第2話

 春直白はるなおしろ
 大学2年生。20歳。クリスマスなのに恋人は……なし。

「……はぁ」

 自分の寂しいプロフィールを思い返して、口から白いため息がこぼれた。
 世間は街路樹の明かりに集って浮足立っているというのに、俺はというと普通に大学があって、とぼとぼ1人寂しく帰ろうとしているところだ。

「恋人が欲しいってわけじゃないけど」

 手を繋いで、お互いを温め合って幸せそうに笑う恋人が通り過ぎていく。羨ましいというわけじゃないけど、自分にないものを見ると隙間風のように心に冷たいものが通る。

「進路かー」

 大学2年になっても実感はなかったが、周囲の口から『進路』『就職』『インターン』とか、そういう先の話が出てくると、将来のことを意識せざるを得なくなる。
 特に今日は進路のアンケートとか配られて、同じ講義を受けている友人から『もう出したー?』とか訊かれると、早くしないとと焦りもする。

 あくまでアンケート。
 提出は任意で、ただの調査。
 だからか、大事なものという認識は薄く、コートのポケットに無造作に突っ込んだアンケートはくしゃくしゃになっていた。それを開く。ちょっと端っこが切れた。

「真っ白」

 なんて悲しいホワイトクリスマス。
 最近は暖冬ですっかり雪なんて降らなくなってしまったけど、こんなところで白を意識させなくてもいいのに。風情もロマンもあったものじゃない。

 これまで、普通の人生を歩んできた。
 大学も受験なんてなく推薦で決まって、受験勉強もなかった。熱中するような趣味も夢もなく、進路だ就職だと言われたところで想像もつかない。
 壁ではないけど、なにもない、というのはそれはそれで堪えるものだ。

「野球選手に、アイドルに」

 歩きながら、子どもが抱きそうな夢を零す。
 これまでの普通と呼べる生活が嫌とは言わないけど、熱中できるものが欲しかったとも思う。そうであれば、将来について悩むなんてこともなかったのにと。

「贅沢な話なんだろうけど」

 そう思いつつ、駅までの近道である裏通りを抜けようとして、ポケットでスマホが震えた。
 あとで確認しようかな、と思ったけど、なんの通知かくらいは見ておこうと引っ張り出す。

「ん? 珍しい」

 ほぅ、と短く吐息する。
 幼馴染からのメッセージだった。高校までは一緒だったけど、進学先は違った。幼馴染は地元に残ったが、俺は上京したため、最近はめっきり連絡を取っていなかった。

「年末の挨拶か?」

 まさか、メリークリスマスとか言い出さないだろう。
 仲はいいが、そんなマメな性格じゃないし、そもそも男から聖夜を祝われても困ってしまう。あとでと思ったが、内容が気になってそのまま通知をタップする。

「――」

 今度は頭が真っ白になった。
 ホワイトアウトしたように視界が明滅する。
 そこに書かれていたのは不幸があったとか、そういう話じゃない。むしろ、手を叩いて祝うべき内容だった。

『作家デビューすることになったから、祝って』

 飾り気のない、祝いを要求する厚かましさは幼馴染らしい。
 ただ、それに怒ったとか、そういうことじゃなくて……吹雪いたように白かった視界が現実に戻ってくる。人々が行き交う雑踏の音がガヤガヤと聞こえてくる。
 色と音、その次にようやく失った意識が戻ってきて、零すように声が落ちる。

「……そう、なんだ」

 喜ぶべきことだ。
 祝うべきことだ。

 それは正しく1つの成功で、祝う言葉以外が出てくるはずもない。……のに、指が震える。既読のついたメッセージ。その下の入力欄に文字を打ち込めない。

「おめでとう、って伝えないと」

 そうするべきだ。そうしなくちゃいけない。
 だけど、俺は喜ぶどころか、失意の底のようにショックを受けていた。
 小学校から一緒だった幼馴染。

 家も近くて、よく遊んだ。小中高と変わらず、クラスは同じだったり一緒だったり。成績も同じくらいで、運動だってそう差はない。
 だいたい同じくらい。だから、仲良かったのかなと思っている。
 その幼馴染が作家デビューなんて、特別な人間が至るような成功をした。それを祝いたいのに、浅ましくも打ちひしがれていることが、余計に嫌になる。

「酷いな」

 本当に酷い。
 自分と同じ普通の人生を歩むと、無意識に思っていて、そうじゃないと気づかされて妬ましいなんて。
 醜いにもほどがある。
 俺がこんな器の小さい人間だったなんて、知りたくもなかった。
 ずっと画面に触れてなかったせいで、画面がふっと暗くなる。黒い鏡に映るのは、くしゃくしゃで、いまにも泣きそうな顔をした矮小な男だった。

「……いいなぁ」

 ぽつりと本音が口を突く。
 成功が。
 熱を持って頑張れる夢があることが。
 俺にはなにもない。
 流されるように生きてきて、大学2年生になった。今日はクリスマスだ。もうすぐ新しい年を迎えて、来年の春には3年生となる。
 一心不乱になれるようなものもなく、ただただ生きていく。

「俺、なにか」

 なにか欲しい。
 夢中になって頑張れるなにかが。
 夢じゃなくてもいい。ただ、熱に浮かされて頑張れるようななにかが欲しいんだ。成功は……したいけど、失敗したっていい。先もあとも考えないで、ただただ心を燃やすなにかが。

「……まぁ、そんなものが簡単に手に入れば、こんな普通の人生歩んでないか」

 寂寥を抱えたまま、ため息を零す。
 人というのはそう簡単に変われるものじゃない。いまから突然雪が降って、今夜はホワイトクリスマスで特別な日になったとしても、明日には陽が上ってまた普通の日々を過ごす。

「趣味でも作るか」

 けど、はたして作った趣味に熱意を宿るのか。
 キッカケが欲しい。

「降って湧くのを待ってる時点で、そんな幸運訪れるわけもない、か」

 恋をしたい。
 だから、誰かが告白してくるのを待っている。
 そんな受け身で望みが叶うほど、現実はおとぎ話のように優しい世界じゃない。

「あー……でも、原作のおとぎ話は結構悲惨なんだったか」

 現実も物語も世知辛い。
 はぁ、と再びため息をいて歩き出す。さっきよりも、肩身が狭く感じる。悲劇の主人公ぶるつもりはないのに、クリスマスで浮足立つ声が聞こえると、惨めな気分になる。
 だから、早く駅に向かおうと裏通りを足早に抜けようとして、ふと、道端の看板が目に留まる。

「バー」

 大学からの帰り道、何度か目にしたことがある。
 気になってもいた。
 俺も20歳で成人だ。お酒は解禁され、だからかこういう場所にも行けるようになった。

「……お酒は、苦手だけど」

 あの苦さにはまだ慣れない。
 それでも、こういう大人な場所には憧れもあって、その憧憬がより子どもっぽいとは思うけど、1回くらい入ってみたいなーという気持ちがある。

「でも、高そう」

 ふっかけられそうなのも心配だ。
 ぼったくりバーなんて言葉があるくらいだ。一昔前ほどじゃないとはいえ、都心の裏通りにある店だと思うと、腰が引けてしまう。けど、そうした弱腰のせいで、新しい挑戦をしてこなかったから、いまのなにもない俺があるのではないか。

 せっかくのクリスマス。
 赤い帽子を被ったおじさんがプレゼントしてくれるのを待つ歳でもないんだ。幼馴染の祝い事を妬ましく思う時間があるなら、まずはこういう挑戦をしていくべきではなかろうか。
 ふん! と鼻息荒く気合を入れて、地下へ続く階段を見下ろす。暗くて、なんだかちょっぴりアングラっぽい雰囲気。
 …………。

「こ、今度にしようかな」
「どうかしましたか?」
「うひゃぃっ!?」

 不意に後ろから声をかけられて、びくっと肩が跳ねた。
 あまりの驚きに心臓が激しく脈打っている。手で胸を押さえながら振り返ると、バーテンダー服を着た綺麗なお姉さんが、深海を思わせる青い瞳を丸くしていた。

 だ、誰?
 なにも言えないでいると、お姉さんは申し訳なさそうに目尻を垂らした。

「ごめんなさい、驚かせましたね。お店の前にいたので、お客様かと」
「あ、あぁ、いえ、こちらこそすみません」

 バーの人だった。
 いや、そもそもバーテンダーの服を着ているんだから、その時点で気づくべきだった。余裕がないのか、注意力がないのか。はは、と自嘲するような笑いが口から漏れた。

「お店選びの途中でしたか?」
「い、いや、どうしようかなって……思って」

 しどろもどろに説明しようとして、だんだんと声から力が抜けていく。
 なんか格好よさそうだからバーに入ろうとしたっていうのは、なんか……子どもっぽい。
 学生がお酒やタバコに憧れるような、そんな幼稚さがあった。いや、そのものなんだろうけど。

 どうしよう。
 適当言って帰ろうかな。でも……と、心の抵抗が微かにあって、足をこの場に縫い留める。

「やっていますので、よければどうぞ」

 微笑むバーのお姉さんに勧められる。
 好意を無駄にするわけにはいかない。そんな善良さが働いて、「じゃ、じゃあ、はい」と頷くことしかできなかった。
 クリスマスの夜。初めてのバー。
 結局、新しい場所に踏み出せたのは、他人に背を押されてだった。