第4話
「蓮は……母親に捨てられたんだよ」
一言目からあまりの重さに耳を塞ぎたくなったが、ぐっと上唇を噛んで耐える。
「蓮が悪いわけじゃない。悪いのは全部あの子の母親だ。どこの誰かもわからない相手との間に子どもが生まれて、気づいたときには堕ろせなかった。生まれた子に愛情はなく、義務として育てた母親は、蓮が高校卒業したのと同時に責任は果たしたとばかりにあの子との縁を切ったんだ。いまどこであの屑がなにをしているかなんて、誰も知りやしない」
昔話というには、語調は苦く、表情も声も怒りに満ていた。
「野垂れ死んでろと思うが……あぁ、悪い。これは私の感情だ。本筋じゃないし、あんたを誘導しちゃいけないな」
店主は無造作に髪をかき乱す。
「それからずっと蓮は一人で生きてきたんだ。生活のためにバイト三昧。うちに来たのも、そのバイト先の一つだ。それなりに懐いてくれたとは思うけど、なにがどうして私の生き方が格好いいなんて勘違いするようになったのか。私は人が嫌いだから一国一城の主になったけど、蓮は正反対だろうに」
グラスを2つ並べ出す。
氷を入れて、そこにウイスキーを注いでいく。片方のグラスを無造作に渡される。水のように呷る店主に釣られるように、俺もウイスキーを飲む。もともとの味なのかわからないけど、やけに強い苦みを感じた。
「私にしてやれたことなんて、バーについて教えるくらいだったけど……もう少し、なにかしてやれなかったのかしらね」
悔やむような声音だった。
店主の手元で揺れる氷とウイスキーが、店内の淡い光を吸って鈍く輝いている。セピアのようなお酒に過去を見ているのだろうか。蓮さんの心情すらわからない俺には、この人の心の内なんてわかるはずもないけど……自然と口が動いていた。
「蓮さんは自分の話をしないんですよ。いつも、俺の話を笑って聞いているんです」
「だろうね。バーテンダーっていうのはそういうものだし、あの子は昔話をする質じゃない」
「でも、あなたの話だけはしていましたよ。お母さんみたいな恩人だって」
だから、ここに来れた、と伝えるとセピアのグラスから目を外して、俺を見た。なにかを期待するように揺れる瞳は、すぐに瞼で遮られてしまう。
「だったら、たまには顔を見せろって言っておいて。忙しいのはわかるけど、来れない距離じゃないでしょうに」
「伝えておきます」
それが俺にできる、話を聞かせてもらったお礼だろう。
席を立つ。足元が覚束ないけど、去年のクリスマスから半年にわたって肝臓は蓮さんに鍛えられてきたんだ。まだまだ弱いが、店で潰れはしない。……表に出たらわからないけど。
勘定をしようとしたけど、あっちへ行けとばかりに手を振られて「いらない」と断られてしまった。
「うちじゃなく、蓮の店で落としな」
客を盗る気はない、と突っぱねる店主を見て、なんだか笑ってしまう。
選ぶ言葉や雰囲気はまるで違う。
この人の元で育ったと言われても、最初は信じられなかったが、いまは大いに納得できた。
「蓮さんと同じで優しいんですね」
「……やっぱ財布置いてけ」
ケツの毛までむしり取られそうだったので、早々に退散する。
「止んでる」
にわか雨だったのか、地面が濡れて、降っていた跡があるだけで雨の粒は落ちてこない。夜の空に灰色はなく、星の見えない都会らしい薄ぼんやりとした天幕が張られていた。
答えを得たわけじゃない。
でも、
「好きって伝えよう」
心の火に、新たな薪はくべられた。