉様! いらっしゃいませ!」
「……うん、元気だった?」
ぎゅぅうっと抱きしめるてくるメイドの少女に嫌な顔一つせず。
むしろ、姉と呼ばれるに相応しい慈愛に満ちた表情をしていて、俺は目を丸くする。
そんな顔もできるんだな、イリス。
不機嫌そうな顔がデフォルトなだけに、その穏やかな顔つきが予想外でつい見つめてしまう。優しく少女の黒髪を撫でたイリスがこっちを向く。パチリと目が合った。
「……なにか文句でもある?」
「仲よくていいなーって」
「ですよね?」
イリスが唇を小さく開いたけど、メイドの少女が先に同意をして、すぐに口をつぐんだ。バツの悪そうな顔をして、キッと目尻を釣り上げる。ちょっと面白い。
くくっと押し殺して喉を震わせていると、ようやく俺の存在に気づいたのか、イリスのそれなりの胸から顔を上げたメイドの少女がきょとんっとした顔で見上げてきた。
こてん、と首を傾げる。
「この方はどなたでしょうか?」
「あぁ、俺は――」
と、名乗ろうとしたところで、イリスに手で口を塞がれる。
イリスは至極真面目な雰囲気を出して、「この男はね?」と俺の紹介を始めた。
「美人な女性に鼻の下を伸ばす女好きで、金も権力もない子爵の三男で、あたしの婚約者よ」
「それは紹介じゃなくてただの悪口だな?」
まだ婚約者じゃないし。嘘教えるな。
そうなんだ、と本気にしている少女の顔と、後ろに控えて密やかに笑っているリリウムさんがやけに印象に残った。