第1話 令息令嬢の夏休みの過ごし方
――夏季休暇はどうなさいますか?
ようやく教室で過ごすのにも慣れてきた頃、放課後の教室はこれから訪れる夏季休暇の話題で盛り上がっていた。
「わたくしは別荘に」
「私は帰省して家族とゆっくりするつもりです」
「僕は狩りをするよ」
「まぁ! 素敵ですわね!」
やはり貴族であっても休みというのは嬉しいものなのか、クラスメイトたちは一様に裏のない笑顔で互いの夏の過ごし方を褒め称え合っている。
そんな爽やかなやり取りの後ろで、俺は窓から差し込む夏の日差しに押し潰されるように机で頬を潰していた。
王都の夏は暑い。
石造りは頑強で頼もしいが、熱がこもるのが難点だ。その癖、夜になると冷え込むんだから、寒暖差で風邪を引いてしまいそうだ。
「――ルシアンは夏季休暇どうするの?」
クラスメイトたちの話をどこか遠い出来事のように聞いていると、イリスが空いていた向かいの席に座ってきた。その格好は制服の上着を腰に巻いたカジュアルなもので、まず他の貴族令嬢たちには見られないスタイルだ。
これでも王女なんだぜ? と思いたくなるが、着崩したラフな格好が似合っていた。自身のポテンシャルをよく理解している。
学園内では王女様のサマーコーデとして、令嬢たちの間で密かなブームになっており、頭の固い教師陣営たちからはいい顔をされていなかったりする。イリスはそうした周囲の騒音をまったく気にしてないけど。
「どうするって……休んでる」
「日がな一日寝て過ごすと」
「夏休みだからなー」
事実、こうしてだるーんとしているわけで、間違ってもいない。
もちろん、イリスが訊きたかった回答でないのはわかっていて、「ほーん?」と冷めた目を向けてくるので、冷風代わりにその視線を浴びつつちゃんとした返答もしておく。
「領地に帰省かな」
「普通」
「普通が一番だろがい」
流行の最先端を突き進む王女からしたら、目新しさも奇抜さもなにもない夏の過ごし方なんてのはご不満かもしれない。
「たかだか子爵家の三男でしかない俺には身の丈があってんだろ」
「自虐的すぎてうざい」
「自虐ってほどじゃなくない?」
背伸びしないで、これくらいがちょうどいいって話なだけで。
王女としては尖った性格をしているが、やっぱり王女だからなのか、俺より身の丈が高いんだろう。身長の話ではなく、能力とか地位とかそういう意味。
なにか文句が?
そうした意味を込めて机に突っ伏した体勢のまま上目で見ると、本当に文句があるのか黒い瞳を細められた。俺の机で頬杖までついて、つんっと小さく下唇を尖らせる。
「あたしを置いてくんだ」
拗ねたような、甘えるような。
からり乾いた王都の夏とは違い、どこかしっとりとした態度にドキリとする。
最近、こういう反応をするんだよなぁ。
恋人にするような、どこか異性を思わせる所作。イリスからは婚約の申し出を受けているが、俺が断固として受け入れないので婚約者(仮)とか、婚約者候補とか言われていたりする。
少し前に参加したパーティでイリスと踊ったことから、以前からあった婚約という噂が実は本当だったのでは? とまことしやかに囁かれていた。噂の真相を確かめようと、集まる学園の生徒たちの相手が面倒で一時期不登校になったくらいだったが、夏季休暇前になってようやく落ち着きを取り戻していた。
誰がどう思おうが、俺の認識としてはイリスは婚約者ではなく、一緒の屋敷で暮らしている同棲相手……なんか、婚約者よりも踏み込んだ関係な気がする。受け取り方によってはより不健全な。
艶のある思考を振り払い、服の上から胸元に触れる。隠した婚約指輪。それを意識しながら、普段通り振る舞うように努める。
「だって暑いし」
「その暑い王都に婚約者を置いてくんだ」
「帰ってきたら溶けてたりして」
「でろぉ」
イリスが溶けたように俺の上に覆いかぶさってくる。
薄い汗の匂いに混じるラベンダーのような淡い花の香りがした。香油か、それともイリスの香りなのか。薄いシャツ越しに伝わる柔らかい肌の感触も相まって、頬に熱がこもる。
けど、意識していると思われるのは癪なので、「やぁめぇろぉ」と悪ふざけを装う。不意に女の子に密着されたら、男なら皆こうなるよ。いや本当に。
人のつむじを顎でぐりぐりしてくる王女様を押しのける。
「ぐぇっ」と王女らしからぬ声を上げて、イリスは椅子の背もたれに抱き着いた。どちらのかわからない頬の汗を拭う。
「イリスを置いてくのは、忍びないとは思う」
思ってないけど。
「……いま、真逆のこと考えなかった?」
「天地がひっくり返ってもないない」
「ずいぶん軽い天地」
俺の中の天地はよくひっくり返るからね。ギャンブルのコインみたいによくよく表と裏が入れ替わる。
「しばらく領地離れてたし、一応帰んないと」
「ご両親は心配してんの?」
「ねぇ王女様? デリカシーって知ってる?」
「ルシアンが他の女と話してると、殺したくなるよね」
「それはジェラシー」
さらっと怖いことを言う。
冗談だよね? ね? と目で尋ねても、ニコッと微笑み返されるだけだった。日差しの加減か、目元に影がかかっているのが空恐ろしい。つりそうな愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「まぁ、うん。心配してるかは……微妙だな」
父上の顔面殴ったばっかだし。
母上からは『婚約するまで帰ってくるんじゃありません』とか言われそう。ただの想像なのに、妙なリアリティがあるんだから、この予想はほぼ未来予知かもしれない。
魔法みたいな能力に目覚めたというのに、全然嬉しくないのはなんでだろうね。
「けど、帰るよ。暑いから」
「そっか」
じゃれ合いも終わりとばかりに淡泊な相槌を打たれた。
文句こそ言われたが、社交界シーズンも終わっている。だいたいの生徒はまず自領に帰るのが通例で、俺もその例に漏れなかったという話なだけだ。
「イリスは屋敷に残んの?」
「王侯貴族御用達の避暑地で過ごす」
「……なんで俺は責めらた?」
残んねーじゃん。
イリスはイリスで避暑地で過ごすなら、俺がどこに行こうが関係ない。そういう不満を込めて睨むと、ごろんっと起き上がった俺の代わりにイリスは突っ伏する。
「ルシアンがいるなら、屋敷で日がな一日寝て過ごすのもいいかなって」
屋敷でなにもせず、イリスと怠けて過ごす。
想像して……それはそれでいいな、と思う。刹那的で、理想的。寝て、ご飯食べて、じゃれて、また寝て。いいなーとは思うけど、それはあまりにも堕落していて、一度堕ちたら抜け出すのが難しそうだ。
「避暑地に行ったところで、現地の屋敷で引きこもってるだけだし」
「あー、ぽいな」
「ぽいっしょ?」
らしい過ごし方に笑う。
それはそれで羨ましいなと零すと、イリスが「なら」と上体と声を上げたところで、「ルシアン」と呼ばれてそっちに意識を持っていかれる。
蒼海の髪を肩口で揺らしながら、学園の王子様がこちらに手を振っていた。
さっそく女子生徒に囲われつつも、アイシアはこっちまで歩いてきて、
「一緒に談話室に行こう」
と、誘ってくる。
もちろんイリス様も、とついでのように付け加えられた王女様は机に額を押しつけた。