第3話 学園の王子様がドレスを着るとき

「――ルシアン様、どこか変……でしょうか?」

 控えめな紅で彩った蕾のような唇を小さく動かしながら、海のように深い青色のドレスで着飾ったアイシアが期待するように、けれど不安で瞳を潤ませて見つめてくる。

 夏季休暇直前の学園は静かなものだった。
 気の早い生徒はすでに授業を休んでいて、教室の席にはぽつぽつと空席が出始める。それでも残っている生徒はまだ多く、学園の制服姿ではなく、どこかのパーティにでも参加するような着飾った姿に騒然としていた。

「アイシア様の……ドレスっ!?」

 まず見ないドレス姿に、どこかの令嬢が悲鳴のような声を上げた。

「いつもは凛々しい生徒会長様がそんな……女の方のように」
「ですが、アイシア様は女性で」

 おろおろと、自分の目を疑うように令嬢たちが狼狽えている。残っている男子生徒たちも、中性的な王子様が絶世の美女へと変わった衝撃を受けているらしい。
 ただ、その反応は女子生徒とは違い上品さと色気、そして初々しい反応にやられているようで「美しい……」とうわ言のように零していた。

 アイシアが落とした石は大きく、波紋のように広がる騒動は学園全体に広がっているようだ。
 廊下からも騒然とする生徒たちの声が聞こえてきて、登校したばかりだってのにもう帰りたくなる。

 帰っちゃダメかなぁ、ダメなんだろうなぁ。
 固唾を呑んで見守る――とまではいかないまでも、注目が俺に集まっている。アイシアがドレスを着ただけでなにをそんなに……いや、なんか話し方まで違うし、なんなら雰囲気も違うけど、かといってここまで騒がなくてもいいと思う。

「アイシア……?」

 俺の席に来て、いつものように雑談していたイリスもなんか驚いてるし。パーティでも着てたし、そんな驚くことか? と首を傾げる。
 まぁ、周囲の反応は置いとくとしても、アイシアはなにしに来たの? って話。
 わざわざドレス姿を見せに来たんだろうけど、俺の感想を求める理由がわからない。男の意見が欲しかった……とか? ただ、それも俺じゃなくていい気もする。

 そうした疑問を声にしようとも思ったけど、水面のように揺れ動く青い瞳を前にすると、アイシアの求めに応じないわけにもいかないなという気持ちにさせられる。
 だから、

「似合ってるよ」

 と、素直に褒めると、なぜか周囲からの視線の鋭さが増した。
 言葉にこそしていないが、もっと気の利いたことは言えないのかとか、女性への接し方がなってないとか、死ねとか、そんな心の声が伝わってくる。
 いや、最後のはただの罵倒だろ。なんだよ死ねって。誰だよ。

 いいだろ別に本心なんだから。
 女性を星とか花とかに例えるとかあるけど、あぁいうのって恥ずかしいし、なんならそうした言葉選びをできる自分格好いいなーって酔ってるようにしか見えないし。

 ……そんなダメだった?
 回りからの刺す視線にちょっぴり不安になったけど、それは杞憂だった。

「……っ、ありがとうございます、ルシアン様。嬉しい、です」

 ドレスの裾を両手でぎゅぅうっと握る。
 シワになっているのに気づいてアイシアはすぐに放したけど、その赤らめた顔からは嬉しさが染み出していて、氷が溶けたように頬が緩んでいる。

 言葉は間違ってない。
 そう言ってくれたような気がしてほっとしていると、アイシアは「それでは、失礼いたします」とお辞儀カーテシーをして楚々と去っていく。

 雰囲気から所作まで別人のようだったけれど、柑橘を想起させる爽やかな香りだけはそのままだった。
 嵐が去った――というには、人が集まり過ぎているし、なんなら俺への視線や感情はさっきよりも感じる。そうした外部の一切を意識しないようにしつつ、ずっと思っていたことをぽつりと零しておく。

「で、なんだったの?」
「知らない」

 返事は期待していなかったけど、イリスがやたら低い声で応えてくれた。
 答えはくれなかったけど。

  ◆ ◆ ◆

 アイシアが教室からいなくなって騒ぎは終わり――とはもちろんならなかった。残念なことに。

「――アイシア様とはどういう関係ですのっ!?」

 いつもは遠巻きに俺とイリスを観察するだけのクラスメイトたちが、こぞって俺の回りに集まってくる。その過程でイリスが人混みで見えなくなったが、気にしている余裕もない。
 俺を押し潰す勢いで迫ってくるクラスメイトたちに、もはや恐怖すら感じる。

「アイシア様とおおおお付き合いしているんですかっ!?」
「いや、そうことはないから」
「ですが、あんっっっな可憐なドレス姿で会いに来たではありませんか!」
「……感想が欲しかっただけなんじゃない?」
「その感想をルシアンに訊きたかったんだろう!」
「そういう捉え方もできないこともなくもなくもないない」
「うわーん! モテる男は死ね!」
「……ねぇ? さっきからただただ俺の死を願ってる奴は誰? ぶっ殺すぞ?」

 僻みだし。
 だいたい、俺は別にモテるわけじゃない。舞踏会に出ても令嬢をダンスに誘うなんてことほとんどしないし、この前イリスと久々に踊ったくらいだ。あのときは踊り方を忘れていて大変だったなぁ……。

 現実逃避しようと思い出にしみじみしようとしたが、迫る現実は待ってくれない。
 人の目の前で婚約してるだ秘密のお付き合いだとか好き勝手言いやがって。これが公式な場だったら、全員貴族として不適格で実家に強制送還とかもありえるだろうに。

 普段は(表向き)礼儀正しい彼ら彼女らが我を忘れるくらいの事件だった、と。そういうことなんだろう。

「もしかして、イリス様との婚約を破棄されて――」
「あ」

 と、声に出したときには遅かった。

「――ルシアン」

 と、夏の夜風のような冷ややかな声が、教室の興奮と好奇心を攫っていった。
 失言をした令嬢はやばっと両手で口を塞いで、顔を蒼白にしている。海が割れるように人垣が開き、奥からイリスが歩いてくる。
 かつ、かつ、と。
 静まり帰った教室に、乾いた足音がやけに響いた。

 俺の前で立ち止まり、小さく息を吸った。

「帰ろう」
「あ、うん」

 朝なんだけどとか、登校した意味ないねとか。
 そうした反論はイリスの暗い笑顔の前では出てこれない。腕を絡めてくるイリスになにも言えず、そのまま引っ張られるしかない。

「…………わたし、不敬罪で死ぬかもしれません」

 ははは、と笑い飛ばせる雰囲気じゃないよね、いやほんと。
 腕を締めつける強い力を感じて、余計にそう思う。