第2話 一緒に帰るから――それだけは、絶対
「……悪いんだけど、聞こえなかったからもう一度言ってくれる?」
ルシアンを起こしに行こうとしたあたしに、立ち塞がった使用人に努めてキツい口調で言う。王女のあたしが不機嫌だと訴えているのに、スノーティア公爵家の使用人は顔色ひとつ変えることなく淡々と同じ言葉を繰り返した。
「ルシアン様は早朝、お帰りになられました」
「……へー」
声が小さく震える。
もちろん、それは寒さや戸惑いからくるものじゃなくて、湧き上がってくる怒りを押さえているからだ。
こいつはただの使用人だ。当たってもしょうがない。それがわかっているから、あたしは冷静に問い質す。
「ルシアンがなにも告げずに帰ったって?」
「その通りでございます」
「あたしになにも言わないで?」
「誠に残念ですが」
「……それを、帰ったあとにスノーティア家は伝えに来た、と?」
「お休みになっている王女殿下を起こすわけにはいきません」
「そう……――舐めてんの?」
聞くに耐えない言い訳を並べられて、気の長いあたしも我慢の限界だった。
ルシアンが帰る? ない。ないったらない。
それはルシアンの性格的にというのもあるけど、あのアイシアがこんなあっさりとルシアンを手放すとも思えないからだ。ここに連れてきたのも強引だったと聞いてる。
「そんなわけないでしょ」
確信があった。こいつは嘘を吐いている。正確に言うなら、この使用人を通してアイシアが、だ。
強引な手段に出たか。
ルシアンにも有無を言わさぬ手段……監禁とか、そういうの? やるかな、と想像すると、やりそう、という答えが内側から返ってくる。
あたしのだ、と宣言してもアイシアだけは微笑むだけだった。人のよさそうな微笑みだったけれど、その裏では“認めない”という確固たる意思が見え見えだった。
そのうちなんかしてくるかな、と思ってはいたけど、こうまで手段を選ばないとは思っていなかった。……あたしがルシアンとの遊びにうつつを抜かしていた、というのもあるけど。楽しかったし。
アイシアといい、ルーナリアといい、本当に厄介な女に好かれる。
「ルシアンを返して」
「何度も申し上げている通り、ルシアン様はお帰りになられました」
頑なだ。いっそ清々しいほどに。
このままだと平行線で埒が明かない。本当は権力を振りかざすなんて真似死んでもしたくないけど、ルシアンの身柄がかかっているのだからそうも言ってられない。
それに、相手が力づくでくるというのなら、こちらも相応に力でも持って応えないといけない。つまり、アイシアのせいだからと、心の中で大義名分を掲げつつ、にっと口の端を持ち上げる。
「ふーん、スノーティア公爵家は王女であるあたしに嘘を吐いて、楯突く……そう言うんだ?」
「……」
王族であることを盾に、高圧的な態度で振る舞うと使用人は表情を固くして押し黙った。
効いてる効いてる。
内心、ほくそ笑むが黙られるのは困る。相手の失言を誘いたいのに、これでは話にならない。もうちょい突くか、と思ったとき、割って入ってきたのは厳格な男の声だった。
「――そうなっても構いません」
使用人の後ろから歩いてきたのは、スノーティア公爵家の当主。
アイシアと同じ青い瞳を細めて、あたしを射抜いてくる。大貴族らしい厳格さと落ち着きを伴った雰囲気に気圧されそうだ。最近はめっきりないけど、昔、顔を合わせたことはある。
挨拶程度で、そう長く話したわけではないけれど、あたしの中の厳格な貴族らしい貴族のイメージはこの人だ。……身内が、王族にしては破天荒すぎて基準にならないから、というのもあるけど。
「……あたしに歯向かうんですか?」
「王女殿下に歯向かう気はありません。ただ、私は事実を申しているだけです。それを嘘つき呼ばわりしているのは殿下でしょう」
諭すようで、責めるような言い分にぐっと唇を浅く噛む。
正直、公爵が出てくるなんて考えていなかった。ルシアンを隠したのも、アイシアが勝手にやっていることだと思っていたから。
なにより、この人は公爵家の当主。
たかだか娘の恋愛事情に首を突っ込むような無粋な真似も、貴族らしくない真似もしないと思っていた。
「なにより、殿下が王家と公爵家との対立を決めてもよろしいのですか?」
これは決定的だった。
はぁ、と息を吐く。強情にそれでも、と言えたらよかったけど、ルシアンのことであってもそこまで権力を盾に争う気にはなれなかった。巻き込む範囲が広すぎる。
ルシアンの命が賭かってるなら別だけど。
アイシアがルシアンに危害を加えるというのは想像できない。だから、家まで巻き込んだ騒動を起こす気にはなれなかった。
「あたしはルシアンと一緒に帰るまで滞在しますよ」
かといって、引く気は毛頭ない。
それを睨んで伝えると、スノーティア公爵は瞼を閉じて「王女殿に留まっていただけるのは、臣下として光栄の至り」と無表情のまま思ってもいなさそうなことを言う。
では、失礼します、と来たときと同様、あっさり去っていたスノーティア公爵だったけど、去り際にひとりごとが聞こえた。
「……せめて、これくらいはせんとな」
あたしと相対していたときの覇気はなく、どこか悲痛さを感じさせる弱々しい声音だった。使用人もそのあとに続き、廊下にひとり立つあたしは口の端を下げて、目を眇める。
「…………どこの父親も娘には甘いのかな」
「あの……イリス様?」
うわっ。
いきなり後ろから声をかけられてびくっとなる。後ろにいたのはルーナリアで、見上げる琥珀の瞳は揺れ動き、見るからに不安そうだった。
「びっ……くりした。いつからいたの?」
「ごめんなさい。イリス様の声が聞こえて……スノーティア公爵がいらっしゃった頃から、話しかける頃合いが見つけられず」
頭を下げて、ルーナリアはまた謝ってくる。
「そんな謝んなくていいから」
どうしてこう低姿勢なのか。
国は違うけど、あたしと同じ王女なのに、どういう環境で育ったらこんな自信のない子に育つのか。あたしの環境が特殊だとしても、王族として育ってこうも気が弱くなるのは不思議だった。
セレネ王国は王子王女も多いらしいし、そういう理由?
「それで……あの、ルシアン様は?」
「あー、そうね、どうしよっかな」
本当に。
あたしにもルシアンにも手荒な真似はしないだろうとは思うけど、だからといって素直に返してくれるならこうも強引な手段には出ない。
「アイシアだけならともかく、当主も共犯じゃね」
ここが王城ならもう少しあたしも勝手ができたが、公爵領でその屋敷だ。下手な真似をして、陛下や王妃に連絡がいって強制帰城なんて事実上の負けだ。
……負け。なんかそう思うだけで、ちょっとムカムカしてくる。
「一緒に帰るから――それだけは、絶対」
◆ ◆ ◆
「――ルシアン様、あーん」
メイドの格好をしたアイシアが氷菓子をすくったスプーンを口元に寄せてくる。
ベッドの上で食べるとか、病人かな俺は。
そう思わなくはないが、鎖に繋がれた状態では移動もし辛いし、閉じ込めてきたアイシアに反抗するのもよろしくないかなと素直に口を開けて受け入れる。
「美味しいですか?」
「……うん、まぁ」
シャリシャリで甘い。
控えめに頷くと、まるで自分が食べているようにアイシアは頬を緩めて幸せそうにする。その幸せをもう一度噛み締めたいというように、また氷菓子をすくう。
「どうぞ、ルシアン様」
あーん。
と、差し出してくるアイシアに、俺はどうしようと心の中で苦悩する。
このままだと堕落しそうなんですけど。
そう思うくらいには、監禁生活は快適で、やることがなかった。