第7話 婚約者じゃなくても、かわいい顔のおねだりは断れない
「学園とか行きたくないんだけど?」
ラブレターみたいに受け取った入学届を母上に見せる。
父上に代わって執務机に座る母上は、卓上に置いた学園の入学届を一瞥もせず、にこりと俺に微笑むだけだった。
「通いなさい」
「嫌です」
「決定事項です」
「……拒否権」
「ありません」
俺にはなんの権利があるんだろうか。生きてる権利しかないとか宣告されたら、さすがに俺でも泣くんだが。
有無を言わさぬ微笑みを崩して、疲れた顔で母上がはぁとため息を零す。
「婚約についてはいまさらとやかく言いません。陛下も、イリス王女もあなたが断ったことに関しては気にされておりませんので。……断り方に問題があった、という認識だけは持っていなさい」
とやかく言われたんだけど。
咄嗟だったとはいえ、そのことについては俺も猛省している。だからこそ、屋敷まで王女殿下がついてくるなんて、普通ならありえない状況になってしまったと思っているから。
「ただ、学園については陛下からの要請でもあります。本来、イリス王女は学園に通っているご年齢ですが、本人が拒否していたため見送られてきたそうです」
「あー……ありそうですね」
陛下相手だろうと、普通に『学園? 嫌』とか言いそうだもんなぁ。そもそも、集団生活に向いてないだろ、あの性格。
歯に衣着せぬ態度で、特に同性から嫌われそうだ。特に貴族令嬢には、受けが悪いだろう。
なんて、納得していたら、どうしてか呆れた目を向けられて「あなたが言えたことじゃないでしょう」と言われてしまった。
なんでだ。社交性有り余ってるだろ。夜の酒場にだって行けるぞ、俺は。
「ルシアンの捻くれた性格はともかく」
「捻れても真っ直ぐ伸びてるんですよ」
「……ともかく、そのイリス王女があなたとなら学園に通ってもいいと仰っているんです。これには陛下どころか、王妃も大喜びで、手紙どころか今朝訪ねてきた使者が直接『必ず』と言い含めてきたほどです」
サロンでお茶会をしていたのは、それが理由だったのか。なるほどー、とは思うけど、俺の頭の上でぽんぽん物事が決まっていくのには納得し難いものがある。
そう不満を口にすると、「それなら早起きしなさい」とお母さんみたいなことを言われた。お母さんだけど。
はたして、使者が来る前に起きていたとして、今回の決定が覆ったかは怪しいけど。入学届を持って、不倶戴天の敵のように睨む。
「でも、以前父上と学園に通うかどうか話したこともありましたけど、兄上2人が卒業してるお前はいいよなー、で終わったじゃないですか」
「私は知りません」
「あったんですよ」
別に俺も行きたくはなかったから、じゃ、それでー、とあっさりなくなったけど、それをいまさら掘り返されるとは思わなかった。
イリスが来てからというもの、俺の環境は目まぐるしく変わってばかりだ。濃密すぎて、時間の流れが早く感じる。
「いまさら三男の俺がなにを学ぶって言うんですか」
「教養読み書き歴史乗馬ダンス礼儀作法」
「俺、そんな出来損ないですか?」
一応、家庭教師を教わったはずなんだけど、そこまでダメだろうか。特に、いまさら教養とか言われるのは、勉強に熱心じゃない俺でもちょっとぐさりと心に刺さる。
「復習もまた勉強です。なにより、今回は陛下からの要望なので、学費や寮の費用など諸々の経費は国家持ちです。本来、高い学費が必要な王都の学園にタダで通えて学べるのですから、文句を言ったら罰が当たりますよ?」
「……母上が推してる理由って、学費じゃないですよね?」
微笑まれた。なにも言ってくれない。
……。
「ご祝儀とかの名目でまとまったお金……貰ったりしてませんよね?」
「旦那様も賛成だそうです」
しれっと共犯者を増やしたな。
◆ ◆ ◆
「どんな家がいい?」
朝、自室のベッドで肩を揺すられて起こされた。淑女がどうたらとか、ニ度言う気はないけど、かといって眠いものは眠いのだ。
ふわっと欠伸をして、寝ぼけ眼を擦。まだ頭が眠っているのか、王女殿下が変なことを言っていた気がするんだけど、気のせいだろう。
「ねぇ、どんな家がいい?」
「……俺が寝ぼけてるのか、王女殿下が寝ぼけたこと言ってるのかどっち?」
「イリス」
あたしが寝ぼけてる、と肯定しているのかと思ったけど、呼び方に不満があったらしい。呼び方がそんな大事だろうか。
「はいはいイリスイリス」
「で、家は?」
「あの……強行すんのやめてくんない?」
なんで朝からそんな元気なの? いつも不健康そうな顔をしているのに、今日に限ってどうしてその瞳は爛々としてるんだ。
早く決めろとばかりに整った顔を近づけてくる。視覚も嗅覚も、朝から感じるには刺激が強すぎてくらくらしてきた。
ぺちっ、と額を叩いて、ぐいーっと押して前のめりなイリスを引き離す。
「んで、なに家? まだ一国一城の主になる気はないんだけど? 俺はもうしばらく親の財産を蝕んで生きていきたい」
「寝ぼけた発言ってことにしといてあげる」
割とガチなんだけど、しらっとした目を向けられたので黙っておく。
「王都にある学園に通うときに必要でしょ、家」
「……全寮制じゃなかったっけ?」
朝から人を叩き起こしてなんの話かと思えば学園のことか。
「寮もあるけど、通いでもいいから」
「じゃあ寮で」
学園に入学するのすら面倒なのに、そのためにわざわざ家を買うなんて考えたくもない。父上や母上も許してくれないだろうし。国から寮住まいのお金は出ても、家の購入金まで出るとは思えない。
言ったら、むっとイリスが唇を尖らせた。
「それだと、一緒に暮らせないでしょ」
「……暮らさなくてよくね?」
「寝ぼけてんの?」
「いやこっちの台詞なんだが?」
婚約を認めたわけじゃないし、たとえ、婚約者だったとしても同棲とか聞いたことないぞ。貴族どころか、平民間でもはしたないって言われるはずだ。
だいたい、なんで急にこんなことを言い始めたんだ? 昨日まではそんなこと微塵も話題にしてなかったのに。
じーっと疑わしげに見つめると、「いやんはずかしい」と頬に手を当ててそっぽを向く。どう聞いても棒読みで、その頬は不健康なくらい真っ白だ。
露骨な反応を無視して見続ける。そしたら、今度はバツが悪そうにそっと視線を外してきた。
「……城で暮らすの嫌って陛下に手紙を送ったら、じゃあ寮でって言われた。寮もちょー嫌って言ったら、ルシアンと暮らすなら王都に屋敷を買ってもいいって」
「俺は君の保護者なの?」
「似たようなものじゃない?」
「書類上、まだ赤の他人なんだなこれが」
「神父呼ぶ?」
結婚させられそうだったので押し黙る。
つまるところ、あれか。独立したいから、家が欲しいとそういうわけか。結婚していないのに、それはありなのだろうか?
同じ王都内というのならなくもないのかもしれないが、それに俺が巻き込まれているのが意味不明。
もしや、学園に通うとか言い出した理由、こっちが本命だったりしない?
「……ダメ?」
「かわいいね」
「わざと」
小首を傾げてきゅるんってされて、即落ちしそうだったよ。すぐにすんって真顔になったから踏み留まれたけど。王女だけあって、本当に顔がいいんだよな、この子は。困ったものだ。
「で、どう?」
「……とりあえず、探すだけなら」
「いぇーい」
弱いなー。