第5話

 近くにあった広場でベンチに座って、はぁ、と息を吐く。
 蓮さんと出会った冬からずいぶんと月日が経った。季節も変わって、すでに夏が到来したかのような暑さになっている。口から吐いた息がしらむことはもうない。

「どうぞ」
「ありがとう」

 近くのカフェで買ったコーヒーを手渡す。自動販売機でも缶コーヒーでもよかったけど、そこはまぁせっかくならと。デートだし。持ち帰りでお願いしたら、俺のカップには『Good Luck♡』と書かれていた。どこ行っても応援されてばっかりだなと笑えてくる。そんなに頑張ってる感があるのか、俺は。

 陽は高く、空は青い。
 デートの終わりとするには早いし、できればもっと一緒にいたい。でも、蓮さんには仕事があるから、これ以上引っ張り回すわけにもいかなかった。俺とは違って、気軽に休むわけにもいかないはずだ。

「……にが」
「ブラック?」
「ちゃんとガムシロもクリームも入れてますよ」

 コーヒーが苦手というわけじゃない。むしろ、日頃から飲む方だ。
 なのに、今日の舌はやけに苦みを感じ取る。なぜなんだろう、と思って、緊張のせいかと早鐘する心臓が答えてくれる。
 デートの終わりに。
 そう決めていたことといえ、緊張するなという方が無理だろう。

「――俺は、蓮さんが好きです」

 告白なんて、何度したところで慣れるわけもないし、慣れていいと思わないから。
 隣に座る蓮さんを見る。
 彼女は俺を見ていて、以前のような驚きはない。

「好きだから、付き合ってほしい。ちゃんと返事を聞きたい」

 1回目の告白のように、肉体関係だけ進んで、心の距離が離れるなんて嫌だ。
 どう思っているのか。恋人になってくれるのか。
 ただ、答えがほしかった。

「私、は」

 深海のように暗い青色の瞳が波打つように揺れている。
 唇を浅く噛んで、長いまつ毛をかすかに伏せた。デート中の余裕なんてなくなっていて、立場が逆転したように挙動が不安定になっている。

 見つめていた瞳が、ふと地面に落ちる。
 蓮さんの膝の上で、白くなるくらいぎゅっと手が握られている。
 駄目なのかな。

「私も……好きだよ」

 不安を拭い去る、好意の返答だった。
 なのに、喜びきれないのは、蓮さんの瞳が薄い膜を張ったように濡れていたから。次第に、呼吸は浅くなって、見る見る血の気が引いていく。好きな女性の青ざめた顔を見て、やったなんて男がいるものか。

「蓮さんっ」
「だから……」

 心配する俺を他所に、彼女は震える肩を抱いて言う。

「君と、恋人になるのが怖い……っ」

  ◆◆◆

「ごめんね」

 雪山で遭難したような蓮さんを送って、バーまで戻ってきた。その顔はまだ青白くて、このまま帰して本当にいいのか心配になる。

「せめて、もう少し落ち着くまで一緒に」
「大丈夫だから」

 気丈に振る舞っている、というよりは、遠慮の顔をした拒絶に感じた。
 彼女に伸ばした手は中途半端に浮いたまま、ぱたんと太ももを叩いた。

「今日は楽しかったよ。ありがとう」

 またね、なんて次の約束もなく、お礼だけを残して蓮さんは階段を下りていく。店の中にいなくなるのを見届けて、はー、と焼け始めた空に溜めに溜めた感情を吐き出す。

「怖い……か」

 ふと、思い出すのはホテルでの蓮さんの言葉だ。
 ――私みたいな面倒な女、やめておきなよ。

「確かに、面倒な女だな」

 中高の同級生とか、同じ学部の生徒とか。
 そうした関係の女性を好きになっていれば、もっと簡潔だったはずだ。恋が成就するかはともかく、告白をすれば返答があって、関係は変わる。結果が出ないまま、こんなに引きずることもなかったはずだ。

「でも、しょうがない」

 そんな面倒な蓮さんを好きになって。
 こんな状況でも、前よりずっと好きなんだから。

 翌夜よくや、バーに訪れると“Close”の看板がかかったままだった。

「休み?」

 週1不定期休みと聞いていたけど、今回は連休なのか。
 もしかして、体調が悪い?
 別れ際の様子を思い返すと、一番ありえそうだ。

「……連絡先、交換しとくんだった」

 訊いて断られたら、なんて不安に負け続けていた過去の自分が憎い。

「明日になれば、やってる……よな」

 それは、そうあってほしい、という願望めいた言葉だった。
 ただ、どうしてか、虫の知らせのような不安があって。
 その予感が裏付けるように――明くる夜も店は閉じたままだった。