第2話
閉店後になると、バーのお姉さんは私服に着替えてきた。
2月も半ばを過ぎたが、まだまだ冬の盛り。肩を出した服は寒そうだが、店内だからの服装なのだろうか。
「待たせたね」
まるで待ち合わせみたいな台詞に、心拍数が上がる。
黒いオフショルダーの私服にもまだ慣れていなくて、別人のようなしっとり感に釘付けになってしまう。服どころか、雰囲気まで着替えてきたのかと感じてしまう。
女性は化粧1つで別人になるというけど、服だけでも十分に人が変わる。魅力もまた、万華鏡のようにキラキラと。
「……どうして誘ってくれたんですか?」
踏み込んだ気がする。
でも、気になって止められなかった。
前回は偶然。けど、今回は必然、というより故意だ。そこには理由がある。
カウンター内に入りながら、バーのお姉さんは答える。
「強いお酒を出してしまったから」
なら、出さなければいいのでは。
そう口に出しそうになったが、それで『じゃあ、次からそうするね』と言われて、こうして誘われなくなった?
嫌だ。
色濃く心に浮かぶ感情。
だから、深く訊くことはできず、口をつぐむしかなかった。どうにも攻め手になれない。こういうのを、惚れた弱みというのだろうか?
「……いや、惚れたとかそんなそんな」
「まだお酒が残っているのかな?」
カウンターで身悶えてぐでぐでする俺を見て、バーのお姉さんは笑って小首を傾げた。
酒は残っているけど、酔っているのは別のことにだ。
なんて、さらっと言えたらよかったのになー、と恋愛経験の少なさに辛い。
「私から誘ったけど、大学は大丈夫?」
「もちろん」
大丈夫じゃないです、と心の中で付け加える。
日付を跨いで来店して、いまは午前3時半くらい。朝日にはまだ早いが、それでもそろそろ朝と言える時間だろう。
大学の講義は1限を取ってないので午前10時と遅めだ。
必修は取っているけど、その他は緩めに時間割を組んでいる。余裕はある。でも、朝まで飲んでいられるほどじゃない。
だから、大丈夫じゃない。
朝の講義は間違いなく、睡魔と二日酔いとの戦いになるけど、このときこの瞬間のためならいつだって戦う覚悟がある。……駄目だったら、こそっと休むし。
「はい」
カウンターから出てきたバーのお姉さんが隣の椅子に座ってカクテルを渡してくれる。
……。
「あの、でも……さすがにアルコールは」
「ノンアルだから、安心して」
「ですよね」
ほっとする。
ここから酔い潰れたら、同じことを繰り返す馬鹿になってしまう。
「乾杯」
「か、乾杯」
カチン、とカクテルグラスをぶつける。
甘く、酸っぱいオレンジ系。青春の味みたいなんて感想を抱きつつ、こっそりバーのお姉さんを窺う。
なんか……普通に2人で飲んでるみたい。
これをデートと呼ぶのは違うかもしれないけど、それでも、その言葉に近づいていて、ノンアルなのに体が熱くなってくる。
「おいし」
ちろり、と唇を舐める仕草に色気がある。
その頬は微かに紅潮する。俺のとは違ってバーのお姉さんのは普通のカクテルだったんだろう。
この人がお酒を飲むとこ、そういえば初めて見る。
バーテンダーのときには、当然飲むわけがない。常連さんに誘われているのを見たことがあるけど、『仕事中ですので』と丁寧に断っていた。
だから、他のお客はこの人のお酒を飲んだことなんてなくて、その特別感に優越感を覚えてしまう。
そんな些細なことで。
小さい男だ。でも、嬉しい気持ちはあとからあとから心の水面に浮かんできて、胸中を満たしていく。
「大学は大変?」
「え、あ」
意識が違うところにあって、返答が遅れる。
しどろもどろな自分の反応にカーッと頬が熱くなる。せっかくこうしてチャンスが巡ってきたんだ。いまはこの人に集中しよう。と、彼女を見て……さっと目を逸らす。
駄目だ、いつもよりしどけなくて直視できない。
「そう、ですね。大変、大変ですね」
これ答えになってる?
そんな不安が過ぎるが、間違ってもいないとも思う。
「大学にバイトに、一人暮らしもようやく慣れてきたところで、忙殺って感じでしょうか」
本当に目の回る日々だ。
先なんて考える余裕もなくて、なのに周囲は自分の道を決めている。その差に、最近は焦っていたけど、いまはそうでもない。
その理由は……わかってる。
この人に、想いを寄せるようになってから。
指針なく、ただ海を漂っていたような航海に、目的地ができた。
ただただ真っ直ぐ舵を取る。
熱中している。周りが見えなくなっている。
でも、なにもなかった俺にはすべてが冒険のような毎日で、勘違いだったとしても、身を滅ぼすことになったとしても、いまだけはこの心地よさに酔っていたかった。
ちらりとバーのお姉さんを見ると、「ん?」と首を傾げられる。
どうしたの? と、その愛しい所作で訊いてくる。
余裕があって、俺とは大違いだ。
――もう少し、意識してもらいたいなぁ。
高望みだ。けど、なにかできることはないかな、と熱に浮かされた頭で考える。