第4話

「おすすめはある?」

 蓮さんが水を向けてくれる。
 もちろん、それも勉強してきた。予習が効いて喜ぶという経験は、学校生活ではなかったけれど、まさか初デートでそれを経験するとは思ってもみなかった。
 役に立たないかもしれない。損をすることを、人は嫌厭するものだから。

「ロゼワインがおすすめ……です」

 つい、らしいとか、載っていたとか、自信のない言葉を使いそうになるのを、喉元で押し返す。
 飲んだことはない。
 このお店のホームページにおすすめして載っていただけだ。口コミでも美味しかったと書かれていたので、まず間違いないだろうチョイスのはずだ。

 自信のなさは自分が体験していないからというのもあるけど、バーテンダーである蓮さんの口に合うかという不安もある。
 店内が薄暗くてよかった。
 不安で必死な顔を、見られなくて済むから。

「赤ほど重くないですし、白ほど軽くもないので」

 蓮さんの手を引いて、店内を歩く。その中で、目当てのロゼワインを見つけてほっとする。ここで手間取ったらあまりにも格好悪い。ラベルは合っているよな、と記憶と照らし合わせつつ、ポップに書かれた番号をカウンターで伝える。

「薔薇みたいだね」

 グラスに注がれた、淡いピンクのワイン。
 目線まで持ち上げた蓮さんがそんな感想を口にした。

「う」

 小さく呻く。
 意識しなかったといえば、嘘になる。ロゼというのがいいな、とお酒を調べているときに思って、言い当てられた気分だ。
 立ち飲み用のテーブルに移動する。

 飲むのに不都合があるから、蓮さんは繋いでいた手を放そうとしたけど、咄嗟に強く握ってしまった。無意識の行動で、あ、となって手を放したけど、くすくす笑われてしまった。
 お酒があってよかった。酔って忘れよう。

 ぐいっと呷ろうとしたけど、蓮さんを見てやめる。グラスを回す。色と香りを楽しむ、自然で、見るからに通っぽい動きが様になっていて、ガバガバ飲む場所じゃないよなと改める。
 見よう見まねでグラスを振って、中のワインを回す。洗濯機みたいという感想しか出てこない俺は、ソムリエにはまったく向いていない。俺は雰囲気でお酒を飲んでいる。

「……辛い」

 というか、甘さがなかった。
 見た目がピンクがかっていて、カクテルっぽさもあるからもっと甘いのかと思っていた。喉に絡みつくワイン特有の濃い苦みに、けほっ、と小さく咳き込む。

「美味しいね」

 少し飲むのにも苦労している俺と違って、蓮さんはどこまでも落ち着いている。
 静かにお酒の味を楽しんでいて、しっとりとした大人な雰囲気に見惚れるのと同時に、幼稚な自分と比較して劣等感が心の水面に浮かぶ。

 付け焼き刃の知識じゃ、やっぱり駄目だよな。
 それでも、とリボルバーのようにカチリと気持ちを切り替える。
 初めからそんなことはわかっていた。直面して落ち込むのはいい。けど、だから投げ出すのは違う。
 見栄でいい。頑張りなんて評価されなくてもいい。

「ビールもおすすめがあるんですよ」

 蓮さんが楽しんでさえくれれば、今日のデートの報酬としては貰いすぎなくらいだ。

  ◆◆◆

 テイスティングのときに使っていたグラスをぶら下げて、1階のお土産コーナーに移動する。
 ワインやビール、ウイスキーまで。
 お酒で喉を焼きながら、喋り通しだったから喉が痛い。本当に焼けたわけじゃないだろうけど、張り切りすぎたのは否めなかった。

「おつまみもあるね」
「おすすめとかあります?」
「チーズやサラミ、燻製はよく合うね」

 店でも出すでしょ? と蓮さんは楽しげに言う。
 楽しんでくれている……と思う。表情も、顔も、そう抱くには十分なくらいに明るかった。だから、大丈夫と自分を安心させたいのだけど、ぽちゃんっと小石が投げ込まれて不安が波紋のように広がる。

 バーテンダーの女性のデート先として、お酒のお店ってどうなのか。
 いまさらすぎる不安だ。おいおいって自分でもツッコミたくなるけど、終わったあとだからこそ心配にもなるんだ。本当は仕事とは関係な場所がよかったんじゃないかとか、普通にテーマパークとか、映画の方が喜んでくれたんじゃないのかって。

 心配は積もる。
 でも、それは雪のように溶けない、火山灰みたいなものだ。

「……あの」
「なに?」
「楽しかった?」

 言って後悔するなら訊くなと思う。
 でも、口にした言葉は呑み込めず、届いた不安は蓮さんの目を瞬かせた。

「楽しかったよ」

 蓮さんが口元を綻ばせる。

「お酒は美味しかったし、なによりシロが私のために頑張って考えてくれたのが伝わってきたから……それだけで、私は幸せだよ」

 言わせた、という後悔がある。
 でも、その気持ちの吐露はこれ以上ないほど心を高揚させて、俺を酩酊させる。お酒なんかよりも、蓮さんはよっぽどアルコール度数が高かった。
 賑わう店内、その隙間を縫って蓮さんは1本のワインを持ってくる。

「お土産にしよう」

 それは最初に飲んだロゼワインで、楽しさを持ち帰るというように胸の前で掲げる蓮さんに、俺も口元を緩める。ちょっとだけ、肩の力が抜けた。

「買ってきます」
「自分で払うよ」

 俺は首を左右に振る。

「今日くらいは格好つけさせてください」

 飾りのない、心の内を明かす。
 くっつけていた唇を少しだけ離した蓮さんは、小さく口角を持ち上げた。

「シロは、いつも格好いいよ」

 はい、とロゼワインを渡してくれた。