第4話 入学の朝は忙しいのに
「で、王妃とどんな話をしてたわけ?」
圧が強い。
屋敷に帰ってきたイリスはずっとこの調子だ。一時は自分の部屋に逃げ込んでいたけど、勝手に入って居座って、本を読んでいる俺の横からずーっと睨んでくるんだから耐えかねて食堂に出た。
当然のように追いかけてきて、話せやこらとガンを飛ばしてくる。なんでこんなガラ悪いのこの子? 一応、淑女としての教育は受けていると思うんだけど、その成果が一切見られないのはなんでなんだ。
耐えかねて、嘆息してしまう。
瞳を動かすと、むっつりしたままのイリスの顔が視界に映った。
「話さないって」
「なら、なんで王妃は婚約の話を反対したの?」
聞き出したいのはそこなんだろう。
言え、と手を伸ばして俺の膝を引っかいてくる。飼い猫が構ってほしがってるみたい。印象も、現状もそれほど離れていないだろう。困った猫ちゃんだと思いつつ、くすぐったいので膝を動かしてイリスの手を弾く。
「俺にだって、1人くらい味方がいてもいいだろ」
「それが王妃ってのが納得できない」
「なんで?」
「……だって、最初は賛成してたし」
ぼそっと固い声で零す。
そう言えば、結婚をせっついていたのは陛下だけじゃなく、王妃様もだったか。その母親が手のひらをひっくり返して反対側に回るんだから、イリスも驚いたし、納得もできないんだろう。
なんかしたんじゃないかって、俺を疑うのは八つ当たりだと思うんだけど。
「話して、話せ」
「いーや」
「……それ、なに読んでんの?」
「王宮で流行ってるラブロマンスだって」
読み始めたばかりの本を上下に振る。
「王妃様が貸してくれた」
「なんで人様の母親とよろしくやってんのよっ」
「やってない」
内容はわかりやすく、没落令嬢と王子様の恋を描いた王宮ラブロマンスだ。純愛路線だと王妃様は笑って語っていたけど、さっそくライバルの婚約者が出てきて雲行きが怪しい。
ドロドロしそう。
「今度、感想聞かせてって言われてるんだよ」
「仲を深めるな」
「そんなんじゃないって」
やけに気に入られたっぽいのは間違いないけど。
「だいたい、イリスにとっては都合がいいんじゃないの? 婚約するのに、母親と仲よくするのは損じゃないだろ」
「そうだけど」
イリスの目がぎゅっと萎む。
不機嫌一辺倒に見えるけど、そうした些細な違いで感情の変化が読み取れる。わかりやすくはないけど、意外と感情が隠せないタイプなんだろう。
「……あたしとは、そういうのないし」
「そういうの?」
「だからぁ……本を読んで、感想を言い合ったりとか、そういうのっ」
王妃との会話を秘密にしているのだけが不満の要因でもなかったらしい。震えるくらい、手を強く握っている。上気した顔は恥ずかしがってるわけじゃなく、怒りの現れなんだろう。
なんだ、拗ねてんのか。
友達を盗られて気分とでもいうのだろうか。幼い感情が見え隠れしていて、つい笑ってしまう。そしたら、イリスはもっと怒ってむーむーっと声にならない声で威嚇してくる。
「はいはい俺が悪かった」
「反省してっ」
「ごめんね?」
「……いい、許してあげる」
相変わらずの上から目線だけど、そのかわいい顔に免じて皮肉は言わないであげよう。
「一緒に読む?」
「……そういうのよくわかんない。つか、並んで読めんの?」
「頑張ればいけるだろ」
「なら、読む」
読むのか。
提案しといてなんだけど、小説を一緒に読むのって相当難しいと思うんだけど。俺が読み終わったあとにイリスが読んで、感想を言い合おうかなーくらいの流れを想定していたんだけど、読み間違えたらしい、流れを。
椅子をくっつけて座るイリスに、まぁいっかとなる。
「もっとこっちに寄せて」
「へーい」
本をイリスの視線に合わせて動かす。
途中からでは意味不明だと思うので、最初のページに戻す。やっぱり読みづらいのか、ぐいっと押すように肩を触れさせてきた。頭まで傾けてきて、彼女の髪が頬を掠めてくすぐったい。
「近くない?」
「離れたら読めない」
そうかなぁと疑問はある。
でも、本の文字は小さいから、密着するくらい近くないと読めないのかもしれない。なら、しょうがないか。そう思って、俺もイリスの方に頭を寄せる。
しょうがないから。
◆ ◆ ◆
「お前、ほんとに問題起こすなよ?」
その日は朝から忙しいのに、父上が執務室に呼び出した挙げ句、なんか最初からキレ散らかしていた。俺も俺で準備やらなにやらで疲れてる。理由もわからず怒られたら、俺だって怒る。
「ちっ、ハゲが」
「銀髪で地毛だっつってんだろ!」
へーそーなの、興味な。
しらっと瞳を横にズラすと、父上は顔が真っ赤になる。そのまま噴火するかと思って身構えていたけど、急に冷水を被ったように上げた腰を深く椅子に沈めた。
疲れ切った顔で、重ねた両手の上に頭を置いた。
「……イリス王女殿下と学園に通うんだ。貴族の子弟子女も多く通っている。頼むから、これ以上問題を起こさないでくれ」
「俺が起こしたわけじゃないですが」
「婚約を断ったのはお前だ」
そうだけど、それは父上がお見合いさせたからで以下省略。
このやり取りはあの日以来、ずっとしてきてお互いに責任を押しつけ合うだけで不毛でしかない。これから、屋敷を出なきゃいけないってのに、無駄に時間を浪費している暇もなかった。
「城に残った私がどんな目に合ったかわかるか? 陛下に酒を付き合わされ、城にいた貴族と挨拶する毎日だ。本当に婚約したのか? と幾度となく聞かれ、どれだけ私が答えに窮したかわかるか?」
「断りましたでよかったのでは?」
「ニコニコしている陛下がいるのにか?」
同席してたんかい。
そういう大事な情報は前もって教えてほしいよね。
「ようやく帰ってこれたと思えば、ルシアンは屋敷にいない。妻に訊いたら王女殿下と王都に屋敷を買いに行ったという。……いや、なんなんだ? ほんと。婚約したいのかしたくないのかどっちなんだ?」
「したくはないです」
「なら、一緒に住む必要はないだろ」
「俺がいないと王女殿下は寮暮らしにするって陛下が」
「いいだろう、寮で」
「でも、王女殿下は嫌って」
「………………………………胃薬をくれ」
事情を聞いているだけで耐えきれなかったらしい。
お腹を押さえて執務机に突っ伏する父上に薬を出すよう部屋にいたメイドに伝える。これ以上、話はできないだろう。そのまま部屋を出ようとしたら、「ルシアン」と呼び止められた。
振り返ると、青白い顔で、でも穏やかに笑っていた。
「入学おめでとう。制服、似合ってるぞ」
「……どうも」
最後の最後で父親らしいことを。
ほんと、素直じゃないんだから、と後手で扉をバタンッと閉める。