第5話 婚約者希望な王女様

 豪奢な白い二頭立ての馬車。
 うちのとは違いしっかりとした作りで、クッション性の高さはお尻を優しく受け止めてくれるのと同時に、すわりの悪さも覚えさせた。

 対面に座る王女殿下は、俺とは違って涼しい顔だ。馬車から見える外の光景を眺めているのか、ただ呆然としているのか。
 虚ろな瞳はその内心を窺わせてはくれない。

「本当にうち来るのか?」
「じゃなきゃ、一緒に乗ってないでしょ」
「そりゃ……そうだけど」

 婚約の申し出を断った手前、申し訳なさがある。後悔はないけど、だからといって本人を前に気にしないほど能天気でもなかった。
 そもそも、なんでうちでお世話になるんだよ。

 屋敷に貴族が泊まることは珍しくない。来客用の部屋だってそれなりにあるし、普段から清潔にしてあるから急だろうと対応できる。
 かといって、王女様を泊められるか、というのは別問題だ。思惑が見えないのが、余計に不安を煽ってくる。

「婚約を断ったのに申し訳ないなー、とか思ってる顔」

 当たり?
 と、いつの間にか窓から俺に視線を移していた王女殿下が尋ねてくる。なにか含むように笑っていて、なんとも言えず答えづらい。

「……そりゃそうだろ」
「そういう素直なところは、いいね」
「褒めてるの?」
「さー?」

 また笑われる。
 なんか機嫌はよさそうなんだよなぁ。一応、失礼を働いた俺に、王女殿下はどこまでも寛容だった。どうでもいいだけかもしれないけど。

「そこまで気にしないでいいよ」

 また、窓の外を見て王女殿下が言う。

「どうせ、そんなくだらないこと、気にしてられなくするから」

 なるから、じゃなくてするからなのが、絶妙に怖かった。

  ◆ ◆ ◆

 数日掛けて屋敷に着いた俺たちが、最初に通されたのは応接室だ。見慣れたメイドの案内に従った先には母上がいて、王女殿下を見るなり立ち上がって深く頭を下げた。

「遠いところからどうぞお越しくださいました、イリス王女殿下。ご来訪を心より歓迎いたします」
「急な申し出を受けてくださり、感謝しています」

 貴族らしいやり取りにほけーっとしていたら、一瞬鋭い視線が飛んできた。事情は知っているらしい。肝が冷えるとはこのことで、「と、とりあえず座ろっか?」と着席を促してみる。

 王女殿下と並んで席に着くと、メイドが紅茶を出してくれた。緊張で乾いた喉を潤したいところなんだけど、母上の厳しい目があって指一つ動かせない。
 蛇に睨まれた蛙な俺が面白いのか、隣からくすくす笑い声が聞こえてくるのがやるせない。

 王女殿下がカップを置くと、母上は申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「手紙で仔細は窺いました。息子が失礼をしたようで、非礼をお詫び申し上げます」
「気にしないでください。私が性急だっただけです」

 それはそうだ。
 だいたい『あんたに決めたから、よろしく婚約者』という手紙だけで、婚約なんて大事を済ませようとした王女殿下にも大いに問題がある。
 つまり、俺は悪くない。

 よし、と納得したら、ティースプーンが飛んできた。鼻にぶつかって、めっちゃ痛い。なぜ? と思ったら、「あらごめんなさい」と微笑んで言った。

「手が滑ってしまいました」
「いや、絶対わざとですよね? 狙って鼻にぶつけてきましたよね?」
「まぁ! 王女殿下からの婚約の申し出を『嫌』の一言で断った愚息に、私がわざとスプーンを投げつけたというのかしら?」
「……偶然ですね!」

 厭味ったらしいったらない。ここまで来るとむしろ清々しさまであった。確かに俺が悪いところもあったけど、スプーン投げることないんじゃないか。
 ぶつけられた鼻先を撫でていると、王女殿下がくすくす笑った。

「仲がいいんですね?」
「息子に凶器を投げつける母親以外のなにに見えた?」
「あら、また手が」

 すこーん、と今度はおでこに当たった。なんで2本あるんだよ。普通、あってもカップに一つじゃないの?
 落ちたスプーンをメイドが回収していく。一連の流れが面白かったのか、口元に手を添えて王女殿下が肩を震わせていた。

「で……王女殿下がしばらく泊まるって話ですけど」
「もちろん構いませんよ」

 不貞腐れながら訊くと、母上は鷹揚に頷いた。

「どのようなお心積もりかはわかりかねますが、イリス王女殿下がご満足なさるまで、どうぞ我が家にてお過ごしくださいませ」
「感謝します」

 これで挨拶は終わったか。
 なんかやけに神経を使った。胸中で息を吐く。王女様の逗留中は何事もないといいけど、たぶんそうじゃないんだろうなー、と嫌な確信があった。

 それを証明するように、王女殿下は微笑みながら爆弾を投下していく。

「ルシアンのご家族に婚約者と認めてもらえるよう、努めさせていただきます」

 室内が凍りつく。
 最近、やたら俺の周囲では早い冬が到来する。頭の中で、『断られたのと、諦めるのは違うから』という彼女の言葉が反芻する。

 呑み込みのに相当難儀したらしい母上は、ようやく動き出すとぎこちない所作でカップを手に取る。震える手でどうにか口をつけて、喉を鳴らした。
 息を整えて、にっこりと微笑んだ。

「婚約者として歓迎いたします、イリス王女殿下」
「待て待て待って」

 受け入れが早いとか、そういう問題じゃないって。
 困った子ね、とばかりに母上が頬に手を添える。

「王女殿下の前ですよ? 騒々しくしてはいけません」
「なんでそこだけ正論……! でもですね? 俺は婚約話は断ったわけで、だというのに母上が受け入れますというのは間違っているんじゃないでしょうか?」
「あら? 間違ってはいませんよ?」

 満面の笑顔で母上が言葉を重ねる。

「これはルシアン個人の返答ではなく、マグノリア子爵家としての返答です。あなたがどうこういう権利はありません」
「……ないの?」
「はい」

 人権ってなんだろう。

「でも、ほら。父上が当主ですし」
「手紙でなぜ断ったと嘆いていましたよ」
「だと、してもぉ」

 抵抗したいが、母上は鉄壁の笑顔を崩さない。
 あー、これはダメだ。
 こうなったら母上はどうあっても意見を翻さない。父上もよく鉄壁笑顔な母上に泣かされているので、俺ごときじゃどうにもならないだろう。

「ルシアン、王女殿下と仲よくするように。いいですね?」

 友達と喧嘩しないようにと、子どもに言い聞かせるみたいだった。はー、と俺は長く息を吐いて、力なく頷くことしかできなかった。

  ◆ ◆ ◆

「大変だね」
「……わかってやってるよな?」

 お見合いからこれまで。
 心身共に忙しい日々と事件に目が回っていた。自室で人心地つくなんて久しぶりで、問題は多かれどようやく休めると思ったところに王女殿下がやってきた。

 興味深そうに室内を見渡して、ベッドに座っていて俺の横に腰掛けてくる。
 その行為を咎めるように、ジト目を向ける。

「淑女が男の部屋に来るもんじゃないぞ」
「婚約者だからいいでしょ」
「俺は認めてないんだけど?」
「あんたのお母様は認めたよね?」

 不敵に笑われる。
 あれを認めたと言っていいのか? あなたが起こした問題だから自分でどうにかしろと見捨てられた気がしてならない。
 酷い両親だ。先のことを考えず婚約話を断った俺が言えた立場じゃないんだろうけど。

 ぽふんっと隣で倒れる音がした。
 見れば、王女殿下が俺のベッドで横たわっていた。なにしてんのこの人。

「無防備すぎる」
「……手、出すの?」

 その微笑みは艶があって、言葉も相まって誘っているようにも見えた。
 スラリとした体型が浮き上がるドレスを一瞥して、ぐいっと背中を向ける。そしたら、後ろから澄んだ笑い声が響いてきた。

「意気地なし」
「意気地の問題じゃないだろ」
「かもね」

 あっさり同意してくる。
 本当に王女様らしくない人だ。かといって、他の貴族令嬢や平民の女性っぽいかと訊かれると、それもまた違うと思う。

 どんな型にも当てはまらない、そんな特異な形をしていた。

「らしくないって言われても、これがあたしの普通だから。別に男の部屋に入ったからって、どうとも思わないし」
「……態度に出てた?」
「ちょーでてた」

 背後でごろって転がるのを感じて振り返ると、王女殿下が横向きになってにへっと柔らかく笑っていた。

「そーゆーところ、いいよね」
「バカって言ってる?」
「素直ってことにしておく」
「褒めてねー」

 言い換えの言葉遊びだ。
 なんか思い悩むのがバカらしくなってきて、背中からベッドに倒れる。寝るつもりはないけど、瞼を閉じて。
 普段暮らしている私室。でも、いつもは感じない甘い香りにくすぐられていると、王女殿下が「ねー」と喉を鳴らすような眠たい声を出した。

「なーにー」
「髪、触って」
「…………急じゃね?」
「そうでもない」

 横を向くと、黒い瞳が俺を見ていた。王国に暮らしていても、まず見ない色彩だった。その艶やかな黒髪も、目にしたことはなかった。
 またふざけてるのかと思ったけど、その目はやけに真剣に見えて、一瞬、波紋が広がるように波打った気がした。

 手を伸ばして、頬に落ちる髪に触れると、それがどうしようもなく嬉しいと言うように、王女殿下はふふっと口元を綻ばせた。

「いまは、仮の婚約者ってところにしておく」