第1話 第三王女 VS 公爵令嬢
起ききらない頭で考えるには、イリスが来たのは衝撃的すぎる光景だ。ベッドによいしょと腰掛けて、イリスはまだ寝転がっている俺を見下ろしてくる。
「あたしについて来なかったのに、アイシアの実家に行くんだ。ふーん?」
「来たというか、連行されたというか」
細めた黒い瞳が棘のように頬に刺さる。
悪意ある取り方では? と疑問を呈したいが、まだ活動前の脳では口を上手く動かせない。あーとか、うーとか、口をもごもごさせていると、イリスはわかっているとばかりに息を吐いた。
「アイシアでしょ? 手紙来たし、わかってるよ」
ひらひらと手紙を振る。
どうやらそれはアイシアが出したもので、それなりに事情は把握しているようだ。説明がいらないことに安心したけど、「ただ」とイリスは人の鼻を突いてくる。
ぷにっと持ち上げて、なにをする。
「あたしに連絡を寄越さなかったのはどうかと思うけど?」
「そんな余裕なかったし」
「でも出せ」
「わー理不尽」
ぴんっと指を払いのける。
くだらない会話だけど、脳を起こすには一役買ってくれた。ふはっ、と欠伸交じりに息を吐いて、目尻に浮かんだ涙を拭う。ようやく同じ視線で見れたイリスはいつも通りラフな格好で、どこでも変わんないんだな、とちょっと安心もする。
「そっちはやること終わったの?」
「……ま、なんとかなるっしょ」
イリスの目がついーっと泳ぐ。
これは……ダメそうな気が。
一抹の不安はあるが、責めはしない。俺を心配して来てくれたのだから、よっぽどのことじゃない限りはフォローしようじゃないか。
「なんかあったら、俺も一緒に謝るよ」
「ほんと? なら、帰ったら陛下と王妃、それから兄弟姉妹に」
「なんで君たちは気軽に死ねって言うの?」
「これで憂いはなくなったね、うん」
うん、じゃねーが。
形のよい胸の下で腕を組んで、安心安心と頷くイリスを見ると不安でならない。これ、王都に戻ったら王族関係者全員に謝罪回りとかしなくちゃいけないのだろうか。考えただけで胃が竦む。
「いざとなったらイリスを生贄にしよう、うん」
「うん、じゃないんだけど?」
あっはっは、と笑いあって一区切り。
ちょいと真面目な話をしようと表情を引き締めて、空気を入れ替える。
「俺を迎えに来たって言ってたけど、このまま帰るの?」
「んー、どーだろ」
イリスが手紙を鼻先に添える。
「出方次第、かな。問い詰めないといけないし――ね?」
と、イリスが顔を正面に向けた。
「ボクもあるかな。どうしてイリス様がここにいるのかとか、ね?」
いつの間にか開いていた扉の先にはアイシアが立っていた。案の定、今日も今日とてメイド服を着ていて、俺の世話を焼きに来たんだろう。笑ってこそいるが、影の掛かった目元は暗く、青い瞳に光がない。
俺に向けられたものではないとはいえ、明らかに仄暗い感情を宿した瞳は先の見えない洞窟のようで恐ろしかった。
アイシアが部屋の中に入ってくる。
かつ、かつ、とやたら足音を響かせているのは牽制だろうか。ぴたり、と足を止めたのはイリスが腰掛けたベッドの前。その所作は有能なメイドのように品があるが、見下ろす姿にはやたら威圧感を感じてしまう。
「応接室で待っていてと伝えたはずだけど……どうしてこちらに?」
「あー、そーだっけ? 覚えてなかったわ」
「記憶力に難がある、という告白かな? 今度からは気をつけるよ」
「……は?」
どこから出したの? ってくらい、低いドスの効いた声に冷や汗が頬を伝う。
見下ろすアイシアを見上げて、イリスは足を組んで太々しい態度を崩さない。バチッ、と視線がぶつかっても臆さず、真っ向から対立している。
それをひとり蚊帳の外で見ている俺はというと、極寒の雪山に放り出されたみたいに体が震えていた。こういうのは当事者たちよりも観戦している方が怖い。ガクブルだ。ちょー逃げたい。
でも、ここでこっそり腰を上げてもバレるだろうし、標的にされるのはもっと嫌だ。肌が凍るようなひりつく空気にどんよりしてしまう。
「これ、あたしのだから、返してもらう」
「違うよ」
アイシアが笑顔で首を左右に振る。
「――ルシアンはボクの婚約者だ」
胸に手を当てた堂々とした宣言に、ぴきり、とイリスの額に青筋が浮かぶ。
それを見て俺は、早く嵐が通り過ぎてくれますようにと祈るしかない、ただただプルプル震えるか弱き生き物だった。