第2話
なんでかなー、って。
そう思う。
「上手くやれていたと思ってたんだけど」
分室の椅子に座って、項垂れる。
水無月と出会ってからかれこれ2ヶ月。分室で過ごしてきたが、嫌われてはいなかったはずだ。男を毛嫌いしている水無月と一緒に活動できていたから、というのもあるがあの楽しそうな笑顔は嘘だとは思いたくなかった。
鐘の音が聞こえてくる。
授業が始まったんだ、と頭の端っこで理解する。けど、いまは授業に出る気分ではなかった。サボりだという思いながらも、鉛のように重くなった体を動かす気にはなれなかった。
「これから……」どうするか。
声にならない声を思う。
このまま放っておけば、たぶん、終わるだろう。室長がいない分室は解体か。ただの室員でしかない俺にはどうすることもできないし、もし新しい室長が就任したとしても前とは違う。
水無月はいなくて……そこに居続ける意味を見いだせなかった。
「辞めるか、分室」
ぽつりと、静謐な空気に溶けていく。
分室に参加したのは三枝先生からお願いされたからだ。望んで入ったわけじゃなく、そもそも俺本人の認識としては見学なのだから、いつ辞めたってよかった。
短い間だったけど、思い入れがないわけじゃない。それでも、水無月がいないのなら、やっぱり、俺が続ける意味はないのかもしれない。
「……思ったより、水無月の割合が多かったんだな」
こうして落ちているからか、湖が干上がって底が見えたように、本音の部分がさらけ出される。
思えば、素で接していた相手というのは少ない。中学までは女子にモテようと取り繕っていて、素を見せることなんてまずなかった。高校に入学してからは友人を作らず、相手に合わせることもなかったが、そもそもとして話す相手もいない。
三枝先生は……先生だし。
ただの友人のように着飾らない関係というのは、初めてだったんだ。
「それも終わり、か」
なくしてから気づくって、初恋かとちょっと笑える。
椅子の後ろ足2本で立ち、ゆらゆら前後に揺れる。心の表面が震えるような焦燥はまだある。ただ、それをどう発散するべきか決まらなくて、ただ無意味に体を揺する。揺すって、「へぶっ」後ろに倒れた。
「いったぁ」
背中側に椅子が倒れて、したたかに後頭部を打った。
椅子に座ったままの状態で頭をさする。落ち着かないからって慣れないことをするもんじゃないな、と反省する。ふと本棚の上の物が目に入った。
あれは……。
ごろんっと寝返りを打つように転がって、手をついて立ち上がる。本棚の上。そこは水無月がいつも占拠している指定席で、いまは代わりのように本が置かれていた。
「前に水無月が読んでたやつか」
運命がどうたらって。
そういうのを気にするたちでもないだろうに、水無月は雑食的にいろんな本を読んでいた。これも、哲学本なのやら小説なのやら。パラパラ捲っていると、はらりと1枚の紙片が床に落ちた。
栞?
切れ端のような白い紙片を拾い上げて……目に力がこもった。
『ごめんなさい』
栞のように細く長い紙片に書かれていたのは謝罪だった。
誰に対してとか、なにについてとか、そういうのは一切ない。ただひとこと書かれているだけ。
意図も意味も不明で、俺に関係ない可能性の方が高かった。……高かったけど、
「ふ、ふふふ……」
腹が立つことは確かで。
もしこれが俺に宛てたと前提にするなら、ふざけるなと言いたい。通話は出ない、メッセージも返さない。そもそもとして、なにも言うことなく退学するってどういうこと? 俺と水無月はその程度の仲だったと? 半年にも満たない短い付き合いだけど、仲よくやれていたと思っていたのは俺だけだったと?
その別れ方が、見るかもわからない本の間に挟んだ紙切れ1枚? ただ、一言ごめんなさい?
これが事実だとするなら舐めているとしか言いようなかった。ふざけるのも大概にしろ、というお話だ。
「――会って直接文句言ってやる」
ある意味でその紙片は効果的だった。
水無月の都合だからとか、ただの室長と室員でしかないからとか、行動を制限していた建前をぶっ壊すのには十分すぎるほどに。
◆ ◆ ◆
「というわけで、水無月の引っ越した先を教えろください」
「……なんでわたしは授業が終わった途端、生徒に捕まって恫喝に合っているのでしょうか?」
しかも壁ドン、と泣きそうなのか照れているのかわからない顔をしている三枝先生。
1限目が終わると同時に教室から出てきた三枝先生を捕まえて、人の少ない廊下で水無月の行き先を問いただしているだけだ。
「お願いしてるだけですが?」
「人目の少ない場所に無理やり連れてこられて、両腕で退路を塞がれているこの状況が?」
「お願いですが?」
「……そうですね」
なんか諦められた雰囲気を感じたが、そこはどうでもいいのでスルーする。
で、どうなのよ? そんな意味を込めて間近で睨むと、頬を赤らめて「そういうのはちょっと……困ります」ともじもじし始める。
「先生と生徒の恋愛は禁断で……ですが、鷹宮くんが望むなら」
「いまの録音したんで、教師続けたかったらさっさと教えてください」
「容赦なさすぎません!?」
取り出したスマホを振ると、ぶわっと三枝先生は涙目になる。
「いまの俺には余裕もなければ、感情的になっているので加減があるなんて思わないでください」
「どこのDV彼氏ですか……」
ドメスティックなバイオレンスはしていない。
じっと睨み続けると、観念したように三枝先生は目を伏せて、小さく吐息を零した。
「……残念ですが、お教えすることはできません」
ゆるゆると小さく首を左右に振られた。観念したと思ったのは俺の勘違いだったらしい。
こちらも掲げたスマホを振るが、「お、脅しには屈しませんからっ」と頑なだ。琥珀の瞳には薄く水の膜が張っていて、あとちょっと押せばいけそうな気もする。
それを察したのか、道を塞いでいる俺の腕をぺしぺし叩いてどかしてくる。三枝先生も本気じゃないし、その程度の力なら耐えられるが、俺も本気で逃さないと思っているわけじゃない。
しょうがなく三枝先生から離れる。
今度はほっと息を吐いた三枝先生が、いままでの動揺が嘘のように、諭すような顔つきになる。
「生徒のプライバシーです。たとえ、どのような事情があろうとも、安易にお教えすることはできません」
「録音」
「生徒優先ですっ!」
先生の鏡みたいなことを言う。
その顔は頑なで、絶対に教えないという意思が伝わってくる。本当に教師生命をかけて教えてくれと思っているわけじゃないから、諦めてスマホをポケットにしまう。
「なら、しょうがないですね」
「これからどうするんですか?」
「それ訊きます?」
教えてくれたなかったのに、という意味を込めてジト目を向ける。三枝先生はうっと小さく呻いて申し訳なさそうにするが、それでも顔を上げて見返してくるのは先生としての矜持だろうか。
「生徒を心配するのも先生の務めです」
「……それはありがたいですが」
おためごかしじゃないのは、その表情を見ればわかる。とはいえ、事実気持ちだけではどうしようもない。
「知っていそうな人に訊くしかないでしょうね」
「当てはあるんですか?」
「…………」
あるわけもない。
最悪、皇先輩に相談してストーカーテクを習うしかないかなと思っている。
「探偵っていくらくらいが相場なんですかね?」
「先生、聞かなかったことにします」
両手で耳を塞いで、あーと声を出している。手遅れどころの話じゃないんだが、聞かなかった体を取りたいらしい。
「ご迷惑をおかけしました」
唯一の心当たりだった三枝先生が教えてくれないのなら、ここに居続ける意味も、先生を引き止める意味もない。探偵に頼まなくても、一応他の可能性がないわけでもないんだ。
ひとまず、水無月のクラスメイトに訊いてみるかな。ぼっちだ孤高だとは言っていたが、もしかしたら仲のいいクラスメイトの1人や2人くらいはいたかもしれない。
いまは授業と授業の合間の休憩時間。あまり時間はないけど、少しでも聞き込みをしよう。そう決めて、歩きだそうと足を上げたところで、「待ってください」と今度は俺が引き止められた。
忙しいんだけど。踏み出そうとした足を下ろして、鬱陶しげに顔だけ振り返る。
「なんですか? 録音ならしてないですよ」
「それは本当によかったですが……そうではなく」
一周、ぐるりと目を泳がせて、三枝先生はぐっと二の腕を掴んだ。ぎゅっと力がこもった。
「直接、お教えすることはできませんが……許可があれば、もしかしたら」
「……? 許可って」
誰に、と言おうとして、なんとなく察する。その相手はたぶん親御さんで。
確かにただ教えるよりは手順としては正しいかもしれないけど、越権行為に近しい気がする。三枝先生から教えてもらおうとしておいてなんだが、それは大丈夫なのか心配になる。
現代はSNS時代。
昔ならいざ知らず、先生が生徒のプライバシーに関わったとなると、よく思わない親御さんもいるだろうし、ワンチャン炎上だ。俺に住所を教えるだけならまだ誤魔化せるが、『生徒に住所を教えていいですか?』 なんて直接連絡を取るのはリスキーすぎる。
そんな懸念が顔に出ていたのか、「なにをいまさら」と呆れられる。
「水無月さんの居所をわたしから聞き出そうとした時点でいまさらでしょう」
「そうですけど」
俺のリスクならともかく、先生のリスクが大きくなるのは望んでいない。
止めるべきか?
悩む俺に三枝先生は「それに」と快活に笑った。
「水無月さんがいないと顧問のわたしが苦労しますからね。ぜひ、戻ってきていただかないと」
自分のため、とそう言って嘯く三枝先生が、初めて年相応の大人に見えた。