第4話 水着な2人の王女様と、湖で

 澄んだ湖が風に煽られ、小さく波打っている。
 北部の寒冷地であろうと日差しは熱いが、水辺なだけあって見ているだけで涼しく感じた。木々に囲まれた自然もあって、街中とは違う緩やかな空気があった。

 避暑地に求めるのは涼しさなんだろうが、本当に求めているのは喧騒から離れたこうした静けさなのかもしれない。

「……このまま一生ここで過ごしたい」
「冬は凍るし雪降るってよ」
「埋もれて死ぬかー」

 と、声を冗談を口にしつつ振り返って、慌てて顔を正面に戻した。その反応に、やってきたイリスは「はーん?」と嗜虐心に満ちた声を出す。
 その声だけで嫌になるのに、わざわざイリスは俺の視界に映るよう回り込んでくる。

「なぁに目を逸らしてんの?」
「淑女さんでしょあなた」
「ほら? 感想は?」

 まるで聞く耳を持たず、俺の前で腕を広げて見せる。
 しょうがなくイリスを見るも、その姿をひと言で表すなら刺激が強すぎた。

「慎み持とうね……」

 上下黒のビキニスタイル。
 余計な肉のない完璧な肢体を曝け出して、夏の日差しを白い肌が跳ね返している。制服や私服だとわかりにくい胸が深い谷間を作っていて、しっとりと汗で濡れているのが煽情的だ。

 上を見ないように視線を落としても、惜しみなく出された健康的な足が出迎えて逃げ場がない。

「で、どう?」
「……イリスも恥ずかしい癖に」

 頬が赤いのは、暑さとは違う理由なのはわかっている。

「それはルシアンの感想を聞かない理由にはならないよね?」

 羞恥はあるのに、見せびらかすようにイリスは腰に手を当てる。恥を忍んでも俺から感想を引き出したいらしい。しばらくは口をつぐんでいたが、一向にイリスが引く様子を見せないので負けた。

 唇をむにっと動かして、どうにか声を絞り出す。

「……似合ってるよ」
「どこら辺が?」

 まるで視線を誘導するように、手の甲で胸の下をなぞる。
 勘弁してくれ。
 そう心の中で弱音を吐いたが、照れつつも俺の言葉をじっと待っているイリスを前にしていると、頑なな口も閉ざしたままでいられなくなる。

「その……なに? 肌の白さと黒の水着で似合ってるというか、艶やか……なんか、うん。……謝るから許して」
「だめー」

 くす、とイリスが笑う。

「駄目だけど、今回は温情で許してあげる」

 感謝して。
 それだけ言って、くるりと背中を向ける。
 背中も背中で女性的な曲線と白さが映え、目を背けたくなる。いつも同じ屋敷で暮らしているからだろうか。普段とは違う、非日常さを感じさせる水着姿は俺の情緒を不安定にさせた。

 そのまま湖に歩いていく色気のある王女様を見送ると、熱っぽい吐息が零れた。

「…………なんで湖なんだか」

 イリス曰く、どうせ平行線だから、らしい。
 無理やり俺を連れ帰ろうにも、アイシアは許してくれない。それだったら、せっかく避暑地に来ているのだから遊んだ方がまだ楽しい。そんな逃避気味な思考らしい。

 俺も湖に来たかったし、わからなくもないが水着で水遊びという状況にはついていけてなかった。

 ルーナリアどころかアイシアまで賛同するし。
 一応、頑張って抗ってはみた。淑女として、人の目のある場所で肌を晒すのはどうなのか、と。それに疑問に対してアイシアはにっこりと笑って、『公爵家のみが使える湖があるから大丈夫』という返答を寄越した。

 なんだよプライベート湖って。これだから金持ちなイケメンは常識知らずで困る。
 お祭りで使っている一番大きな湖とは別に、近辺にはいくつか湖があるそうな。規模は小さくなるが、水遊びで使う程度なら十分以上に大きく、俺は『あ、そうなの』としか言えなくなった。

 全然大丈夫じゃないんだけど。
 平常心を保てない俺に「あの」と控えめな声がかかる。湖のほとりで膝を抱えていたけど、諦めて立ち上がる。ぺしぺしとお尻の土を払って顔を向けると、いたのはルーナリアだった。

「……ごめんなさい、ちょっと……、恥ずかしい、ですね?」

 隠すように体を抱いて、頬を赤らめながらも微笑んでいる。

「うん」

 と、ひとつ頷いて見せる。
 ワンピースのようなチェック柄の水着は、かわいらしい印象の強いルーナリアにはよく似合っている。腰回りはきゅっと絞っていて、女性的なラインを強調しつつ、ふわりと広がる裾のフリルが華やかだ。

 ……ただ、イリスよりも起伏の大きい胸元はいまにも零れそうで、幼さを残している顔立ちとのギャップに些か当惑する。

「ちょーかわいい」
「……! あ、ありがとうございますっ」

 とはいえ、わざわざそのことを指摘する必要もないので、ぐっと親指を立てる。そんな俺の褒め言葉に嬉しさと恥ずかしさを滲ませながら、肩をすぼめてルーナリアは下を向く。
 そのせいで余計に胸がぎゅぅぅうっとなって大変な事態になっているのだが、指摘するのは野暮というぶばぴゃ。

「…………あにすんだよ」
「熱そうだったから、煩悩で」

 背中から思いっきり水をかけられた。
 暑かったのは認めるが、別に下心とかそういう気持ちはない。一切ない……とは言わないまでも、俺の心はどこまでも凪いでいた。かわいいという気持ちが煩悩でなければ。

 つまり冤罪で。
 無実の罪で水をかけてきた王女様は、湖に両手をつけて構えている。キラリとその黒い瞳が光っていて、第2波をお見舞いする気満々である。

「ルーナリアは素直に褒めるんだ?」
「……ちゃんとイリスも褒めたじゃん」
「催促したらようやくね」
「言ったからいいじゃ――」

 ぴしゃり、と顔に水がかかる。
 これはあれか、戦線布告か?
 そう受け取った俺は、濡れた顔に張りついた髪をかき上げる。

「濡れ鼠にされたいってことでおーけー?」
「ルシアンごときにできるはずないから」

 せせら笑ってくるじゃないか。
 額がピキピキするのを感じつつ、おほほと手の甲を頬に当てて調子に乗るイリスをどう反省させてやろうかと考える。ふむ、ここは……と、おろおろしていたルーナリアの手を掴む。

「ひゃっ!? あ、あのルシアン様!?」
「あの悪役令嬢を一緒に倒すぞ」

 ぐいっと引っ張って、湖に駆け込む。

「うわっ、卑怯者」
「あははー、勝てばいいんだ勝てば」
「数の暴力とかさいてー」

 両手を口の近くに添えて非難してくるイリスには耳を貸さない。
 足が湖に浸かると、思いのほか冷たい。足元からじんわり全身に伝わってくる水の温度に引き返したくなるが、その程度で引き返すのー? とばかりにニヤニヤ顔で煽ってくるイリスにムカッとしてそのまま湖に足を沈める。

「平気?」
「は、はい。大丈夫です」

 ルーナリアも同じようで、湖の冷たさに唇をきゅっと結んでいるが、次第に慣れてきたのか次第のその強張っていた表情が緩んでいく。それを見届けて、ルーナリアから手を放し、湖に両手をつける。

「――覚悟はいいか? って、あれ?」

 どこいった?
 目を放している隙にイリスがいなくなっていた。まさか潜ったとか? ここら辺まだ浅いんだけど、と念のため水中に目を凝らそうとして、

「はい間抜け」

 不意に足元を文字通り救われて――ドボンッと背中から湖に沈んだ。
 ごぼごぼと気泡を吐き出し、そのまま仰向けでぷかりと浮かぶ。陽が燦々と照りつけ、澄み切った青空が広がっている。自然を一心に感じて、怒りなんて湧く……はずもあって。

「無礼講でいいよな……?」

 ちょっとはしゃぎすぎな王女様をお灸をすえてやろう。
 そう決意したが、
「い、イリス様っ!? 待って――きゃっ!?」
 というかわいらしい悲鳴とともにチェック柄のなにかが降ってきて俺はまた沈むことになる。

「よくないから」

 という言葉とともに、むにっと水よりも柔らかいチェック柄のなにかに俺は沈んだ。

  ◆ ◆ ◆

「疲れた……」

 湖のほとりでキャッキャと水を掛け合う王女2人を眺めながら、疲労を吐息とともに吐き出す。なんだかジジ臭いなと思いつつも、元気すぎる彼女たちにはついていけない。

「というか、俺ひとりに被害が集中しすぎ」

 男ひとりで女の子ふたりとなればそうもなろうが、遠慮するルーナリアにイリスがやってしまえと背中を押したのが主な原因だろう。そうした斟酌しんしゃくはときに美徳だろうけど、こうした遊びの場で不要の産物。始めとは違って緊張も解れ、遠慮なくイリスを湖に叩き落としているのを見ると、頬が緩むが俺もこのあとやられるのかなとげっそりもする。

「――あちらの席で休憩をしませんか?」

 いつ到着したんだろう。
 あとから来ると言っていたアイシアが気づけば傍にいて、楚々とした微笑みで木陰のお茶会に誘ってきた。