第10話 王女殿下の行きたい場所は娼館
胃が重い。そして、痛い。
「なにしてんの? 遅いんだけど」
「誰のせいでダメージ負ったと思ってんの?」
「貧弱めー」
王都の大通りの先を歩くイリスがバカにしてくる。これもイリスの朝食が原因だというのに、よくそんなことが言えたものだ。食べた丸焦げのパンを思い出し、うぇっと口を抑える。
今後、一緒の屋敷で暮らすようになっても、イリスを厨房に立たせないと胃の重さに誓う。
鼻歌交じりに歩く軽やかな後ろ姿を恨めしげに睨む。
「で、どこ行くんだよ」
「娼館」
「……ガチなのかよ」
立ち止まって振り返ったイリスの顔は大真面目だった。その瞳は、ここら辺ではまず見ない淡い色のついた眼鏡をかけていて判断しづらい。あっけらかんとしているけど、一応目立ってはいけないという認識はあるのか、フードつきの外套を目深に被っている。
「念の為に訊くけど、同性が趣味だったりするの?」
「は? なに言ってんの?」
いま、俺がそんな蔑むような目で見られる質問をしただろうか。むしろ、そのゲスを見る目は俺がイリスに向けるべきではないだろうか。
俺は悪くないのに。
そう思っていても、隠していてもわかる美人に睨まれると、こう……心にくるよね。キツい顔立ちをしてるから特に。
「好きにしてどーぞ」
「してるけど」
なんでもいいやと投げ出すと、イリスが正面を向く前に流し目をくれる。
「でも、ありがと」
お礼の意味はよくわらない。
◆ ◆ ◆
貴族の住まう高級住宅地区から歓楽街はほど近かったりする。正確に表現するなら、高級歓楽街が近いというのが正しいだろう。劇場やレストランが立ち並び、どの店も上品さがあった。
道は石畳で舗装され、王都の中でも庶民が暮らす地区とは雲泥の差だ。
通行人も少なく、先日馬車の中から見た大通りの賑わいとは打って変わって物静か。誰もが質のいい服装で、身分と豊かさが見て取れる。
「こっちにも娼館ってあるのか」
「……なんで、こっち以外の娼館を知ってんの?」
ちょっとした呟きだったのに、拾われた上にイリスが凄い目を向けてくる。あんたまさか……と色つき眼鏡の奥から暗い瞳が睨んできて、露骨に疑いの目を向けてくる。
なにを言い出すのかと思えば。
「男なら娼館に興味があって当然だろ」
「死んでどうぞ」
「辛辣すぎない?」
朝から目的地を娼館にした王女様の言葉じゃない。
あまりにも不機嫌そうに睨んでくるので、冗談通じなさそうと肩を竦める。
「行ったことないから。知ってるだけ」
「童貞なの?」
「……ねぇ、お姫様どうこう以前に淑女としてどうなん?」
しかも往来で。
俺だってはしたないという気持ちくらいあるんだけど? なのに、イリスは「どうなの?」と平然と追求してくるし。そんなに俺の経験の有無が気になるのか。
正直、男同士の悪ふざけならともかく、女の子相手に聞かせることじゃない。だから、黙ってやり過ごしたかったけど、じーっと額に穴が空きそうなしかめっ面で睨めつけてくるんだから、折れるしかなかった。
せめてもの抵抗は、ため息くらいだ。
「ありませんよ童貞ですよー、すみませんね女性経験なくって」
「ん、そっか」
言わせるだけ言わせて反応が淡泊すぎる。
むしろ、『えー? うっそだっさーい』くらい言ってくれた方が、俺も軽いノリで受け止められたのに。そんな反応されると真面目に童貞ですみませんって気持ちにさせられる。
「……そっか」
深く納得するように呟かないでほしい。恥ずべきことなんて欠片も思ってないのに、どうしてか泣きそうになるから。
王女様の気持ちってのはわからん。女の子の気持ちすらわかんないんだから、イリスみたいな個性つよつよな子が相手じゃより理解不能か。
懊悩していると、イリスが「着いた」と呟いた。ひとりごとみたいだったけど、俺に知らせる意味もあったんだろう。顔を上げると、そこは貴族の屋敷のように大きく、綺羅びやかだった。
鉄製の門扉まであって、一見だけじゃあ娼館とはわからないかもしれない。というか、わかんなかった。
「へー、ここが」
「そ」
と、気軽にイリスは門に近づく。門を守っている守衛に声をかけると、あっさりと重厚な鉄門が開いていく。名乗ってる様子はなく、顔を見ただけだった。
顔パス? あまりにも常連感があって、やっぱりそういう破天荒な趣味があるんじゃないかって疑いが増していく。
「なにしてんの? 行くよ」
「なんでもないよ百合ちゃん」
「……意味わかんない。けど、死なす」
百合とは似ても似つかない、殺意に満ちた黒い瞳で睨まれた。