第3話 湖で水遊びすることになったその経緯

「……アイシアがここまで強情だと思わなかった」

 客室でイリスがクッションを抱いて、顔を沈める。公爵家だろうと関係なくソファーで寝転がれる胆力には敬意を払いつつも、それはどうなのと思わなくもない。
 時と場所くらい選ぶべきでは、と。

 対照的にルーナリアはどこだろうと礼儀正しく、膝の上で手を重ねて背筋を伸ばしている。姿勢ひとつで慎み深さを感じさせ、その所作だけでいいとこのお嬢様だとわかる。

「これが王女様だよ。イリスも少しは真似たら?」
「王女様は廃業したの」

 王女様って廃業できるんだ。初めて知った。
 話題にされたルーナリアは頬を赤らめて、「そんな大したものではないですよ?」とあわあわしだす。

「このくらいは誰でもできますので……!」
「できない王女様でーす」
「そういう意味じゃなく!?」
「いびるなよ」
「意地悪な義姉……似合う?」
「え、あぅ……い、イリス様がお姉さんなのは嬉しいですっ」

 言わせた感が強い。

「こんなだらしない姉、嫌じゃない?」
「いえ! むしろ、それが嬉しいというか、心を許してくれているというか、仲がいいみたいな……ごめんなさい」

 ルーナリアの頭が垂れる。
 謝る必要はないんだけど、少々遠慮がすぎる。イリスの図太さを分けて貰えば、お互いちょうどよくなりそうなものだが、世の中そうは上手くいかないらしい。

 このままルーナリアを褒めちぎって自尊心を高めるのもいいけど、無理を言ってアイシアに席を外してもらっている。不満と寂しさを綯い交ぜにした表情を思い出すと、そう長くは我慢もできないだろう。

「ルーナリアをいい子いい子するのはまたあとでとして」
「しないで大丈夫ですよ!?」
「アイシアの件な」

 ルーナリアの悲痛の叫びをスルーして、本題に入る。
 ようやくかとばかりにイリスはクッションを抱いたまま体を起こす。その瞼は半分閉じていて、黒い半月が俺をじーっと見つめてくる。

「ルシアンが勝手に婚約した件ね」
「してないって」

 してないけども。

「俺が誰かと婚約するのに許可いるの?」
「いるでしょ、当然」
「当然なんだ……」

 自由意思ってなんだろうね。
 人としての権利を訴えたいところだが、それをするとまた話がズレそうなのでやめておく。一日中だってくだらない話で駄弁っていられるからな。

「ともかく、俺としてはアイシアが婚約を申し込んできた理由を知りたいんだよ」

 ん、んっと喉を鳴らすと、どういうわけか室内に沈黙が訪れた。
 なぜ? と、思って伏せた目を上げると、イリスとルーナリアが『そこから……?』みたいな目を向けてくる。それぞれ見せる感情は違えど、呆れや驚きがあるのはわかる。

 イリスどころかルーナリアからもそんな責めるような目を向けられて、え、これ俺が悪いの? と狼狽えてしまう。

「……そこからわかってないんだ」

 呆れたと、イリスがため息を吐く。

「ふたりはわかってんの?」
「それは……ねぇ?」
「いえ、あの……あはは」

 イリスに流し目を向けられたルーナリアが苦笑いを浮かべる。くるりと丸まった髪先を弄ぶ。見るからに困ったような反応だが、イリスの言葉を否定しない辺り、わかっていないのは俺だけなんだろう。

「えー、マジか」
鈍過にぶすぎ罪で死んどく?」
「お茶みたいに死刑勧めないで」

 一応王女なんだから、権威を振りかざせばできちゃうのが恐ろしいし。

「わかってんなら教えてほしんだけど」
「絞殺と斬首どっちがいい?」
「察しが悪いと死ぬしかないの?」

 助けを求めてルーナリアを見るが、彼女は困ったように微笑むだけだ。
 状況を整理しようと集まってもらったけど、出鼻を挫かれてしまった。一番知りたかったことを回答拒否されてしまった以上、この集まりももはや意味はない。

 あーあ、と机にへたり込む。

「はいかいさーんお疲れしたー」
「だらしない」
「……よく言えたな?」
「ちゃんと座ってるから」

 いまは、だろうに。

「あの……公爵家としてはどうなんですか?」
「ん?」

 弛緩した空気を引き締めようとでも思ったのか、ルーナリアが話を振ってくる。公爵家……ね。この屋敷に到着したとき以来、顔を合わせていないスノーティア公爵の顔を頭に浮かべる。

「どうもこうも婚約してって当主に言われたからな」
「公爵家もルシアン様との婚約に前向きということでしょうか?」
「あーね」

 と、口を挟んだのはイリスだ。

「こんな女心もわからない冴えない子爵家の三男と婚約なんて、公爵家が認める理由がないでしょ」
「え、あの……あはは、イリス様は冗談がお好きですね?」
「?」

 ルーナリアの言葉に、イリスがわからなさそうに眉根を寄せた。
 惚けてんのかと思えばその反応はガチっぽく、お前が言うな、という罵倒が喉まで出かかった。俺たちの微妙な反応を訝しみながら、イリスはぽふんっと頭からソファーに倒れ込む。

「負い目でもあったりしてね」

 天井を見上げて、ぽつりと呟く。

「せっかく跡継ぎの男児が生まれたのに、長女が反抗期で当主も大変ね」
「あれ? アイシアに弟なんていたっけ?」
「……それくらい知っておきなよ」

 本気で呆れられてしまった。
 そう言われても、他家の子どもが生まれたとかあまり興味ないし。いや、公爵家の動向くらい知っておけっていうのはそうなんだけど、直接知らせが届くとしたら父上だし……ね?

 知ってた? とルーナリアに目で訊けば、苦笑しながら頷かれてしまった。

「隣国の王女様さえ知ってるとか……これじゃあ俺が悪いみたいだ」
「反省しろ」
「はい」

 というわけで、額に手を当てて反省。
 1、2、3……よし、終わりと顔を上げると、イリスの呆れ顔と対面したが気にしない。

「……ちょうど2年前くらいだったけ?」
「そうですね、パーティを開いて大々的に公表していましたから」

 無知な俺を放置して、情勢に詳しい王女様2人が話を続ける。
 ちょっとした疎外感に寂しくなりつつ、そういえばアイシアが実は女だったと公表したのもその辺りだったかもと記憶を辿る。
 それらを繋ぎ合わせると、アイシアが男として振る舞っていた理由も、女性であることを明かした理由にも予想は立てられる。その良し悪しはともかく、貴族らしいな、とは思う。

 ただ、そうした家の事情で性別を偽っていたアイシアはどんな気持ちだったんだろう。そして、役割に準じていたのに、もう必要ないと言われた気持ちは……。

「――話聞け」
「いだっ」

 思い耽っていたら、髪の分け目に沿って手刀で叩かれた。
 なにすんだとイリスを睨むが、「話を聞かないから」と逆に睨み返されてすみませんと謝ることになった。弱すぎないだろうか、俺。

「なに? 情報よわよわな田舎貴族の陰口は終わったん?」
「終わった」
「してませんよそんな陰湿なこと!?」

 あっさり肯定したイリスに続いて、慌てたルーナリアが声を上げた。興奮した様子にわかっていると、手を上げる。お隣の国の王女様はまだまだこうした軽口には慣れていないようだ。

「で、なに? 人の頭を叩いてハゲさせるほどの話なんだよな?」
「もちろん」

 机に突っ伏したまま上目で見ると、イリスは自信満々に頷いた。

「ルーナリアと話して――湖で水遊びすることになったから」
「……なんで?」

 アイシアの話しからどこをどう辿ったらそんな結論に至るのか。話の経緯がなにひとつわからず、俺は迷子のように困惑するしかなかった。