第6話 茶会と入学届
屋敷内にあるサロンで、母上と王女殿下の会話が弾んでいる。
「ルシアンは小さい頃、わんぱくだったんですか?」
「ええ、それはもうあっちこっち走り回って。いまでもあんまり変わりませんけどね。もう少し落ち着いて欲しいものです」
それだけであればなんとも思わなかったろうが、相手が婚約を望んでいる王女殿下となると、当事者の俺としては色々と複雑な光景に映ってしまう。
すっごい速さで外堀を埋められている気がする。その速さたるや大雨で増水する川の如く。氾濫するのも時間の問題のように思えてならない。
嫁姑問題がなさそうでいいね! とか、冗談の一つでも言えたらいいのかもしれないけど、そんな心の余裕はなかった。見ているだけで、心がそわそわして落ち着かなくなる。
ふと、王女殿下が視線を上げた。
「ルシアン」
「……おはよう」
ちゃんと挨拶をしたのに、横合いから母上のお叱りが飛んでくる。
「もう昼も近いのになにがおはようですか。もっと早く起きてきなさい」
「だって疲れてたから」
「だってじゃありません」
朝……というか、昼からさっそくお小言を貰ってげっそりだ。それを王女殿下が楽しそうに見ているのだから、恥ずかしくてたまらない。
普段の親子のやり取りほど、見られたくないものはそうないだろう。
「それはでは私はこれで失礼します」
「え、もう行くんですか?」
来た途端、母上が席を立つ。
口にしたら、咎めるように視線で刺された。
「もう、ではありません。私の用件はとっくに終わっていて、あなたを待っていたんです。しっかりイリス王女のお相手をするように」
「へーい」
と、適当に返事をしたら、通り過ぎるときに頭をぺしっと叩かれた。さすがに態度が悪かったかと反省して、母上が座っていた場所に代わって座る。
面白いものを見るように王女殿下が目を細めている。
「つまんないところを見せたね」
「そんなことないよ」
王女殿下が首を小さく左右に振る。
「母親と息子って感じがして、家族っぽいなーって」
「普通だろ?」
「貴族では珍しいでしょ」
そうなのかもしれない。
メイドが新しく淹れてくれた紅茶を飲みながら、一般的な貴族の親子について考えを巡らせる。
「結構、ハッキリと上下はある……かも?」
「でしょ?」
「でも、それは王女殿下のところもだろ?」
「まさか」
苦笑して、ハッキリと否定される。
「陛下のことを言ってるんなら、あれはポーズだから。親しみやすい振る舞いをした方が好感を持たれるのをわかってやってるの。家族の目しかなければ、厳格だよ」
「へー、なんか想像できん」
「陛下だから」
父上と呼ばないのも、そうした線引があるのかもしれない。もしそうであるなら、確かにうちの家族は貴族としては珍しい関係性なのかもしれなかった。
損得勘定を抜きにした家族っぽさが……。
「いま、その家族に売られそうになってるんだけど?」
「あはは!」
ちょっと受けたらしい。
買う側の王女殿下が口を隠して笑った。不本意だけど、これで母上からの『王女殿下のお相手をする』という指令は達成されたろう。そういうことにしておく。
ふー、と一息ついて残っていた焼き菓子に手を伸ばそうとしたら、鼻先をぴんっと指で弾かれた。
「え、ダメなん?」
「違くて、名前」
名前?
「……イリス?」
「ん」
正解だったらしい。満足そうに頷かれた。
王女殿下でもいいとは思うんだけど、イリスにとっては不満らしい。お見合いのとき、堅苦しい喋り方は嫌いみたいなことを言っていたし、王女扱いも嫌なのかもしれない。
どっちでもいいけど、と焼き菓子を口に放る。うーん、甘い。
「はい、これ」
「……お茶会に似つかわしくない書類が出てきた」
「喜んでくれてなにより」
「どの顔見てた?」
「これ」
と、鼻を押された。俺を豚にしたいんか、この王女様は。
ひらひらと目の前で羽ばたかせられるのも鬱陶しいので、しょうがないので卓上の布巾で手を拭って受け取る。
一枚の羊皮紙。
婚約の正式書類とか言い出さないよな、と僅かな不安を抱いていたが、そうではなかったらしい。けど、内容を見て眉根が寄った。
「……入学届?」
しかも、俺の名前がサインしてある。しかめっ面のまま顔を上げると、テーブルに両肘をついたイリスが蕾のような唇を動かして言った。
「一緒に行こ、学園」