第7話
「すっかり梅雨ですねー」
風通しの悪い分室はじっとりとした湿気に覆われていた。気温は上がっていくばかりで、そんな中続く雨に嫌気が差す。寮生活じゃなかったら、授業すら休みたい気分だ。
「雨が鬱陶しい」
卯木先輩がさらっと出したハートの3に、俺はスペードの6を乗せる。
「雨は好きですよ」
俺と真逆のことをいいながら、クローバーの8を出して流していく水無月。おのれ。くっ、と歯噛みすると、水無月はふふんっと得意げに鼻を鳴らして、数字の2で革命しやがった。
「はー!? なんだそのクソ革命! 2がないと思ってたけど、抱えてた上に煽りみたいな使い方しやがって!」
「ふふっ、手加減です。2を使ってから革命した方が、もっといやらしかったでしょう?」
「お、落ち着いてください鷹宮さん! まだ勝負はわかりませんから!」
ぐぬぬと吠える俺に対して、水無月は涼しい顔だ。
間に入った卯木さんはおろおろしていて、これはこれで放課後の学生っぽいよなー、と冷静な部分で考える。
「……なにをしているんですか? あなたたちは」
「大富豪」
入ってきた三枝先生に端的に答える。
暇を持て余した結果、1周して普通の学生になったというか。
“恋愛能力対策分室”はただの放課後の集まりになっていた。
中央のテーブルに集まってトランプをする俺たちを見て、先生ははーっと呆れたようなため息を吐いた。
「暇なのはわかりますが、分室は一応風紀委員ですからね? というか、水無月さんが一緒にやっているのが意外なんですが」
「……生徒たちの理解も必要だと思います」
「意訳すると、『初めて友達とやるトランプは楽しい』」
「革命上がり」
「クッソ」
おほほ、と悠々と1人トップで上がりを決めやがった。
残すのは俺と卯木先輩で、お互いの手札はまだまだ残っている。というか、水無月が速すぎるんだよ。
「試験も終わって気が抜けるのもわかりますが、分室としての仕事もしっかり熟してくださいね」
「そう仰いますが、生徒からの相談があるわけではありませんよね?」
「平和なことに」
水無月の言葉を、三枝先生は肯定する。
卯木先輩の件から2週間が経った。あれから高木は卯木先輩に謝罪をして、学校に来ていないらしい。卯木先輩としてはもう気にしていないようだが、やったことを考えれば顔を出しづらいだろう。
そんな最初の相談が終わり、次が続くかといえばそんなこともなく。
恋愛能力に絞った対策分室にそうぽんぽんっと相談が寄せられるはずもなく、こうして暇を持て余した俺たちは、外で駆けずり回るでもなく、古びた分室でカードゲームに耽っていた。
「せめて勉強しませんか?」
「テスト終わったんですから、少しくらい休ませてくださいよ」
卯木先輩と交互にカードを出していく。
1人得意満面だった水無月だが、あまりにも早く上がりすぎて暇らしい。じーっと、積み上がっていくカードを見てきて、とてもやり辛い。
「上がり、です」
控えめに卯木先輩が最後の1枚で上がる。
余らせてしまったスペードの5を投げ捨て、敗北に打ちひしがれる。
「くすっ、惨敗ですね」
「へーへー、最下位ですよー」
不貞腐れたフリをしつつ、席から立ち上がる。
「レモンティーを」
「わ、わたしはお礼を言いに来ただけなので!」
負けたらジュースを奢る、という約束で始まったゲーム。
遠慮する卯木先輩に、俺は気にしないでと笑いかける。
「こういうのは罰ゲームまで楽しんでこそだから。次は負けないぞーって」
「そうなんですか?」
「えぇ。むしろ、女の子にパシられて喜ぶ質ですから、もっと奢らせましょう」
「水無月には絶対次は負けない」
女の子と絡めるだけで嬉しい貢ぎ体質になるつもりはない。時々いるけどね、そういう残念で可哀想な奴。
「ついでですので、先生もなにか買ってきますか?」
「……ついで」
なんだか悲しそうだ。
といっても、ゲームに参加したわけじゃないし、どうあってもついでだろう。
「では、コーヒーでお願いします」
「……ちなみに、先生だから断ると思ってたって言ったらどうします?」
「ご馳走様です、鷹宮くん」
にっこり笑顔が眩しい。さすが見た目だけは10代先生だ。
太々しいなーと思いつつ、俺から言い出したことなの否やはない。そのまま分室を出ようとして――ポケットのスマホが震えた。
先生の目がキラリと輝く。
「彼女ですか?」
「そんな人いたら、こんな寂れた小屋で大富豪なんてやってないんだよなー」
女の子に囲まれて遊んでるのを楽しくない、とは言わないけど。呪われそうだし。
ちゃちゃっとスワイプしてメッセージを見て……え。
「どうかしましたか?」
「……へ? あ、いや」
水無月からの言葉に返答が遅れる。
「なにかあったわけじゃないんだけど」
「挙動不審ですけど」
普段から挙動が怪しい卯木先輩にそう言われるって、いまの俺はそんなに怪しいのか。そこまでじゃないと思うんだけど、自覚以上に動揺しているのだろうか。
スマホの上部を鼻の頭に乗せて、んー、と喉を鳴らす。
「その……兄の夫妻が実家に来るみたいで」
「そう」
相槌を打った水無月。
そのまま沈黙が続いて、徐々にその顔が困惑していく。
「……よかったですね?」
「うん」
続きはないのか、という心の声が聞こえたようだった。
そんな反応にもなるだろうと思う。
ただ、でも、なんか……あー、どうしよう。
◆ ◆ ◆
高校入学前までは実家で暮らしていた。
だから、半年どころか2ヶ月前のことで、時間にすると対して離れていない。それでも、懐かしさを感じるのは、学校での生活に慣れてきたということなのだろうか。
白と黒のモダンな1軒家。
生まれたときから住んでいて、昔は真っ白だった壁は薄い灰色の膜が張ったような色になっている。住んでいるときは気にしていなかったが、意外と家も変わっているんだなと、離れて気づく。
「自分の家で、インターホンを押すのも変な感じだな」
寮に引っ越すときに、持っていた合鍵は親に渡している。持っていても意味はないし、失くすのもやだなーと思ってだ。両親は持っていてもいいと言っていたが、そこは固辞した。
ベルの音を聞いて待っていると、スピーカーから耳馴染みのある、でも本来、自宅にはいないおっとりした女性の声がしてドキリとする。
『ちょっと待っててね』
「は、はい」
声が裏返りそうで、喉に触れる。
緊張する必要なんてないのに、久々だからか心がそわそわしていた。落ち着けー、と念じているうちに、玄関がガチャリと音を立てて背筋が伸びた。
「おかえりなさい、恋理君」
「……た、ただいまです、義姉さん」
ゆるふわな長い髪に、垂れ目が特徴のおっとりとしたお姉さん。
世間的には義理の姉で――実兄のお嫁さんだった。