第2話

「……どうして」

 心が満ちていく中、蓮さんは嘆くように掠れた声で言う。

「ずっと答えを出さなかった。応えなかったっ。君の気持ちを踏み躙って、曖昧なままの関係を続けたのに……!
 シロから告白されて、ただ肉体関係を持っただけ。好きだって言えなくて、拒絶すらしなかった!
 それなのに、シロは好きってずっと伝え続けてくれて……くれたのにっ、それをいいことにわっ、私はいまの関係を保とうとした!
 バーテンダーとお客、でも、それを踏み越えた名前のない関係に安心していた! シロの気持ちを蔑ろにして!」

 咳を切ったように蓮さんは気持ちを吐き出す。
 空っぽの心に注がれていく俺とは逆に、容量を超えて抱え続けた感情を吐き出しているようだった。
 両手で顔をぐしゃぐしゃに覆って、指の隙間から瞳孔の開いた暗い瞳が淀んでいる。

「私は最低な女だ、私は面倒な女です」

 瞳が溶けて零れているように、涙が落ちてくる。

「なのにどうして……私を好きで居続けてくれるの?」

 蓮さんの顔は悲嘆と傷でいっぱいだ。
 爪で引っ掻いて、白い顔には赤い線が走っている。泣きじゃくった顔はぼろぼろで、これ以上ないってくらい酷い顔だ。
 それでも、綺麗だなって感じて。
 彼女の頬を両手で包み込む。涙を拭うとか、そんな格好いいことはできない。ただ、触れたかったからそうした。

「――蓮さんが好きだから」

 深い青色の瞳が小さく、丸くなる。
 そんな表情もまたかわいいし、好きだった。
 最初からずっとそれだけ。それ以上も以下もない。好きって気持ちだけでここまで来て、来れてしまった。最初に抱いていた好きといまの好き。それは違うと断言できるけど、かといって大きく変わったわけじゃない。

 グラスに飲み物を足していくように、好きが増えていった。それはカクテルに似ていて、最初の好きも残ってはいるけど、他の好きも混ざって、見た目も味もまったく違うものになっている。
 最初より透明で純粋じゃなくなったけど、好きの深みは増している。

 カクテルっていうのは、そういうものなんだと思う。
 蓮さんは小さく嗚咽する。

「っ、私も好き……っ」
「俺も好きだよ」
「でも怖いんだ、好きな人が離れていくのが」

 きっと、それは蓮さんのもっとも繊細な、ひた隠しにしてきた心なんだろう。

「必要とされたい好きになってほしいずっと傍にいてほしい。……それでも、離れるくらいならいまの関係でいたい……いたかった。ありもしない愛情に縋って、傷つくのはもう嫌なの。離れるくらいなら、最初から近くにいないでほしいのっ」

 わんわん泣いて、駄々っ子みたいだ。
 いつもは俺の方が子どもっぽいと自虐するけど、今日ばかりは蓮さんの方がずっと幼かった。
 バーテンダーの顔。大人の女性の顔。
 幾重にも被った仮面の下、愛情に飢えて涙に濡れた少女が、蓮さんの本当なのかもしれない。

「ずっと好きって言い続けるよ」

 だから、俺も気持ちを伝える。そしたら、頬に触れていた手を握られた。

「怖いって言っても?」
「怖がる蓮さんも好きだよ」
「離れてほしくないって言っても?」
「寂しがり屋な蓮さんも好きだよ」
「私が、シロのことを好きって言っても?」
「俺も蓮さんが大好きだよ」

 強く手を握られる。
 手加減なんてなく、爪が立っている。痛くて、傷がついていくのがわかる。
 それでも、俺は蓮さんの頬に優しく触れるだけだ。

「怖いままでもいいから……傍にいさせて欲しいな」

 なんて、わがままかな。
 笑おうとしたら、強引にキスをされた。

「……っ」

 強く、押し付けるだけの一方的なキスだった。
 顔の向きも上下も合っていない、歪な姿勢での口づけで、気持ちばかりが先行している。あの夜に感じた柔らかさや官能さなんてなく、ぶつけたような衝撃だった。

 照れるよりも驚いて。
 微かに離れた深海のような瞳に溺れそうだ。

「好き、好き……、好き……好き、好き」

 好きの分だけ唇を触れさせてくる。
 重く、強い口づけ。
 真っ暗な室内で、俺と蓮さんの唇を繋ぐ糸だけが怪しく煌めいている。

「シロを感じたい。ずっと傍に、近くに」

 荒い、熱のこもった呼吸を繰り返しながら、蓮さんはそっと肩紐を外していく。
 上気した肌は汗ばんでいる。光のない瞳が激しい熱に浮かされている。

「もっと、もっと……好きがほしい。
 ――シロを私のものにしたい」

 妖しく微笑み、白い歯を見せる蓮さんを見て。
 どうしてか、喰われるみたいだなって、そう思った。