第4話 断られるのと諦めるのは違う
父上の顔がこれでもかってぐらい引きつっている。なんなら頬が裂けそうで、見ているだけで痛いくらいだ。
「……ふ、はははっ。なにを言っているんだかこのバカ息子は。ことっ、断るだなんてまったく……なぁ? こういう冗談を言えるとは思いもしなかったぞ?」
「冗談じゃなく、嫌って言ったんですよ」
「冗談って言っておきなさいよー!」
もはや泣きそうだった。
いつもはしっかりと……しているかは微妙なところだが、こうも取り乱すのは珍しい。あはは、おもしろーと笑っていると、「なに笑ってるんだ!?」と怒られた。
「王女殿下との婚約なんだぞ? これを断るとか、なにを考えているんだ!」
「なにをって」
そう詰め寄られても困る。
「そもそも、父上が仰ったんじゃありませんか。今回のお見合いは、ただの数合わせでの出席であって、成立するはずはないって」
「そうなのか?」
陛下が確認するように口を挟み、「そ、それは」と父上が言い淀んでいる。真っ青な顔でおろおろしているかと思えば、こっちを向いて真っ赤になる。血の上下が激しすぎて、血管切れるんじゃないかと心配になる。
原因、俺だけど。
「嫌なんだ」
王女殿下が黒い瞳を丸くしていた。
まさか、断られるなんて思っていなかったんだろう。俺からするとお見合いが成功しそうになったことこそがまさかで、もしかしたらいまの俺と彼女の心境は似ているのかもしれない。
「嫌っていうか、想定外すぎて受け入れられない……かな?」
「あたし王女なんだけど」
「だから、喜んで婚約しまーすってのも、なんか違くない?」
それは肩書が目当てか、恐れを成しているだけだ。そもそも貴族にお見合いに心情的なものを求めるのもどうかと思うけど、それでも婚約する気なんてさらさらなかった俺が、相手がおっけーしたからって、いいですよ、と意見を翻すのも違うと思うんだ。
「へー」
「なにその目」
値踏みするように細めた目だった。
さっきまでの覇気のなさは影を潜め、真剣さが宿っているように見える。不躾な目に居心地が悪くなる。
まぁ、嫌って言った瞬間、場を極寒にさせた時点で、居心地のよさなんて皆無だったけど。
「イリスとは婚約しないと、君は言うのか?」
「受け入れる方がどうかと思ったので」
陛下からの質問に、肩を竦めて見せる。
正直、やっちまったなー、という後悔に似た気持ちはある。このせいで、陛下や王女殿下からの覚えは悪くなったはずだ。
その影響がどれくらい広がるかはわからない。まさか、縛り首なんて無体はないだろうけど、絶対にないとも言えないのが権力というものであり、貴族というものでもある。
それでも、適当な気持ちで応えたくはなかった。
どうなるか。黙ってしまった陛下を緊張しながら窺っていると、ふっと小さく吐息のような声が零れた。
ふざけるな?
戦々恐々していたのだが、予想に反して陛下は大笑した。
「ふはははは! そうか、断るか! ははは、そうかそうか! イリスが選ぶだけはあるということか」
え、なんで喜んでるのこの人?
娘の婚約を袖にしたのに、こんなに楽しそうに笑う父親を見るのは初めてだ。親子仲が不仲というのならわかるが、見る限りは普通の父と娘っぽい。貴族らしくはないけど。
ひとしきり笑った陛下が、親指で目元をぐいっと拭い、娘を見る。
「だ、そうだが? いいのか?」
「……良いも悪いもないでしょ。断られたんだから。あと、笑いすぎ」
「それはすまん」
娘に怒られて、陛下が肩を落とす。
これは……大丈夫、なのか?
王女殿下はやや不機嫌そうだけど、気分を害されたというほどじゃない。プライドを傷つけられて、俺をどうこうするという雰囲気じゃなかった。
何事も……とは言えないけど、断れてよかった。
ほっと胸を撫で下ろす。隣では、真っ白になって息も絶え絶えな父上が膝をついていた。これには同情するというか、さすがに申し訳ない気持ちになる。
ワインの一つくらいは贈るか。でも、問題のきっかけは父上だったしなー。
財布を出すの渋っていると、陛下が俺の両肩をぽんっと正面から叩いてきた。その顔は澄み切ったような笑顔で……え、なに?
「これからよろしく頼む」
「はぁ……? え、なにが?」
俺、断ったよね? 婚約の話。
どういうことだ、と戸惑っていると、陛下と入れ替わるように王女殿下が正面に立つ。夜を思わせる珍しい黒い瞳が、じっと俺を見つめてくる。
この国ではまず見ない、どこか神秘さすら感じさせる色彩に心臓が跳ねた。
「断られたのと、諦めるのは違うから。でしょ?」
「はぃ? それってどういう」
意味なのか。
伸ばした手は空を切る。躱すように動いた王女殿下は、なぜか灰になっている父上の元に歩いていった。
「マグノリア子爵」
「い、いやこれは……息子にはこのあとしっかりと言って聞かせますので!」
「しばらくそっちでご厄介になるので、よろしく」
「え?」
と、声を上げたのは俺だ。
いま、なんて言ったこの王女様?
呆然としていると、不意に彼女がこっちを向いてびくっと肩が跳ねる。そんな俺を見て、してやったりというように、小さな赤い舌をちろりと出して笑った。