第7話 木の幹の後ろでは大きな小動物が鳴いている

 ふけっていた。サボっていた。
 入学初日になにやってんだと自分でも思う。けどな? 全校生徒の前であんな公開処刑をなんの宣告もなくされたら、神に仕える神父でも乙女になって逃げ出すわ。

 あそこから教室で新入生として挨拶できる強メンタルは、さすがの俺でも持っていない。

「……父上と母上が優しかったのって、死地に赴く息子を慮ってとかじゃないだろうな?」

 やたら優しい目をしやがって。
 これが予想できたのなら、俺だってもうちょっと抵抗したというのに。あらゆる人から圧をかけられて、こうなる道筋は変わらなかったかもしれないけども。

 校舎裏の木陰ではぁーと息をく。
 今頃、イリスは怒っているかなと、遅まきながら不安が顔を出す。腕を払って逃げ出してきたからなぁ。次に顔を合わせたときが心配だった。

「でも、俺は悪くないしなー」
「くしゅんっ」
「……」

 なんかくしゃみが聞こえてきた。大木の裏から。
 かわいらしい声は小動物にも聞こえたけど、学園の中に野生動物がいるとは思えない。なにか飼っているということもないはずだ。そっと裏を覗くと、栗色のなにかが小さく丸まっていた。

「リス……? にしては、デカいなぁ」
「きゅ、きゅーん」

 なんか鳴いた。

「猫でもデカい」
「にゃーん」
「虎か」
「が、がおーっ」

 なんか面白くなってきた。
 羞恥で声が震えていて、雪のように白い肌が赤らんでいる。膝を抱えて丸まっている姿は猫が顔を押さえて寝ているようにも見えるけど、似ているだけで人間の女の子だった。最初からわかっていたけど。

 制服だし、ここの生徒だろう。
 顔を隠したいのか、ただ見つかりたくないのか。いまは授業中で、ここにいるということは俺と同じでサボっているということだ。バレたくないのはお互い様で、ここは見なかったフリをするのがサボり仲間のよしみだろう。

 木の幹に寄りかかる、もとの姿勢に戻る。
 適当に戻らないといけないけど、雨季のあとは穏やかな気候で、空が高い。小さな雲が羊のように流れていって、見ていると眠くなってしまう。

「あの……授業はよろしいんですか?」
「それ、訊くの?」

 見なかったフリをしようとしたのに、普通に話しかけてきた。その声は控えめだったけど、行動は大胆だった。暗黙の了解みたいなのがあると感じていたのは俺だけで、この子の考えは違ったらしい。
 謝罪が返ってきたので、悪気はないんだろう。もしかして、沈黙が気まずかったとか? サボっているわりに繊細なのかもしれない。

「全校生徒の前であんな宣言されたら、そりゃふけるでしょ」
「……なにか、あったのでしょうか?」
「悪い、いま言ったことは忘れて」

 知らないみたいだったのでなかったことにした。
 あんだけ大胆な公開処刑だ。教師のつまらない話というわけでもない。聞いていて忘れるなんてことはないだろうから、いなかったのだろう。よかった、と安心する反面、どうせ噂で耳にするだろうから、女々しい時間稼ぎでしかないけど。

「わかりました」
「……素直すぎて心配になるな」

 これがイリスならニヤニヤ顔でどーしよーかなーとか、意地悪してきたに違いない。

「よく言われます」

 苦笑交じり、というか自嘲めいた声だった。顔が見えないからわからないけど、素直という評価に思うところがあるのかもしれない。俺も素直だねとか言われたら、バカって言われてるみたいでいい気はしないし。
 もしかして、褒め言葉じゃなかった?

「気になるなら気になるって言ってもいいんだぞ」
「え、でも」
「忘れてとは言ったけど、それを実行するかは君次第だろ」

 一方的なお願いを律儀に守る必要はない。

「いいんでしょうか? 自分勝手ではありませんか?」
「他人の迷惑考えんのは立派だけど、それじゃあ損しかしないだろ」

 俺だって、他人を気にするならさっさとイリスの婚約を受け入れるべきだ。思惑はどうあれ、王女からの誘いを袖にするのには覚悟がいるのだから。

「自分の幸せ第一、余裕があったら他人くらいでちょうどいい」

 なんか説教臭くなった気もする。ちょっと恥ずかしい。
 それに、自分に言い聞かせているみたいだ。最近、人生が思い通りにいっていない鬱憤があるのかもしれない。抵抗していても、こうして行きたくもない学園にまで通わされてるんだ。
 たまにはストレス発散しないと。

「……頑張ってみます」
「がんばれー」

 というわけで、適当に退散しよう。
 気が抜けて変なことを言ってしまった。顔も見ていない、木の幹越しだったから油断していたのかも。違う場所行こ、とくしゃっと芝生を踏む。

「あの、名前を伺っても――」
「勘弁」

 知己を得ようとは思わない。というか、サボってるんだから、わざわざお互いを認識しなくていいだろ。最初に避けてたのあっちだし。
 人のいない場所ないかなー、と校舎の角を曲がったら、人とぶつかりそうになった。

「おっと、失礼」
「うん、謝って?」

 なんだこの野郎やんのかあーん? と思ったら相手はイリスだった。
 目が笑っていないどころか、全然笑ってなくて、濃い影が目元を深く覆っている。ひぐっ、と喉から変な声が漏れた。

「い、イリスさん? 授業は……?」
「あんたがいないから抜けてきた」
「あらやだ不良さん」
「へー」

 ひっくい声だった。どこから出てるのってくらい。
 あんなことがあったからってなにも言わずに逃げたのはまずかったか。もとから不機嫌な顔にさらに不機嫌を被せて直視に堪えない。無言の圧に耐えかねて、「ごめん」と謝るのが精一杯だった。

 イリスがはぁー、と嘆息する。

「いいけど、別に。あんなこと黙ってしたあたしが悪いんだし」
「自覚あったんだ」
「あるでしょ」

 ないと思ってたの? と、半眼を向けてくる。
 えぇ思っていましたとも。

「思いつきでやったのは悪かったと思ってるけど、必要なことだったから」
「あの公開処刑が?」
「所有物宣言」

 否定されたけど、どっちもどっちな気がするのは俺だけか?

「物じゃないし。だいたい、俺なんか誰も盗りゃしないっての。イリスが変わってるだけ」
「……へー」
「なにその目」
「いや別になんでも」

 全然、なんでもって目じゃないんだけど。お前がそれ言うの? みたいなジト目顔になる。俺が変だって言いたいのか? はははこいつめー。

「変人の自覚くらいあるっての」
「そこじゃないけど……意外とわかんないもんか」
「思わせぶりなのやめない?」
「そっちこそ」

 黒い瞳で流し目をくれる。

「思わせぶりはやめた方がいい」

 そんな態度は取ってないけど、イリスは俺になにを見ているんだろうか。

  ◇ ◇ ◇

 俺はどこにでも普通の人だってのにー、と悪態をくルシアンをあたしは冷めた目で見る。
 ほんと、わかってない。
 ため息が出そうになるのを、どうにか堪える。

 ルシアンは誰に対してもフラットだ。
 差別も区別もしない。自分を隠さないし、虚栄も張らない。

 自分があって、そこがブレない。
 媚びへつらうのが当たり前な貴族社会では生きづらいだろう。

 ――けど、だからいいって人もいる。

 鬱屈とした弱い人間ほど執着したくなってしまう。
 それがきっとあたしだけじゃないってことを、よく知っている。

  ◆第2章_fin◆
  __To be continued.