第2部 第2章

第1話 女の子な理由

 ――おはようございます。
 冷たさと温かさ。矛盾した温度を宿す声が耳朶を打つ。疲れた体は重く、不意に瞼を貫いてくる光が脳を刺激する。暗闇に手を伸ばすように枕に顔を埋めると、今度は肩に細い指が触れた。

「起きてください、ルシアン」

 甘い声。
 飴玉を舐めるような、そんな濃さがあった。体を重くする眠気よりも、その甘さを堪能したいと小さくを口を開いて、声の代わりに吐息を零す。

 薄っすらと開いた視界に映るのは輪郭のぼやけた人。
 それは女性で――イリス?
 いつかの光景と重なって、夢と現実が曖昧になる。ただ、外から受ける刺激で意識と視界は鮮明になっていき……。

「アイシア……?」
「はい、おはようございます」

 グラスの中で氷がぶつかったような、凛と涼しい声だった。
 でも、その顔は花のように咲き誇っていて、頬の赤さが氷とは違う熱があることを教えてくれる。

 色々と気になることがある。
 まだまだ目覚めきっていない頭だが、それでも衝撃的な光景を目にすると優先順位をつけて疑問を口にできるらしい。
 なんでここにいんの? とか、ここどこだっけ? とか。
 訊きたいことはあったが、

「なんでメイド服着てんの?」

 白と黒のエプロンドレス。
 それを公爵家の令嬢が身につけていること以上に気になることはなかった。優先順位をつけられた、というよりも、それで頭がいっぱいになった、というのが正しいのかもしれない。
 いやマジでなんで。

 そんな俺の心の底から出た純度の高い質問に、アイシアは上から俺を見下ろす姿勢で「決まっています」と微笑み答えた。

「ルシアンが屋敷にいる間、私がお世話をさせていただくからです!」
「……ほーん」

 と、一回納得して、あーん? と心が疑問の声を上げた。

「いやなんで?」

 答えになってなくない?
 俺の世話を令嬢がやるのも意味わかんないし、だからメイド服を着たというのがさらに俺を混乱させている。お世話をする人ってみんなメイドじゃないといけない決まりとかあったっけ? 暗黙の了解? どこの常識だよ。

 ありえないのに、そんな俺の方がありえないとでもいうように、アイシアはきょとんとその氷のような青い瞳を丸くさせている。

「お世話をするのはメイドのお仕事ですよね?」
「そう……だね?」
「メイドの正装はエプロンドレスですね?」
「時と場合によるけど……だいたいは?」
「であれば、ルシアンのお世話をする私がメイド服なのは、当然の帰結ではありませんか?」

 そうかな? そうかも。
 ダメだ。なにかが違うと心の冷静な部分が訴えているけど、頭が回らない。理路整然としているようで、『開かない扉は壊せばいいんですね!』と脳筋極まる暴力的な解決方法で提示されたような。

「……ルシアンのご迷惑になるなら、やめます」

 しゅんっと目を伏せるアイシア。
 エプロンに深いシワができるくらい握りしめて、青い瞳が零れそうなくらい潤み出す。そんな表情をされると、うっと罪の意識で胸が痛む。

 この手の方法はイリスにもされたことがある。
 ダメ? と押してくるイリスとは違って、アイシアは身を引こうとしているけど、罪悪感を煽ってくるのは同じだ。なんなら、その悲しそうな表情はイリス以上に心を痛めつけてくる。

 ほんと、女の子ってズルい。

「……好きにして」
「――! ありがとうございます!」

 尻尾があったらブンブン振っていそうな喜びようだ。
 大型犬みたい。
 きっと血統書つきの上品な犬なんだろうな、と真っ白でふわふわとした犬を想像する。目は青で、機嫌がいいときは尻尾を揺らすんだろうなー、と揺れるスカートを眺めながら思う。

 青い髪が肩口で弾み、動きに合わせて揺れている。
 水のように流れる青を眺めていると、アイシアが丁寧に畳まれた服を持ってきた。

「お着替えしましょう」
「するけど……」

 ニコニコ。
 服を手に持ったまま、アイシアは動こうとしない。試しに服を取ろうとしたけど、すいっと流れるように避けられてしまった。なんで? という意味を込めて見上げる。

「お手伝いします」
「結構です」

 貴族は一人で着替えもできない、なんて巷では噂されているが、それは半分本当で半分嘘だ。使用人に生活のすべてを手伝ってもらうというのは、それこそ王族とか公爵とか、より高貴な身分の人々限定。
 俺みたいなふつーの子爵家の子息となると、自分のことくらい自分でする。王族イリス公爵アイシアも、自分の世話は自分でやっていそうなイメージはあるけど。

「そうですか……」
「そんなかわいい顔してもダメだから」

 いくらしゅんっとされても、こればっかりは好きにしてとは言えない。だいたい、使用人にならまだしも、相手は学園の先輩で公爵家のご令嬢だ。そんな人に着替えを手伝ってもらうとか、ご褒美どころかもはや拷問。断頭台が走って迫ってくる。

 ひとしきりしょぼくれていたアイシアだったが、俺が頑として折れないというのが伝わったからか、諦めて着替えを渡してくれた。

「せめて、服は脱がせていただきますね!」
「出てけ」

 せめてじゃねーよ。なにいい笑顔で寝言ほざいてんだこの公爵令嬢。俺じゃなくて、アイシアの方がまだ夢の中にいるんじゃないかって疑いたくなる。
 しっしっと追い払うと、肩を落としてとぼとぼと部屋を出ていこうとする。

 朝から疲れる。
 隠れてため息を吐きつつ、そういえば、とちょうどドアノブを握ったアイシアに訊いてみる。

「なんでお嬢様なん?」

 やや端折はしょりすぎたかな、と言ってから思ったがちゃんと伝わったようだ。掘り返ったアイシアの顔は、恥ずかしそうに赤く色づいていた。

「……私も女の子ですから」

 にへ、と笑った顔は確かに女の子で。
 口にして恥ずかしかったのか、逃げるように部屋を出ていく。バタンッと音を立てて扉を閉めていった。扉の向こう側からパタパタと駆ける足音が聞こえてくる。

「もとから女の子だろうに」

 なんなんだろうね。
 残る疑問に頭を傾げながら、着替えるために襟元のボタンをひとつ外す。

  ◇ ◇ ◇

 ――どうしてお嬢様なのか。
 ルシアンの質問に答えて、ボクは頬の熱が高まっているのを感じた。呼吸が熱い。心臓が痛いし、血の流れが激しくてなんなら全身が痛い。

「~~っ、女の子って」

 ルシアンが訊きたかったのが、いつもとは違う口調や態度のことだとはわかっている。ボクにとっては男性としての振る舞いが自然で、女性的な所作が似合っていないのも自覚している。

「やっぱり、変……だったかな?」

 廊下の壁に背をつけて、スカートを摘む。
 ドレスにはまだ抵抗がある。メイド服だってそうだ。動くたびに揺れるスカートの裾が気になるし、心もとない。お尻を通り過ぎていく風が落ち着かなさを煽る。

 ここ2年で着慣れてきたつもりだけど、それでも違和感は拭えない。というか、よくこんな隙だらけの服を着れるものだと思う。ふとした瞬間に下着が見えそうで、これが世の女性の美意識というものかと恐れ慄く。

 いますぐにでも着替えたい……けど。
 人差し指の甲を甘く噛む。

「好きな人には……女の子として見られたい」

 頬が熱い。
 一向に引きそうもない顔の赤みをどうやって隠そうと、うーっと唸りながらボクは歩きながら両頬を押さえた。