第9話 嫉妬とか、そんなんじゃない

 娼館の下からは女性たちの賑やかな声が聞こえてくる。外は薄暗くなり、夜のとばりが下りていた。
 夜の蝶が羽ばたく時間帯。
 でも、今夜は彼女たちは羽を休めているらしい。

「ルシアン様も参加していただいて構いませんよ?」

 リリウムさんが紅茶を淹れてくれながら、そう提案してくれる。俺はそれに対して肩をすくめて、受け取った紅茶を飲む。舌を温める、ちょうどいい温度。

「なにも知らない俺が参加してもしょうがないですよ」
「あの子たちも喜びます」
「楽しんでください」

 タイミングが良いのか悪いのか。
 今日は娼館を卒業する子がいるらしい。そういう日は、今夜みたいに娼館を閉じて、身内だけでパーティをするそうな。エリサがお祝いとか言っていたのもそれらしい。

 娼館で卒業、ね。
 新しい門出なんだろうけど、含みを感じてしまうのは俺の性格が曲がっているからだろうか。

「身請けですよ」
「…………あの、聞く気はなかったんですけど」

 優しく微笑まれてもどうしろと。返答に困るだけなんだが。

「聞きたそうでしたので」
「聞かない配慮くらいできますが」
「隠すことではございません」

 リリウムさんが対面に座る。
 紅茶を飲む姿は上品で、けれど、どこか艶があった。唇がしっとりと濡れる。ドレスの露出は少ないのに、どうしてこんなに色香があるんだろうと、素直に疑問に思う。

「よい人と出会って、旅立っていくだけです」

 祝うのだから、喜ばしいことなんだろう。

「出戻りする子もおりますけどね」
「……からかってます?」
「まさか」

 くすりくすりとリリウムさんは控えめに笑う。
 相変わらずこの人は本心が読み取りづらい。

「というか、別にリリウムさんも下に行っていいんですよ? 俺も適当に帰りますから」
わたくしがルシアン様をおもてなししたいので、こちらにおります」

 するり、と控えめに、けれど大胆に俺の手に触れてくる。
 指先一つ。
 それだけなのに、やけに意識させられる。細めた紫の瞳が妖しく揺れている。

「もし、ルシアン様させよろしければ――」

 彼女が身を乗り出したところで、大きなノック音が響いた。そのまま許可もなく入ってきたのは、エリサだった。トレイを持って、その上には食事が並んでいる。

「パーティの食事を持ってきました」
「ありがとう、エリサ」

 トレイに乗っている食事が重いのか、こちらが不安になる危ない足取りだった。左右に揺れながら、それでもどうにかこっちまで運んでくる。

「美味しかったですから、食べてください!」
「……ありがと」

 テーブルに置いたところを撫でてやると、嬉しそうに目を細める。
 いやー、危なかった。
 なにが危ないのかなんて知らないが、とにかくよかった。あのまま流されていたらどうなっていたのか。それはそれで興味があるけど。リリウムさん美人だし。俺は男だし。

 身を委ねるのもいいかなー、なんて思うけど、後々のことを想像するとちょっと怖い。軽蔑する王女様の顔がちらちらとチラつく。

「次からは返事があるまで入ってきてはいけませんよ?」
「あ……はい、ごめんなさい」

 リリウムさんに叱られてしゅんっとしている。
 今日は注意されてばかりだな、エリサ。リリウムさんに「失礼しました」と謝られるが、それははたしてどちらについてなのか。彼女自身か、エリサか。
 というか、俺なんか誘ってもなんの得もないだろうに。お礼だとしても行き過ぎているような、娼館のあるじのお礼ならそうでもないのか。

「――エリサ、無事!?」

 なんて、あまりにも深いことを考えていたら、今度は返事を待つどころかノックすらなく、扉を蹴破らんばかりの勢いでイリスが突撃してきた。
 イリスに使いをやるとは言ってたけど、直接乗り込んでくるとは。
 肩で息をしていて、汗で前髪が額に張りついている。相当急いで来たらしい。

「イリス姉様」
「怪我はないわね? 危ない目にあったって訊いたけど、平気なのね?」
「はい、ルシアン様が助けてくれました」
「……そ。なら、よかった」

 そこで初めてイリスの顔がこっちを向く。
 いたのか、と言わんばかりに目を見開いて、そのまま黒い瞳を端に寄せる。

「ありがと」
「ん」

 喉を鳴らして返事をする。
 お礼を言われてばかりで恐縮するが、拒否するほどのことじゃない。大したことしてないんだけどね? 俺。送り届けただけだし。エリサが持ってきてくれた料理を摘む。うむ、美味しい。

「とにかく無事でよかったわ。あまり心配させないで」
「ごめんなさい、イリスお姉様」
「無事ならいいわ」

 イリスが頭を抱えるようにエリサをぎゅっと抱きしめる。
 その光景は姉妹そのものだ。
 見た目も、関係も。
 イリスがここまで人を気遣うのも珍しい。それだけエリサのことを大切にしているということだろう。でも、本当に血が繋がっているというわけでもないだろうし、どうやって出会ったんだ、この2人。

 王女と娼館のメイド。
 接点なんてあるはずもない。これが王子ならさもありなんって感じなんだけど。

「ルシアン様、ご迷惑をおかけしてごめんなさい」
「別に迷惑じゃないから」

 エリサの頭をぽんぽんっと軽く叩く。
 すると、えへっと笑ってくれて、そのかわいさに絆されてしまいそうだ。うりうりと頭を撫でて……なんかやけに冷たい視線を感じてそっちを向く。

「なに?」
「言っておくけど、エリサは客を取ってないから」
「お前は俺をなんだと思ってんだ?」
「年下趣味のド変態」
「さっきまでの感謝の気持ちどこ行った?」

 最低最悪な罵倒をされた。
 そういう趣味の人がいないとは言わないが、俺はそんなんじゃない。だいたい、言うほどエリサと歳は離れてないはずだ。発育だって、イリスとは比べ物にならないし。
 メイド服をこれでもかっと内側から押し上げている。

「……変態」
「罵られて喜ぶ趣味はないんだわ」

 むっつりとイリスが唇を結んでいる。
 なんでそんな不機嫌なの? この子。

  ◇ ◇ ◇

「…………」

 ルシアンがエリサの頭を撫でている。
 そこに下心があるようには見えない。妹を可愛がっているような雰囲気で、むしろ心癒やされる光景だった。

 2人が仲よくするのはいい。喜ばしいことだ。
 これからもあたしと暮らしていくんなら、エリサとは頻繁に会うことになる。だから、いい……んだけど。

 指先で前髪を弄る。

「あら、嫉妬ですか?」
「……そんなんじゃない」

 あたしの返答にリリウムがおかしそうに笑う。
 見透かされたような笑いがどうにも嫌で、ふん、と小さく鼻を鳴らす。ほんと、そんなんじゃないから。